大国主の長男「事代主命」を祀る『美保神社』
以前「二人の恵比須神」でも紹介しましたが、今回正式に『美保神社』を紹介します。
まずは、美保神社の有る美浦関の町ですが、地図でもわかるように、風避けとしても最良の地形に恵まれ、古くから海上交通の要所、風待ちの港として栄えた港町です。
朝鮮半島等との環日本海交易の拠点であった美保関は、たたら製鉄による鉄の輸出港として繁栄し、室町時代には将軍の直轄領に成りました。
江戸時代には北前船交易の要所としても繁栄し、多くの廻船問屋などが存在しており、今も往時の面影を残しています(女の子が産まれると、一族で喜んだ等の艶っぽいお話も残るようです)。
町の概容が解ったところで、神社を紹介します。
『美保神社』(みほじんじゃ)は、島根県松江市にある神社です(地図の通り、島根県半島の東端ですね)。
式内社で、旧社格は国幣中社に指定されています。
出雲神仏霊場第八番札所。
三穂津姫命は大国主神の幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま 「幸魂は幸福 、奇魂は霊感 を担う 」つまり?本当の后ではないのかな?)です。
「大物主神」の后神とも(大国主=大物主?一寸難しいです(^^))。
事代主命は神屋楯比売神(かむやたてひめ)と大国主神との間の子供なので三穂津姫命は義理の母親に成ります。
『出雲国風土記』には、大穴持命(大国主神は名前が5つ程有りまして、汗)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた「御穂須須美命」が美保郷に坐すとの記述があります。
元々美保神社の祭神は御穂須須美命のみであったのが、記紀神話の影響により事代主神と三穂津姫命とされたものとみられます。
三穂津姫命は大国主神の御后で、高天原から稲穂を持ち降り耕作を指導した農業及び子孫繁栄の守り神です。
事代主神は大国主神の第一の御子神で、「ゑびすさま」すなわち漁業・商業を始め広く生業の守護神として敬仰され、美保神社も全国各地にあるゑびす社3385社の総本社として、ことに水産・海運に携わる人々から広く敬い親しまれてきました。
古来、「ゑびすさまは鳴り物がお好き」との信仰があり、海上安全をはじめ諸処の祈願とともに、おびただしい数の楽器が奉納され、その内846点が現在、国の重要文化財に指定されています。
本殿は「美保造」と称し、大社造の本殿を左右二棟並立させ、その間を装束の間でつなぎ、木階を覆う向拝を片流れに二棟通しでつけるという特殊な様式として、また屋根についても桧皮葺の共皮蛇腹で国の重要文化財に指定されています。
年間通じてさまざまなお祭りが執り行われますが、中でも12月3日の諸手船神事と、4月7日の青柴垣神事は、古事記等に題材を取ったものとして有名です。
出雲国神仏霊場事務局によると、事代主神系えびす社3千余社の総本社であると自称しておられます(ただしこの3千余社は蛭子神系のえびす社とあわせた数であり正確とはいえません。えびす云々ではなく事代主神を祀る神社の総本宮の意と思われます)。
家族で訪れた時は、北前船の再現航行(北海道~大阪?)が偶然行われていて、北前船内を見学出来たり楽しい一日でした。
いつも応援ありがとうございます。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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まずは、美保神社の有る美浦関の町ですが、地図でもわかるように、風避けとしても最良の地形に恵まれ、古くから海上交通の要所、風待ちの港として栄えた港町です。
朝鮮半島等との環日本海交易の拠点であった美保関は、たたら製鉄による鉄の輸出港として繁栄し、室町時代には将軍の直轄領に成りました。
江戸時代には北前船交易の要所としても繁栄し、多くの廻船問屋などが存在しており、今も往時の面影を残しています(女の子が産まれると、一族で喜んだ等の艶っぽいお話も残るようです)。
(青石畳み通り、大名家の御用廻船問屋が並びます)
町の概容が解ったところで、神社を紹介します。
『美保神社』(みほじんじゃ)は、島根県松江市にある神社です(地図の通り、島根県半島の東端ですね)。
式内社で、旧社格は国幣中社に指定されています。
出雲神仏霊場第八番札所。
(最初の参拝時は朝も早くて静かな時間帯でした。笑)
(この日は綺麗に飾り付けられていました)
(草月流生け花で飾り付け)
御神祭は右殿に、大国主神の子の事代主神、左殿に大国主神の后の三穂津姫命を祀っています。三穂津姫命は大国主神の幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま 「幸魂は幸福 、奇魂は霊感 を担う 」つまり?本当の后ではないのかな?)です。
「大物主神」の后神とも(大国主=大物主?一寸難しいです(^^))。
事代主命は神屋楯比売神(かむやたてひめ)と大国主神との間の子供なので三穂津姫命は義理の母親に成ります。
『出雲国風土記』には、大穴持命(大国主神は名前が5つ程有りまして、汗)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた「御穂須須美命」が美保郷に坐すとの記述があります。
元々美保神社の祭神は御穂須須美命のみであったのが、記紀神話の影響により事代主神と三穂津姫命とされたものとみられます。
三穂津姫命は大国主神の御后で、高天原から稲穂を持ち降り耕作を指導した農業及び子孫繁栄の守り神です。
事代主神は大国主神の第一の御子神で、「ゑびすさま」すなわち漁業・商業を始め広く生業の守護神として敬仰され、美保神社も全国各地にあるゑびす社3385社の総本社として、ことに水産・海運に携わる人々から広く敬い親しまれてきました。
古来、「ゑびすさまは鳴り物がお好き」との信仰があり、海上安全をはじめ諸処の祈願とともに、おびただしい数の楽器が奉納され、その内846点が現在、国の重要文化財に指定されています。
本殿は「美保造」と称し、大社造の本殿を左右二棟並立させ、その間を装束の間でつなぎ、木階を覆う向拝を片流れに二棟通しでつけるという特殊な様式として、また屋根についても桧皮葺の共皮蛇腹で国の重要文化財に指定されています。
年間通じてさまざまなお祭りが執り行われますが、中でも12月3日の諸手船神事と、4月7日の青柴垣神事は、古事記等に題材を取ったものとして有名です。
(青柴垣神事)
出雲国神仏霊場事務局によると、事代主神系えびす社3千余社の総本社であると自称しておられます(ただしこの3千余社は蛭子神系のえびす社とあわせた数であり正確とはいえません。えびす云々ではなく事代主神を祀る神社の総本宮の意と思われます)。
(東日本大震災復興事業の北前船)
(ゲストは元シンクロナイズドスイミング日本代表武田 美保さんです。現三重県知事の鈴木英敬夫人だったと?)
(火縄銃も見られました)
家族で訪れた時は、北前船の再現航行(北海道~大阪?)が偶然行われていて、北前船内を見学出来たり楽しい一日でした。
いつも応援ありがとうございます。
歴史って本当に面白いですよね~!
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コメント
No title
些か違和感のある組み合わせですが(笑)
こういった雰囲気の神社を参拝すると
なんだかパワーがもらえそうですよね!
変な話かもしれませんが、自分は神社に相性があって、
自分と神社の反りが合わないと気分が悪くなるのですよ;
なので、懸念に恐れて近付かない傾向にあって、
あまり最近は神社に参拝とかも出来てないので、
記事を見て久しぶりに参ろうかなー、と思いました。
あ、そういえば初詣も行き忘れたままだった…(苦笑)
2016-04-06 23:38 taka :a URL 編集
Re: No title
実は島根県のゆるキャラ「シマネッコ」もいたんですがさすがに外しました(笑)
霊感ですかね?むしろうらやましいような。
私は全然です。
古代の人もそんな畏怖の気持ちから神社を祀り始めたのかもしれませんね。
お寺をあまりUPしてないので、そちらも行かなきゃです。
2016-04-07 21:25 市良右衛門 URL 編集