「古事記」の神話を巡る出雲の旅!『黄泉比良坂』
私がお薦めする『古事記』出雲神話巡りの旅を紹介します。
前出の私お薦め本、「山陰の『古事記』謎解き旅ガイド」に従って出来るだけ、紹介したいと思います(未だ旅行していない所も有りますが)。
最初の回は、黄泉の国との境、『黄泉比良坂(伊賦夜坂)』です。
場所ですが、あの神話の舞台が島根県東出雲町(2011年8月に松江市に合併)に実在します。
日本地図を眺めていただきたいのですが、出雲国の場所おわかりでしょうか?
昔の出雲国は、現在の出雲市とはかなりの違いがあります。
昔の出雲国はおおよそ、安来市、松江市、雲南市、太田市の一部、仁多郡の大部分、飯石郡の大部分、現在の出雲市のほとんどを含めた地域です。
山陰道の伯耆の国と、石見の国との間と考えて下さい。
出雲国の中心も、出雲市の出雲大社辺りや、島根県庁の有る、松江城周辺ではありません。
意宇(おう)六社と言われる「揖夜神社」「八重垣神社」「神魂神社」「熊野大社」「六所神社」「眞名井神社」の有る意宇地域(旧意宇郡は現在の 松江市の一部、大橋川以南および大根島・江島 )です。
『出雲国風土記』によれば、「八束水臣津野命(やつかみずつぬのみこと)」が国引き(島根半島を引き寄せた)を終えた際に、国引きを意恵(「おえ」、終えるの意味)と言ったことから「意恵郡」と呼ばれて、のちに「意宇郡」と呼ぶようになったと伝えられています。
平城京時代の、国分寺跡や国府跡もこちらに在ります。
『黄泉比良坂』はそんなに意宇の東端に在ります。
Google map 黄泉比良坂(伊賦夜坂)
『古事記』の神話部では、死んで黄泉の国に行った妻を伊邪那岐が迎えに行くのですが、黄泉の国の伊邪那美は、醜く変わってしまっていて逃げ帰る場所です。
別れのシーンです。「私は一日千人の人間を絞め殺しましょう。」「ならば私は千五百の産屋を立てよう。」千曳石を挟んで二人の神様の会話が哀しいですね。
千曳石(イメージより小さい?)、黄泉の軍に投げつけた桃の木(「古事記」では本物の桃の実だったと思いますが植えて有ったのは、山桃の木でした)
近くに伊座那美命を祀る「揖夜神社」が有ります。
もちろん、「黄泉比良坂」の別詳『伊賦夜坂』が近くに在るゆえの名前ですね。
やはり、神話に実物の舞台が在るということが凄いと思いませんか?
そんな国は世界中で、日本だけではないでしょうか!
場所の特定が事実ならば、黄泉の国は伯耆国側になります。
鳥取県米子市の弓ヶ浜半島に「夜見」の地名が有りますが、あまりにも出来すぎな気がします(笑)。
次の旅では意宇六社の一つ『揖夜神社』を紹介しましょう。
いつも応援ありがとうございます。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
下の日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・FC2ブログランキングバナーを「ポチっと」と、クリックして頂けましたら嬉しいです。
👇


前出の私お薦め本、「山陰の『古事記』謎解き旅ガイド」に従って出来るだけ、紹介したいと思います(未だ旅行していない所も有りますが)。
最初の回は、黄泉の国との境、『黄泉比良坂(伊賦夜坂)』です。
場所ですが、あの神話の舞台が島根県東出雲町(2011年8月に松江市に合併)に実在します。
日本地図を眺めていただきたいのですが、出雲国の場所おわかりでしょうか?
昔の出雲国は、現在の出雲市とはかなりの違いがあります。
昔の出雲国はおおよそ、安来市、松江市、雲南市、太田市の一部、仁多郡の大部分、飯石郡の大部分、現在の出雲市のほとんどを含めた地域です。
山陰道の伯耆の国と、石見の国との間と考えて下さい。
出雲国の中心も、出雲市の出雲大社辺りや、島根県庁の有る、松江城周辺ではありません。
意宇(おう)六社と言われる「揖夜神社」「八重垣神社」「神魂神社」「熊野大社」「六所神社」「眞名井神社」の有る意宇地域(旧意宇郡は現在の 松江市の一部、大橋川以南および大根島・江島 )です。
『出雲国風土記』によれば、「八束水臣津野命(やつかみずつぬのみこと)」が国引き(島根半島を引き寄せた)を終えた際に、国引きを意恵(「おえ」、終えるの意味)と言ったことから「意恵郡」と呼ばれて、のちに「意宇郡」と呼ぶようになったと伝えられています。
平城京時代の、国分寺跡や国府跡もこちらに在ります。
『黄泉比良坂』はそんなに意宇の東端に在ります。
Google map 黄泉比良坂(伊賦夜坂)
『古事記』の神話部では、死んで黄泉の国に行った妻を伊邪那岐が迎えに行くのですが、黄泉の国の伊邪那美は、醜く変わってしまっていて逃げ帰る場所です。
(神跡の碑がある意味すごいですね!)
別れのシーンです。「私は一日千人の人間を絞め殺しましょう。」「ならば私は千五百の産屋を立てよう。」千曳石を挟んで二人の神様の会話が哀しいですね。
(山桃の木神話では神になっていますね)
千曳石(イメージより小さい?)、黄泉の軍に投げつけた桃の木(「古事記」では本物の桃の実だったと思いますが植えて有ったのは、山桃の木でした)
近くに伊座那美命を祀る「揖夜神社」が有ります。
もちろん、「黄泉比良坂」の別詳『伊賦夜坂』が近くに在るゆえの名前ですね。
やはり、神話に実物の舞台が在るということが凄いと思いませんか?
そんな国は世界中で、日本だけではないでしょうか!
場所の特定が事実ならば、黄泉の国は伯耆国側になります。
鳥取県米子市の弓ヶ浜半島に「夜見」の地名が有りますが、あまりにも出来すぎな気がします(笑)。
次の旅では意宇六社の一つ『揖夜神社』を紹介しましょう。
いつも応援ありがとうございます。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
下の日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・FC2ブログランキングバナーを「ポチっと」と、クリックして頂けましたら嬉しいです。
👇



コメント