八日間の取材旅行報告!7月15日「駿府城」「久能山東照宮」「浅間神社」 - 「高天原の縁側日記」
FC2ブログ
2018/07/23

八日間の取材旅行報告!7月15日「駿府城」「久能山東照宮」「浅間神社」

取材2日目7月15日は、「駿府城」「久能山東照宮」「浅間神社」と取材して来ました~。「脱サラして企業設立」表明したまま取材旅行に出かけ、八日にわたってPCを全く構わず。「こりゃ、ブログ挫折したな!」と、思われた方々も多かったと思います(ランキング順位が如実に物語る?笑)。しかし前回・前々回とも申しましたとおり、歴史ブログは、私の人生のテーマですから、勿論続けますし(猛暑の中、八日間しっかり取材して来ました。)、日本文化の伝承と発信を、生涯の仕事と考えて第二の「柳宗悦(思想家)」を目指す目標も忘れてはおりません。



【プロローグ】富士登山前日の久能山 東照宮の1159段「いちいちご苦労さん」は無理!



7月13日の夜は車中泊!今の車は、軽自動車でもフラットに成るので、それほどは苦しく無いのですが、コンビニの隅はちょっと恥ずかしいです。

そんな時は、道の駅がオススメ、トイレもあるし、元々が何時でも利用して下さいの場所なので、とても便利です。

猛暑の為に、朝涼しくなるまでエンジンかけっぱなし、ガソリンへるへる(笑)。

一応は、ハイブリッドもどき?のスズキのワゴンRなんですけれどね。

P7150438.jpg
(当然お解りと思いますが、当たり障りの無い写真を少なめに使用しています。)

15日(日曜日)の取材は、たぬき親父(家康)が余生を過ごした「駿府城」に墓所の「久能山 東照宮」と巡りましたが、最初に記載したように、東照宮は階段が1159段なんです。

私、明日富士山登るよね~~?やっぱりやめとこ、と思っていたら、日本平からロープウェイがあるじゃないですか!

これや~~!と車の中で叫びなからガッツポーズしたとか、しなかったとか(笑)。

ロープウェイの駅前で、桜海老と白魚の団子を食べて、駿河湾の海幸も満喫?したつもりになって、富士宮市の「浅間神社」へ向かいました。

毎度申しますが、本来は皆様に一社・一寺・一所ずつ、ご紹介するのが筋なのですが、とりあえず”真面目に取材をしてきました”のご報告を先にさせて頂きます。

取材場所だけを、順次日にちごとに上げていき、後に書くで有ろう本編で、細かいところを補足したいと思っています。

今回の第一目的の富士登山は、正に日本一の山で素晴らしかったですが、疲れも半端がなかったです(空気の薄いのが一番つらいです)。

それでも、皆さんも一度富士山に登ると人生観変わりますよ~~!是非登山してみてください(何といっても、日本のてっぺんですからね)。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
ブログランキングならblogram
👆絶賛ランキング参加中!四つのバナータグを「 ポチっと」クリックして応援お願いします。
|o´艸)。oO(Thank you)。

バナーをクリックしますと、ランキングページに移動します。そこで慌てないでくださいね~!有難いことに現在、市郎右衛門のブログは、皆さんのお陰でランキングTOP10にINしておりますので、「高天原の縁側日記」をもう一度クリックして頂きますと、元のブログに戻ります(^人^)。又PCの片方は、Ctrlを押しながら「ポチっと」上のバナーを押していただけますと、ブログから離脱せずに応援していただけます。



たぬき親父「駿府城」で余生を過ごす。


駿府城(すんぷじょう)は、現在の静岡県静岡市葵区にあった城です。別名は府中城や静岡城などと呼ばれました。

14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏によって、この地には今川館が築かれ今川領国支配の中心地となりました。

今川氏は隣接する甲斐国の武田氏、相模国の後北条氏と同盟を結び領国支配を行いましたが、16世紀には甲斐を中心に領国拡大を行っていた武田氏との同盟関係が解消され、武田氏の駿河侵攻により今川氏は駆逐され、城館は失われてしまいます。

武田氏は1582年(天正10年)に織田・徳川勢力により滅亡し、駿河の武田遺領は徳川家康が領有となります。徳川氏時代に駿府城は近世城郭として築城し直され、この時に初めて天守が築造されました。

江戸時代初期、家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、大御所となって江戸から駿府に隠居します。このとき駿府城は天下普請によって大修築され、ほぼ現在の形である3重の堀を持つ輪郭式平城が成立します。

天守閣は、石垣天端で約55m×48mという城郭史上最大のものでした。しかし1607年(慶長12年)に、完成直後の天守や本丸御殿などが城内からの失火により焼失してしまいます。その後直ちに再建されましたが、1610年(慶長15年)再建時の天守曲輪は、7階の天守が中央に建つ大型天守台の外周を隅櫓・多聞櫓などが囲む特異な構造だったようです。

P7150421.jpg(現在も発掘中です。)

現在も、発掘調査が行われており、調査の様子も見ることが出来ました。

家康の墓所「久能山 東照宮」


P7150591.jpg(扁額「東照大権現」)

久能山 東照宮(くのうざんとうしょうぐう)は、日本の静岡市駿河区根古屋に所在する神社で、晩年を駿府で過ごした徳川家康が元和2年(1616年)に死去した後、遺命によってこの地に埋葬されました。

徳川家康は生前、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)との遺言を残します。

この遺命により御遺骸を久能山に埋葬し、その地に2代将軍秀忠の命により久能山東照宮が創建されました。

気になるのは、家康の御霊を久能山から日光に移した際、遺体も移したのか?ですよね、改葬は「大化の改新」で知られる藤原鎌足の死後1年後、摂津から大和に遺体を移した故事にならったものとされ、「遺体も移ったと考えるのが自然」とみる識者もいるようです。

現宮司は「家康公は今もここに眠っていると思っている。四角い棺(ひつぎ)の中に正装して座し、西を向いているはず。遺体を日光に運んだのなら、久能山に大きな墓を建てる必要はなかった」と話されてるようです。

明日は富士登山!無事を祈願「富士山本宮浅間神社」


P7150811 (2)(登山の無事を「此の花咲くや姫」にお願いしとかなきゃね。)

富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は、静岡県富士宮市にある神社です。式内社(名神大社)、駿河国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社と成っています。

全国に約1,300社ある浅間神社の総本社でも有り。「富士山信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されています。

P7150952.jpg(富士の湧水が滾々と湧き出ています。チドメグサが可愛くてパチリ。)

富士山の8合目以上の約385万m2も社地として所有しています。

つまり、富士山の頂上は富士山本宮浅間神社の境内で奥の院なのです。

決意変わらず!「脱サラして起業の勉強するぞ」


bnr_header_pc_sozai_01_20180731200258b05.png

12の無料プレゼントがもらえる次世代起業家育成セミナーはコチラ

実はある日、ブログサークルのお友達のブログを見ていると、一つの広告に目が留まりした。

それが「次世代セミナー」で、最初は一万円(無料プレゼント確かに受け取りました)の小遣い欲しさでした。(笑)

しかしながら、一月の無料登録をしてみると、これが良く出来ていてとても面白いのです。

その中で、成る程な言葉が耳に焼き付きました。「自分自身に投資せよ!」「そして一歩を踏み出す勇気を!」。

年齢的にもこれが最後のチャンスかもしれないと考えて、自己投資して一歩を踏み出してみようと決心しました。

私の夢は、日本文化の伝統を継承するために、第二の(山陰の)「柳宗悦(思想家)」になる事です。

ですから歴史ブログは絶対にやめませんし、「柳宗悦」さんは大きな目標ですが、少しずつでも近づきたいと考えています。


【メールで受け取れる加藤将太さんからのプレゼント】


■以前は1万円で販売していた、丸2日間のセミナー映像を編集した。
『次世代起業家育成セミナー 特別編』

■感想を送り続けることで、
12回に渡っての全18の『無償プレゼント』を受け取ることができます。

「経営時間は1日3時間・元手20万円でも、1年以内に1億円事業を創る」僕の経営手法を全て映像とPDFで話した秘密のセミナー。

まず最初の動画は、21分間です。以下からご視聴いただけます。

期限は1週間で、1週間以内に動画を見た感想を簡単に送った場合のみ、次の動画を視聴することが可能です。

まずは、21分間という時間を投資して、僕のセミナー映像をご覧ください。

PDFを見ても楽しいと思いますし、動画+PDFも有りですね。

お好きな方法でご覧いただければと思います(もちろん無料!損はさせませんよ)。

12の無料プレゼントがもらえる次世代起業家育成セミナーはコチラ

【最後にもう一言】「次世代起業セミナー」って?





セミナー講師は、 ココデ・グローバル株式会社 代表取締役
加藤将太さんです。

【経歴】
京都大学工学部電気電子工学科卒業
京都大学経営管理大学院経営管理専攻事業創再生マネジメントコース終了 MBA取得
(株)NTTデータ 第一公共事業本部 第二公共システム事業部 勤務後、独立

京都大学大学院にてMBAを取得後、
(株)NTTデータ等での勤務を経て、26歳の時に起業。(元手20万円)

1年目で年商1.1億を達成し、延べ1,000名以上を面接し社員数十人を使う社長になる。
2年目で年商2億6千万円を達成。

書籍流通支援システム、法人向けデータマーケティング支援システム等の開発・販売を行う一方で、
MBAで学んだ知識や、実際にゼロから短期間で事業を軌道に乗せた経験を伝える活動を行う。

2013年より開始した「次世代起業家育成セミナー」は
これまでに5回開催され、累計3,000名の法人代表・法人代表候補・起業家の卵が参加。




この経歴!凄いとしかいえません。

一般公立中学から高専、そして京都大学。

新聞配達のバイトを経て起業も凄いですね。

義弟の大学・学部の後輩ということも、加藤さんに親近感を持った原因のひとつです。

いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
下の日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナー「ポチっと」と、クリックして頂けましたら嬉しいです。

ブログランキングならblogram




CROOZ


関連記事
  

コメント

非公開コメント