取材6日目は、国宝「松本城」と真田昌幸、信之・信繁(幸村)兄弟の落ちない城「上田城」巡り。 - 「高天原の縁側日記」
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2018/08/01

取材6日目は、国宝「松本城」と真田昌幸、信之・信繁(幸村)兄弟の落ちない城「上田城」巡り。

取材6日目(7月19日)は、国宝「松本城」と真田昌幸、信之・信繁(幸村)兄弟の落ちない城「上田城」巡りです。

もうそろそ皆さんもお気づきだとは思いますが、私の取材旅行「四国八十八ケ所巡り」に大変似ていると思われませんか?そう修行なんです(笑)。お寺が神社とお城と登山に変わっているだけです。

この日、私は大きな勘違いをしておりました。松本城のボランティアガイドさんのお話で気が付くべきでした。「長野県は松本と長野の二つの県がくっついている」の例えです。この日私は午前中に「松本城」へ行き午後「善光寺」参りを計画していました。そう善光寺が松本に在ると勘違いしてたのです。(-"-;A ...アセアセ




【プロローグ】最期の国宝「松本城」を訪れ「善光寺」参りを急遽「上田城」巡りに変更する



長野県松本市にある「松本城」は私が訪れた国宝の中で最後の城です。桃山時代末期から江戸時代初期に建造された天守が国宝に指定されています。城跡は国の史跡に指定されており、「松本城」と呼ばれる以前は「深志城」と呼ばれていました。市民からは色が黒い(漆で黒く塗られ風雪に耐えられる造り)ことから別名烏城とも呼ばれています。しかし文献には烏城という表記は一切ないそうです(烏城といえば岡山城 ですよね)。

P7192312.jpg(オジサンじゃまですよね~わざとです・笑)

これまで私が訪れた国宝に指定された五つの城は、訪れた順番に「姫路城」「松江城」「犬山城」「彦根城」そして、今回の「松本城」という順番です。兵庫県出身の私ですから、「姫路城」は子供の頃からよく訪れていましたし、世界遺産で一番素晴らしいと考えていましたから、実はガイドさんにも厳しい意見をいってみるかと意地悪な考えをしていたのですが、「松本城」は本当に素晴らしかったです。

ここで、一つ大きな勘違いに気が付きました。実は午前中に「松本城」を訪れ午後は、「牛に引かれて善光寺参り」で有名な「善光寺」に行く予定だったのですが何を勘違いしていたのか、「善光寺」が松本市(実際は長野市元善町)にあると思っていた私は、「善光寺」に行くにはちょっと時間がかかりすぎることに気がつき、急遽「上田城」を訪れることにしました。本当に「うっかり八兵衛」ならぬ「うっかり市郎右衛門」です。

国宝「松本城」の美しさに見とれる



「松本城」は松本平野に作られた平城で堀に天主が映る唯一の城とも言われています。確かに松本市の平地に建てられた「松本城」の水面に映る姿はとても美しいものでした。

ただ、難を言えば(言うか?)城主が変わりすぎて、だれだれの城のイメージが無いのが残念ですね。

近頃、何処へ行くにも余りの強行軍で事前の勉強ができていないことから、ボランティアガイドさんをできるだけ頼むように心がけています。各地で気が付くのですが、ボランティアガイドさんがすごく多くなりました。2020年の東京オリンピックに向けて各地の観光文化が盛り上がっているのかもしれません。

さらには、どこの城や寺院・神社でも改築・改修(ラッシュ)が行われているような気がします。これもオリンピックが近づいたからかもしれません「松本城」も「乾小天守」と言われる部分は改修中で入ることができませんでした。美しい松本城皆さんも一度ご覧になってはいかがですか?

落ちない城「上田城」を納得!



天正11年(1583年)真田昌幸によって築城された上田城は、第1次第2次上田合戦で徳川軍を2度にわたり撃退した難攻不落の城と言われています。春は上田城千本桜まつり、秋には上田城けやき並木紅葉祭りが行われ、「真田丸」の大河ドラマの影響もあるのか?信州上田の主たる観光地として観光客で賑わっています。

P7192655.jpg(本丸櫓門「復元大手門」難攻不落の「尼ヶ淵」)
P7192657.jpg(「尼ヶ淵」側の無料駐車場から見上げる西櫓は難攻不落を感じさせる存在感が圧巻!)

徳川の大軍を二度にわたって撃退したことから、城南にある上田神社は落ちないというご利益で受験生の間で人気だそうです 。私ももちろんお守りと御朱印を頂いて帰りました。ご朱印の数がちょっと半端なく多かったです。翌々日からまた新しい、夏バージョンのご朱印が出るということで、上田市に住んでいる人以外全て集められるとはとても思えません。数えただけでも20以上は御朱印のバージョンがあったような気がします。そんなところも旅行の楽しみかもしれませんね。

落ちない城のイメージですが、千曲川を城の堀代わりに使い、「尼ヶ淵」と呼ばれる岸壁が、天然の要害となって難攻不落の城にしたのだということがよくわかりました。

関ヶ原の合戦後、西軍についた真田昌幸幸村親子は九度山に幽閉され、破却された上田城は仙石(権兵衛)久秀が城主の時代に再建されました。その後、江戸時代中期の宝永3年(1706年)上田藩より我が故郷「但馬国」出石藩に国替えとなった仙石政明が、蕎麦(信州そば)職人を連れて行ったことから、現在の有名な出石そばの発展につながりました。

我が但馬、出石蕎麦の原点に出会う



我が実家のある「但馬国」豊岡市出石町の皿そばは有名ですが、原点はこの地上田藩から国替えになった仙石政明が信州そばの職人を連れてきたことに始まります。

せっかくなので、信州そばを食べて帰ろうと思ってGoogle検索したところ、。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など、戦国・江戸時代を舞台にした時代小説で有名な有名な池波正太郎さんが通ったといわれる、「刀屋」というお蕎麦屋さんが有名だと分かりました。閉店寸前でしたが、こちらは井伊谷の「龍潭寺」と違いどうにか30分前に滑り込みセーフ、美味しい信州そばを味わいました。ただ、そのレポートはまたの機会にいたします(笑)。

P7192671.jpg(今回は「刀屋」さんの玄関だけです。)

「…上田へはじめて行き、五目ほど滞在したときに 「刀屋」の蕎麦を、これもはじめて口にした。 東京では口にすることのできぬ、本物の手打ちだ。 私は先ず、その蕎麦切りの手練のほどにびっくりした。 いまも老主人が蕎麦を切っているが、一種の 「名人芸」だろう。 信州の真田藩をテーマにした小説をいくつも書いてきた私は、いま「真田太平記」という六年がかりの長篇を週刊誌に連載しているが、そうなると、どうしても上田へは何度も足を運ぶことになってきて、刀屋の蕎麦とも、すっかりなじみになってしまった。…」。

~池波正太郎「散歩のとき何か食べたくなって」より~と池波正太郎さんも絶賛されてます。

P7192759.jpg(最後に上田駅前の真田信繁「幸村」像、温度計見えますか?夕方4時過ぎてますけどね~(;^_^A)


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