御伽草子「一寸法師」モデルは誰?「少彦名命」を祀る『粟嶋神社』 - 「高天原の縁側日記」
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2016/03/25

御伽草子「一寸法師」モデルは誰?「少彦名命」を祀る『粟嶋神社』

鳥取県米子市に単身赴任していたマンションのすぐ近くに、少彦名命を祀る粟嶋神社(あわしまじんじゃ)が有りました。

粟島神社1
(小高い丘、古墳かと思いました)
粟島神社2

「風土記逸文」 (他の書物などに一部が引用されているだけで、完全な形では伝わっていない文章)の 『伯耆国風土記』によると。

「少日子(スクナヒコナ)命、粟を蒔きたまひしに、秀実りて離々りき。
即ち、粟に載りて、常世の国に弾かれ渡りましき。故、粟島と云ふ。」
と記載されています。

こびとのスクナビコナ(少彦名命)がこの地で粟を蒔いて、実ってはじけた粟の穂に乗って常世の国へ渡り、そのために粟島と呼ばれている、と書かれているます(つまり、粟嶋神社は少彦名命の現世での最後の地、ということになります)。

720年(養4老年)上奏の『日本書紀』でも同じような逸話があり、スクナビコナが淡島(粟島)で粟茎に弾かれて常世へ渡ったとされています。

さらに、地元に伝わる民話では、こびとであるスクナビコナが天界から下界の海へ落ちてしまい、空豆の皮で船を作って伯耆の島(のちの粟島)に漂着します。

そこで出雲の神であるオオクニヌシ(大国主)と知己に成ります。

スクナビコナが排便すると、天界にいた頃に食べた粟の実の種が出てきたので、これを島に植えたところ数年で島は粟が一面に広がりました。

すると、アワ畑に据えられた案山子のお告げで天界に戻るように命を受け、粟の茎を曲げて穂につかまり、茎がまっすぐに戻る力で天界へ飛んでいった。

このことから、オオクニヌシはこの島を「粟島」と名づけたといわれます。

粟島神社3
(結構きついです)


粟島神社4
(ほらね!上から見るとわかるでしょ)


粟島神社5
(きれいに整備されています)


【粟嶋神社、米子の地名由来元と成る】

粟嶋の分限者(鳥取言葉でお金持ちの意味)には子がなく、88歳の米寿を迎えたときに初めて子を授かったことから、「米子」の地名が発祥したと伝えられています。

この粟嶋神社、 来待石を積み上げた、角度のきつい石段が187段、登り切ると、丘の頂上に社、標高は38メートル(36メートルとも?結構息切れします)。

もともと、ここは離れ島であったらしいく江戸時代の中頃、陸続きとなったようです。



粟島神社6


粟島神社7
(小さな本殿、少彦名そのものですね)


粟島神社8
(島だったことがよくわかりますね)



【ちょっぴり面白いなと思う神話や昔話の共通点が!】

神話に登場する少彦名命は、手に乗るほど小さく、おとぎ話『一寸法師』のモデルとも云われています。

因幡のしろ兎を助けた大国主命は、医学の神です。

皮をはがれて赤裸にされた 「因幡の素兎」(本当は素兎なんですよ)救出の物語。

ガマを刈り取って穂をはたくと、黄色い花粉が取れます。

この花粉が 「ホオウ 穂黄」。

中国漢方の生薬で、止血剤、鎮痛剤、利尿剤として用いられます(凄い知識力ですよね!)。

大国主命と共に、国造りを担った少彦名命もまた、医療を人々に広めた神とされます。

ことに、まじないの術に長けて、病に苦しむ人々を救ったと伝えられています。

一寸法師は鬼に勝って打出のこずちで、大きな青年に成ります。



打出のこずちを持っているといえば、大黒さまです。

大黒天(大黒さま)は大国主とも同一視されています。



そして中国の徐福伝説!

常世の国に不老不死の薬を取りに行った徐福は子供たちを連れていたとか?、徐福の職業は、方士です。

方士とは、呪術師や祈祷師・薬剤師であり、占星術・天文学にも秀でた学者のことをさしています。

そして、子供たちは成長期を向かえると、大きく成って、こびとでは無くなります。



なんともお話がうまく繋がり過ぎると思いませんか(笑)?

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コメント

非公開コメント

No title

一寸法師のモデルとはロマンがありますね!

それにしても勾配の激しい階段・・・
ちょっと登り切れないかもしれません(苦笑)

「米子」の地名も勉強になりました!

> 【ちょっぴり面白いなと思う神話や昔話の共通点が!】
た、たしかに・・・これはかなり鋭く興味深い考察ですね。

あ、それからちょっと気になってたんですけど、
私のブログリンクの表記が “take” になってます(笑)

コメントありがとうございます。

ありがとうとごめんなさい。

コピペできなかったので、単純な写し間違いですね、汗。

歴史って本当に面白いです。
専門外なんで余計勝手に想像できます。
但馬話もUPしたいですね。