FC2ブログ
2018/11/28

「三年のご愛顧感謝します」新規ブログがテスト段階ですが始まりました。

「三年のご愛顧感謝します」ほぼ新規ブログがテスト段階ですが始まりました。

癒しとストレス解消の遺跡・史跡・城跡・寺社仏閣巡り、きっとあなたは日本が好きになる

     99%歴史が好きになるブログ「高天原の縁側日記」

~縄文・弥生時代から近現代まで、日本の歴史と文化の旅に神様目線で旅立とう~


詳細は改めてお話ししますと申しておりましたので。お知らせさせていただきます。

なお、ブログサークルでお友達に成って頂いております皆様方には、改めてこちらからお願いに上がりますのでよろしくお願いいたします。

こちらでのブログの更新は今日が最期となります。



それでは、『市郎右衛門』のブログをお楽しみください。

絶賛ランキング参加中!二つのバナータグを「 ポチっと」クリックして応援お願いします。
|o´艸)。oO(Thank you)。

バナーをクリックしますと、ランキングページに移動します。市郎右衛門のブログは、皆さんのお陰でランキングTOP10にランクインしておりますので、「高天原の縁側日記」をもう一度クリックして頂きますと、元のブログに戻ります(^人^)。又PCの片方は、Ctrlを押しながら「ポチっと」上のバナーを押していただけますと、ブログから離脱せずに応援していただけます。



『三年間のご愛顧に感謝』


CIMG15955_20181128121505925.jpg(国宝!三徳山投げ入れ堂)


歴史好きの皆さま方、知識の点であった遠い記憶が、
ある時“ふっと”つながって一本の線に変化して、
改めて、歴史物語の本質に気が付く楽しみを体験された事は有りませんか?

私には、そんな経験が何度かありました。
その時の素晴しい感動を皆さんに伝えたくて、
書き伝えるという方法を選びました。

9年程前(2010年)仕事でストレスを抱え込み過ぎた身体が、ついに悲鳴を上げました。

一生涯付き合わなければならない「心と体の病気」にかかり、
「このままでは、命の保証は出来ない」と宣告されました。


三ヶ月の入院を余儀なくされた私は、
入院生活の間、自分の残りの人生や将来(老後)について、
深く考えるようになりました。


退院の後、リハビリや家族の支えもあって少しずつ体力回復した歴史好きの私は、
寺社仏閣巡りを始めることにしました。


神仏に頼ろうとしたわけでは無いのですが、これまで歩んできた人生をもう一度見つめ直して、
棚卸してみようと思い立ったのです。


さらに、子どもの頃からの夢だった歴史を本格的に勉強したいとも思ったのです。
天滝4
(日本100名瀑、兵庫「天滝」)


出会った自然に魅了されて、登山やトレッキングも始めました。

先日兵庫県最高峰の氷ノ山標高1510mへ登頂してきました。

7月には富士山へ登頂しました。

来年は六甲山縦走半分、再来年は全縦走を目指します。

CIMG3119_20181128121722e3e.jpg(祭りの文化にも挑戦します。)


寺社仏閣巡りや史跡・城巡りの途中で、新たに知った神話や歴史・文化・風俗、
そして地方地方の美味しく珍しい食べ物、素晴しい陶器や民芸品にも心を奪われました。

さらに、旅先で出会った人々や祭などなど、それらすべてが私には新鮮で、
“日本という国に生まれて本当に良かった”と思うことができました。

IMG_6504_20181128121717eb9.jpg
(国宝!犬山城)
P7192312_20181128125031049.jpg(国宝、松本城の美しさ)


「私は生きている!いいや生かさせて頂いている。」と思え、
日本の自然に対する感謝と祈りが、
かけがえのないものだと考えるようになりました。



是非、素晴しい日本の文化や歴史を皆さんにご紹介したい、
“その様な方法は無いのだろうか?”と、
考えるように成っていきました。

中学・高校と同級生だった俳優 今井雅之君が、
2015年5月28日に突然病気で亡くなりました。

彼の死は、勿論同級生の一人またファンの一人としても、非常に残念んでなりませんでしたし、
彼自身にはもっとやりたい仕事が数多く有ったに違いありません。



IFがあったならもっと偉大な俳優や作家となって、
多くの作品を世に生み出していた事でしょう。

しかし私は、「彼自身は自分の生きてきた人生にけっして後悔はしていないのではないか」と考えたのです。

彼は一度たりとも振り返らず、自身が選んだ道を駆け抜けたのですから。



そして、彼の様な素晴らしい人生はとても送られないかもしれないが、
私も「今日一日」を精一杯かんばって生き、

「今日はBETTERで、明日はよりBESTな一日」を目指す、
そんな人生を送りたいたいと考えるようになりました。

P5200485_20181128121719d3b.jpg(石舞台の謎にも迫る!)
P5190138_20181128125028420.jpg(箸墓古墳!美しい)


人間は、一呼吸する間にも新たな自分に生まれ変わります。
ひと呼吸前の自分にはもう戻ることは出来ないのです。

だからこそ、その一瞬一瞬を大切に生きていきたいと、考えるようになったのです。

そして何かの方法で、私の考えや自然への感謝や祈りを、
共感出来る方々へ“発信出来ないかと?”考えて、「ブログを始めてみよう」と決心しました。



当初は「何を書いたら良いのか?」「本当にこれが自分の伝えたいことなのか?」悩み、考えて苦労しました。

もちろん、私の稚拙な文章のブログなど見向きもされませんでしたし、
最初の三ヶ月はコメントも全く有りませんでした。
ユーザー数が一桁の日がずっと続きました。


ジャンルを自分の好きな「歴史」にしたことで、
歴史に興味の無い皆さんには敬遠されたのかもしれませんし、
SEO対策など知る由もありませんでした。

ランキング登録した当時は、自分のブログ名を探すのに四苦八苦しました。(笑)

CIMG0364_2018112812150884e.jpg
(当然有名人の謎にも密着しゅざいを敢行します)


ある日、「同じ但馬の出身なのですが…」と始めてコメントが来ました。

うれしかったですね~。
“こんなブログでも見てくれている人が居たんだな”と感動すら覚えました。



今では親友と言ってよいと感じるほどになった彼は、
皆さんご存知のスーパーブロガー、

本日の一杯-Cupmen review blog-の、
◝( ꒪౪꒪)◜ケケケ…のtaka:aさんです。


taka:aさんは私に、多くのブログ友達を紹介してくれました。
そのブロガー皆さんの熱意と、真摯なブログへの思いにKOされた私は、
もっともっと頑張らなければと心に誓ったのです。


私のポリシーは『フィールドワーク』です!
体験した場所・物以外は書かないことを信条にしているのです。

CIMG2608_20181128121720d30.jpg(妻木晩田遺跡の四隅突出墳丘墓!古墳じゃないのです)


当然「歴史」が基本テーマですから、実際の時代を体験することはできません。
ですからデータは、どうしてもWikipediaやパンフレット・ご由緒書きなどに頼らざるをえません、
その代わりに、私が現地で実際に感じた事や写真を皆さんにご紹介したいのです。

写真一枚撮り忘れたために、現地に二度三度と通ったこともありました。


彼らブログ友達の皆さんが居なければ、
三年間にわたってブログを書き続けることは出来なかったと思います。
taka:aさんには感謝してもしきれないほどです。

近頃は、馬肉会も二人でまったりと開催することが多く成っていますが、
いつもアドバイスを頂いてブログ制作に役立てています(本日馬肉会です)。



そんな出会いも有って、私のブログも「部門ランキング」上位に名を連ねるようになりました。
多くはありませんが、訪れてくださる皆さんも徐々に増えていきました。

稚拙なブログを訪れてくださるコアなファンの皆さんが、
『高天原の縁側日記』を支えててくださったことに、
本当に感謝しています。

「ありがとうございました。」

『高天原の縁側日記』をWordPress に移行しました


CIMG2386_2018112812150919c.jpg
(私的に一番美しいと感じる真名井神社の出雲か型狛犬)


改めて、私自身のことと共に「WordPress 」に移行する理由を、お話させて頂きます。

兵庫県北部、山陰但馬国生まれの私「市郎右衛門」が、
大好きな日本の歴史とこだわりのブログ『高天原の縁側日記』を始めたのは、
三年程前です。


「市郎右衛門」のハンドルネームを使っていますが、
市郎右衛門は室町時代から続く我が家の世襲の名前です。


当然、明治以降は普通に名字と名前があるのですが、
江戸時代以前我が家の当主は、市郎右衛門を代々名乗っていたようです。

ですから、もし江戸時代が続いていたならば、
現当主の父が18代、私が19代、私の長男が20代市郎右衛門になります。

そこでハンドルネームに「市郎右衛門」を使うことにしました。



「古い家です」などと書きますと、やんごとなき家柄?と思われたり、
有名武将の末裔?などと思われるかもしれませんが、
そんなことでも無いのです。

ただ古いだけです。
ご先祖さまかが、長く同じ場所に住み続けてくださっただけです。


ルーツについて、幾らかの推測もできるのですが、
江戸時代は小さな?庄屋を営んでいました。


このブログ『高天原の縁側日記』を書くという決心の中には、
私の古い実家(19代を名乗る我が家の家名は、室町時代以前に遡る)を守りたいとの考えも同居しています。

そのための政策として、過疎の田舎でも発信可能なインターネットを通じて、
何か出来ないか(起業したい!)と考えたのです。



最初の試みは、自分の発信力がどの程度なのか、
まず試してみようと思い立って始めたのがブログ製作です。

三年間を経過しまして、それなりの成果は出ていますが、
けして満足出来るところには行きついていません。


稚拙な文章で、皆んを退屈させいるのかも知れませんし、
そもそもテーマが万人受けしないですよね(笑)。

そこで私が選択したのが、本格的にブログ運営を学んでみる事でした。



先生に選んだのは、後でご紹介する「次世代起業セミナー」で、
断トツ トップの実績をお持ちの100%本気の起業相談室の、
ずーみーさんです。


今後の予定


CIMG9939_20181128121716f11.jpg
(平家物語の最期のシーンも再現します)
P5200586_20181128125030af9.jpg(奈良、春日大社)


とりあえずテスト投稿を始めました。
アバターなど改善はまだまだです。

先ずは新しいブログのコンセプト辺りから書き始めました。

歴史ブログを楽しく読んで頂くための工夫をしている最中です。

新しいブログに移行しましてもしばらくは、新しい記事を書かずにリブログに専念したいと思っていますが、
皆様の反応が気になりますのでコメントをいただけましたら幸いです。

どれくらい頑張れるかわかりませんが、「情報発信で起業する」という考えは変わっておりませんので、
出来る限り頑張りたいと思います。


新アカウントとブログ名は?





現在の「高天原の縁側日記」は、

もともと“神様目線で歴史を紐解く”という意図で名づけたのですが、
高天原と縁側がSEO対策では結びつかないですし、
URLの「ichirouemon19th.jp」って何?って感じですよね(-"-;A ...アセアセ

【新アカウント】https://nihon-rekishi.net

【新ブログ名】癒しとストレス解消の遺跡・史跡・城跡・寺社仏閣巡り、きっとあなたは日本が好きになる

     99%歴史が好きになるブログ「高天原の縁側日記」

~縄文・弥生時代から近現代まで、日本の歴史と文化の旅に神様目線で旅立とう~


べたですが、単純で分かりやすと思います。

99%歴史が好きになるブログ『高天原の縁側日記』今後の展開



①当然、歴史を中心に日本の文化や自然を紹介します。
②フィールドワークの柱は堅持します。
③プロの情報発信者を目指す。


amaterasu_2018112812150799e.jpg
(天照=卑弥呼?知りたいですよね)


ここで、私の尊敬する但馬の歌人「前田純孝」の歌をご紹介させていただきます。

「いくとせの前の落葉の上にまた
  落葉かさなり落葉かさなる」
 



前田純孝は明治13年(1880)4月3日、浜坂町諸寄(現新温泉町)の旧家に父純正、母うたの長男として生まれました。

余りご存知ないかもしれませんが、与謝野鉄幹に東の啄木(たくぼく)、西の純孝(じゅんこう)と並び称された明治末期の我が国の若き詩人です。

父はかつて池田草庵(いけだそうあん)の青谿書院(せいけいしょいん)の門下生で、村一番の教養人でしたが、生活力がなく前田家はどんどん落ちぶれていきました。

また、うたを正妻に迎えても愛人との関係を断つことができず、妻の親族から離婚を突きつけられ、母は村岡町の実家へ帰って行きました(純孝3歳)。

離婚すると、すぐに愛人が正妻として入り、継母と異母兄弟との生活が始まりました。

継母とうまくいかず、悲しみ多い幼児期を過ごしています。



純孝は7歳にして家族と別れ、鳥取師範付属小学校に入学します。

卒業する15歳まで一度も帰省せず勉学一途に励みました。

彼の孤独な感覚は次第に文学へと転化されていきました。



文学的才能は御影師範学校在学中から発揮され、雑誌「明星」(みょうじょう)の投稿によって、個人的感情的表現は彼の生い立ちと相まって一段と磨かれていきました。

東京高等師範学校に入学後、与謝野鉄幹・晶子らと雑誌「明星」に多くの作品を発表しています。

大阪島之内高等女学校教頭として赴任、妻信子を得てしばしの幸福感に浸りましたが、長くは続きませんでした。

純孝は過労から倒れたのです。肺結核でした。時を同じくして妻も産後の肥立ちが悪化、夫婦枕を並べての療養生活が始まりました。

妻子に迷惑をかけないように純孝は療養場所を故郷に移しました。

死の直前まで数々の学校唱歌や歌集を創作し、前田純孝は明石に残した妻子を思いながら31歳の生涯を閉じました。

(出典は但馬百科辞典を参考にさせていただきました。)

さて私がこの歌を暗記しているのは49歳で亡くなった友人んに、ひつこいくらいに教わったからでもあります。

歌碑が兵庫県美方郡新温泉町諸寄に立っています。

高校を卒業した頃に憧れの女の子と諸寄の海で初めてボートデートした記憶もあります(笑)




さて歌のように、私が死ぬまで毎年落ち葉が重なるように歴史の研鑽につとめてまいりたいと思っています。

CIMG8269_20181128125034db0.jpg(日本といえば桜)

「関ヶ原」の勝負の分かれ目は、他人のために死ぬ事の出来た三成と、自分のためだけを考えて生き抜いた家康の生への執着心の違いかもしれませんね。


三年のご愛顧感謝します.

新規ブログが始まりました。

癒しとストレス解消の遺跡・史跡・城跡・寺社仏閣巡り、きっとあなたは日本が好きになる

     99%歴史が好きになるブログ「高天原の縁側日記」

~縄文・弥生時代から近現代まで、日本の歴史と文化の旅に神様目線で旅立とう~


関連記事
  

コメント

非公開コメント

No title

今まさに、その親友と飲みながら頑張ってるtころでしょう╭( ・ㅂ・)و グッ ! 私も負けないように頑張りますよ〜〜〜!!今後の新ブログの発展を心より願っております(≧∇≦)