真田丸から大坂城への抜け穴がある『三光神社』を検証する! - 「高天原の縁側日記」
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2016/02/17

真田丸から大坂城への抜け穴がある『三光神社』を検証する!

真田丸の検証でゆかりの神社を回ったのでご紹介します。

先ずは、真田丸の跡として有名に成った三光神社に出掛けて来ました。

三光神社は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園にある神社です。



「天照大神」「月読尊」「素戔嗚尊」の三貴神を祀っています。

三光神社2

三光神社9

三光神社7

三光神社は創建が十八代、反正天皇の時代ともいわれる由緒ある神社です。
創建以来、武内宿禰の末裔の武川氏が神職として奉職し、現在は86代目と伝えられています。
武内宿禰自体を、お祀りしている神社も多くある中で、ある意味すごいことです。


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三光神社6

社伝によれば、寛文元年(1661年)に一旦現在地の南東の鎌八幡の隣に遷座し、宝永3年(1706年)に再び現在地に戻ったという。かつては「姫山神社」と呼ばれ、一帯も「姫の松原」と呼ばれていました。

中風封じの神として有名な、陸前国宮城郡青麻(現 宮城県仙台市宮城野区)の三光宮(現 青麻神社)を勧請し、そちらでも有名になりました。

明治15年(1882年)の『大阪名所独案内』に三光宮を勧請した旨が書かれており、勧請はそれ以前ということになりますね。

明治41年(1908年)、姫山神社に境内社・三光宮を合祀し、社名を「三光神社」とした。3柱の神を祀ることから「三柱神社」とも、「日月山神社」とも呼ばれます。

大阪七福神のひとつでもあるこの神社は寿老神を祀り中風除けの信仰でも有名だ。毎年6月1日から7日まで中風除けの大祭として芽の輪くぐりの神事が執り行わています。

武内宿禰が長寿で 景行・成務・仲哀・応神・仁徳(第12代から第16代) 五代にわたり、時の天皇に仕えたことから寿老人と一体化しているようです。

三光神社8
(七福神巡りもいいですね)
ここの境内は、真田丸と呼ばれる出丸をこのあたりに築いた真田信繁(幸村)が、南惣構堀を隔てた大坂城内へ通じる抜け穴を大坂冬の陣の際に掘らせたとの伝承がまことしやかに?(結構堂々と)伝わっています(事実は別にして、今はそちらのほうが有名ですね)。

三光神社向け穴
(抜け穴は、大阪城方面の北に曲がっているようですが)

現在の抜け穴の入口は「真田の六文銭」文様入りの鉄の扉で閉ざされ、勿論、中に入ることは出来ません(抜け穴公開日があると聞きましたが?)。

その右側には、信州上田の真田家菩提寺である長谷寺より取り寄せた、真田石を台座としてライオンズクラブ寄贈の真田信繁(幸村)像が建っています。

三光神社3
(真田幸村像台座が真田石です)

ただし、「真田の抜け穴」と呼ばれるこの抜け穴、正確なところは怪しいのが実状です。

そもそも、この境内は真田丸の中心(現在の明星中学校)から東に200メートル以上離れており、真田丸(約100間)の外側だったと考えられます。

戦前(世界二次大戦)は7か所の穴があり、子供たちの遊び場になっていたようですが、危険との判断から三光神社の物以外は埋められたそうです。

実際のところ、冬の陣の折に籠城を決め込んだ大坂方に業を煮やした徳川家康が(理由は以前に報告しました)掘らせたものとする説が正しいかもしれません。

とはいえ、小さいけれど素敵な神社です。歴史散策にぜひいらしてください。


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