取材8日目(最終日)は、伊勢神宮「外宮」・「内宮」と二見興玉神社に参拝!
伊勢神宮の参拝順序の通り「外宮」から「内宮」へ参拝し、夫婦岩としめ縄、夏至の前後には遠く富士山の背後から昇る日の出を眺められる事で超有名な、「二見興玉神社」へ参拝しました。
ひつこいように言っておりますが、今回は取材旅行記です。「外宮」「内宮」「伊勢うどん」「赤副もち」「二見興玉神社」「伊勢神宮の歴史」「遷宮」等の話題で1度ずつブログがご紹介できる量です。それを1回で終わらせてしまう旅行記に成っています。ですから改めて詳細な記事を書かせていただくつもりです。
8日に渡って続いた修行も終わり、疲れた体とお土産を持って家路に着きました。今思えば走行距離なども記録しておけばよかったと後悔しています。旅行中に一滴の雨も降らず、晴れ男の面目躍如となりましたが、摂取した水分は車が消費したガソリンの量より多かったかも知れません(笑)。
ひつこいように言っておりますが、今回は取材旅行記です。「外宮」「内宮」「伊勢うどん」「赤副もち」「二見興玉神社」「伊勢神宮の歴史」「遷宮」等の話題で1度ずつブログがご紹介できる量です。それを1回で終わらせてしまう旅行記に成っています。ですから改めて詳細な記事を書かせていただくつもりです。
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目次
【プロローグ】伊勢神宮の参拝順序は「外宮」から「内宮」へ
・「外宮」で豊受大神(トヨウケノオオカミ)にご挨拶。神馬の正宮参拝も見られた。
・「内宮」で天照大御神(アマテラスオオミカミ) にご挨拶。
・二見興玉神社で日の出は見られ無かったが、チョー有名なしめ縄に出会う。
【最後に一言】長い旅行記にお付き合いありがとうございました。
私が「次世代起業セミナー」を勧める訳
【プロローグ】伊勢神宮の参拝順序は「外宮」から「内宮」へ
・「外宮」で豊受大神(トヨウケノオオカミ)にご挨拶。神馬の正宮参拝も見られた。
・「内宮」で天照大御神(アマテラスオオミカミ) にご挨拶。
・二見興玉神社で日の出は見られ無かったが、チョー有名なしめ縄に出会う。
【最後に一言】長い旅行記にお付き合いありがとうございました。
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【プロローグ】伊勢神宮の参拝順序は「外宮」から「内宮」へ
伊勢神宮は「内宮(ないくう)」と「外宮(げくう)」を中心とした、125の宮社の総称です。参拝は一般的に、「外宮」の豊受大神(トヨウケノオオカミ)にご挨拶してから「内宮」の天照大御神(アマテラスオオミカミ) に参拝します。
参拝時間は「内宮」正宮だけなら1時間、「外宮」正宮だけならは30分位でしょうか?、実際は別宮が数多く有るので全て(摂社125すべてでは無いです。(;^_^A))をお詣りし、御朱印も頂いた私は倍くらいの時間が掛かっています。
「外宮」から「内宮」までの距離は(県道32号線経由)4.7Kmで、車では15分くらいで到着します。駐車場は充実しているので困ることはないと思います。
前回家族で訪れた時(平成25年「式年遷宮」時)には、「日別朝夕大御饌祭」(朝夕の二度、外宮の御饌殿みけでんで御飯、御水、御塩などを天照大御神に奉り、「国安かれ、民安かれ」との祈りと感謝を捧げるお祭りで、外宮の御鎮座以来、約1500年間つづけられています。)を見られましたし、「内宮」では祭主「池田厚子さん(天皇陛下の姉)」のお詣りに遭遇しました。祭主は昨年から「黒田清子さん(天皇陛下長女)」が就任さえています(祭主は古代の斎王とは違います。)。
伊勢神宮には昔から「おみくじ」はありません。おみくじは日ごろからお参りできる身近な神社で引くもので、古来から「一生に一度」と庶民があこがれたお伊勢参りは、大吉でないわけが無いとの理由から、おみくじも引く必要がなかったと考えられます。
さらに、拝礼の際に八拍手(出雲大社は四拍手)と記載した記憶が有りますが、実際は神官が行う祭祀の場合で私たちは、二例二拍手一礼で良いようです。
「内宮」にお参りした後、「おかげ横丁」で伊勢うどんを頂き、赤福本店で赤副もちを頂きました。
この後、せっかく伊勢まで来たのだからと二見興玉神社にも参拝、長女に頼まれた土産を購入して家路に着きました。
「外宮」で豊受大神(トヨウケノオオカミ)にご挨拶。神馬の正宮参拝も見られた。
「外宮」正宮には豊受大神(とようけのおおかみ)が祀られています。内宮に坐す天照大神(あまてらすのおおみかみ)の食事を用意する女の神様です。
豊受大神は『古事記』では豊宇気毘売神と表記されています。『日本書紀』には登場していません。『古事記』では伊弉冉尊(いざなみ)の尿から生まれた稚産霊(わくむすび)の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に鎮座したと記されています。神名の「ウケ」は食物のことで、豊な食物・穀物を司る女神です。
私の記憶では、食物神と言えば大気都比売(おほげつひめ)を連想します。体中から穀物などの食べ物を生み出した神様ですが、高天原を追放された須佐之男のお話に登場しています。
須佐之男が空腹を覚えて大気都比売に食物を求め、大気都比売はおもむろに様々な食物を須佐之男に与えます。それを不審に思った須佐之男が食事の用意をする大気都比売の様子を覗いてみると、大気都比売は鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していました(驚)。
須佐之男は、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、大気都比売を斬り殺してしまいます。すると、大気都比売の頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれました。
豊宇気毘売神が大気都比売と同一視さているのも同じ食物神だからでしょう。
今回は7月21日(土曜日)で神馬が正宮を参拝する日に都合良く当たりました。本当にいつも運に恵まれます。伊勢神宮の神馬は毎月1日、11日、21日のみ朝8:15頃に菊の紋章のついた馬着をまとい神職に手綱を引かれて神前に見参します。
「内宮」で天照大御神(アマテラスオオミカミ) にご挨拶。
今から2000年前、垂仁天皇の御代から五十鈴川のほとりに鎮まる「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」 は、奈良の都、皇居内でお祀りされていましたが、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)を御杖代(みつえしろ)としてよりふさわしい場所を求め諸国を巡ります。伊勢の国に至った時に「伊勢がすばらしいので、この国にいようと思う」とお告げがあり、伊勢に鎮座しました。
『日本書紀』や『古事記』に詳しい理由は書かれていませんが、気候が穏やかで海の幸、山の幸に恵まれた場所であることが理由と考えられます。
内宮の入口である宇治橋をわたり、玉砂利を敷き詰めた長い参道を進むとそこは神域。「心のふるさと」と称される日本の原風景が広がります。
皇位のしるしとして受け継がれる三種の神器の一つである「八咫鏡(やたのかがみ)」をご神体として伊勢の地にお祀りし、国家の守護神として崇める伊勢信仰は平安末期より全国に広がりがみられました。現在でも全国の神社の本宗として特別に崇敬を集めます。
二見興玉神社で日の出は見られ無かったが、チョー有名なしめ縄に出会う。
二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)は、伊勢市二見町江に有ります。旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社と成っています。伊勢神宮「内宮」からも近く10Km20分ほどです。
猿田彦大神と宇迦御魂大神(ここでは神宮外宮の豊受大神の別名とされる)を祭神として祀り、 夫婦岩の沖合約700メートルの海中に沈む、祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を拝し、夫婦岩としめ縄、夏至の前後には遠く富士山の背後から昇る日の出を眺められる事でチョー有名な神社です。
不思議なことに、神宮社の125社中に二見興玉神社も、猿田彦神社も入っていません。つまり、伊勢神宮と二見興玉神社は伊勢神宮としては、なんにも関係がないのです。これについては元々の太陽神が天照大御神ではなく猿田彦大神であった説や、猿田彦命先
住説など調べると面白のです(もちろん今回はお預けです・笑)。
猿田彦大神は天孫降臨の際に高天原と豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれています。
この神の神使は私の大好きな蛙で、神社参拝の後に神徳を受けた人々が神社の境内に蛙の塑像を献納するため、境内には無数の蛙像が並んでいます。これは「蛙」の「カエル」に「無事に帰る」「貸した物が還る」「お金が返る」の「カエル」を掛けた 験担ぎとなています。
三重県では2番目に参拝者の多い神社であり、2013年には265万7590人が参拝しています。
【最後に一言】長い旅行記にお付き合いありがとうございました。
最後まで読んでくださった皆様、長い旅行記を読んでいただき大変ありがとうございました。
出発前に、「脱サラして起業する」などと大きなことを申しました。ストレスが溜まり仕事に行くのが苦痛になっており、精神科の先生と相談した結果「少し休暇を取ったらどうですか」と言われたことも、今回の取材旅行を決意した理由の一つに挙げられます。
ですから、今回の私の取材旅行は仕事で休暇を取る前のリフレッシュ旅行という側面もあり、これまで念願であった、「富士山」登頂、「諏訪神社」参拝、国宝最後の城「松本城」前回家族旅行では、果たせなかった伊勢の「二見興玉神社」などなど、多くの寺社仏閣・史跡・城跡を巡ることができました。
日本の歴史や文化を伝えていくことは、私のライフワークでもあり趣味でもあります。本当に楽しい取材旅行になりました。天候にも恵まれ(ちょっと暑すぎて大変苦しいましたが)良い取材ができたと思います。
冒頭でも申し上げておりますように、今回は取材旅行記ということで一日一ブログの原則で、書かせていただきました。実際に取材したボリュームは10倍以上にも及ぶかもしれません。今後一つ一つ丁寧に取材の情報を、ブログでアップしていけたらと考えています。
写真がもう一つなのも作戦です(なんの作戦だって、意味有るん?笑)。
コアなブログを長く書いてまいりましたが、なかなかアクセスアップが出来ず悩んだ時期もありました。今後このブログをどのように運営していくのかに関しても、この旅行中に色々と考えたことがあります。
いつも言っておりますように歴史ブログをやめることはありませんが、少し形を変えさせていただくかも分かりません。
いつもコメントをいただく皆様には、心よりの御礼を申し上げます。
今後とも、下手でコアな私のブログを楽しみにして頂けたら嬉しいと心より思っております。
いつも応援ありがとうございます。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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