『出雲大社』「荒垣内摂社」で神々と御縁を結ぶ旅!vol④
本殿以外の全ての瑞垣内の建物をご紹介させていただきます。御紹介漏れは、「門神社」二社・「神饌所」二棟・本殿東の「天前社」「御向社」・本殿西の「筑紫社」です。
目次
【プロローグ】やっと平常が職場に戻った。
・御門を守られる神を祀る「門神社」二棟
・神様へのお供えを準備する「神饌所」二棟
・大国主大神を治療した蚶貝比売命と蛤貝比売命を祀る「神魂伊能知比売神社(天前社)」正后 須勢理毘賣命を祀る「大神大后神社(御向社)」
・宗像三女神の多紀理比売命を祀る「神魂御子神社(筑紫社)」
【最後に一言】本気で頑張れ~~~日本!。
【プロローグ】やっと平常が職場に戻った。
・御門を守られる神を祀る「門神社」二棟
・神様へのお供えを準備する「神饌所」二棟
・大国主大神を治療した蚶貝比売命と蛤貝比売命を祀る「神魂伊能知比売神社(天前社)」正后 須勢理毘賣命を祀る「大神大后神社(御向社)」
・宗像三女神の多紀理比売命を祀る「神魂御子神社(筑紫社)」
【最後に一言】本気で頑張れ~~~日本!。
【プロローグ】やっと平常が職場に戻った。
金曜日に帰宅する準備をしていると、大阪モノレール彩都線が再開通されました。私は車通勤なので関係はないのですが、他の社員皆さんの通勤の足が戻ったことで、仕事ルーティンも平常に戻ると思います(結構チームワークな面も有りますので)。
今回の大阪北部地震は、我が家にとっては大きな被害もなかったわけですが、地震大国日本としては、またいつかどこかで、同じような天災が今後も起きることは否めません。是非皆さんも、もう一度地震などの天災に対する準備をして頂きたいと思います。いえ、必ず準備してください!
(兎の可愛さに本当に癒されます。)
さて今回ご紹介するのは、「出雲大社」八足門内の「本殿」以外の全ての建物および、お社です。今日のご紹介で出雲大社で紹介する建物の残りは、「拝殿(重要文化財)」と「本殿(国宝)」のふたつとなりました。どうにか、来週中にはご紹介できるものと考えています。
出雲大社の「八足門」内は正月三が日などの特別な日や、ご祈祷を受けた方以外は入ることができない特別なエリアです。今回も写真は私の撮影したものと、平成の大遷宮事業パンフレットの併用に成ります。
【おことわり】
些細な事ですが、寺社仏閣をご紹介する事が多くなりましたので人気ブログランキングのカテゴリーを寺社仏閣に変更しています。ブログ村は以前の通り日本史カテゴリーです。
それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。




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瑞垣の内側、八足門を入ったところに、二つ向かい合ったようにあるのが「門神社(もんじんのやしろ)」です。御門を守られる神として東側は宇治神(うぢのかみ)、西側には久多美神(くたみのかみ)がお祀りされています。プロローグでも申しましたように、八足門内は通常では入れませんので、そっと瑞垣の外からのお詣りをお勧めします。
「門神社」は瑞垣内八足門を入った、東西両側に向かい合わせに立つ二棟のお社です。この社殿は本殿と異なり、縁がなく社殿と木階が一つの屋根の下にあります。本殿や御向く社などを簡略化した建物の形式と言えます。
神饌所は建立寛文7年(1667年)楼門をくぐった玉垣内の両脇にあります。大きさは両方とも三間×三間で屋根は入母屋の檜皮葺きです。
寛文の造営で建てられた建物を、延享の造営で建て直す際に、柱の外側表面を薄く削り移築されたものです。このような建物が境内には多く残っています建物の内部は神様へのお供え物(神饌)を準備するための棚が設けてあり、出入り口は本殿に向く北面にあります。
東神饌所の屋根は檜皮葺の下に割板による下地屋根(土居葺き)のある二重屋根になっています。
脇宮三社と呼ばれる「大神大后神社(御向社)」「神魂伊能知比売神社(天前社)」及び下でご紹介する、「神魂御子神社(筑紫社)」は、延享元年(1744年)建立の本殿摂社です。本殿を取り囲む玉垣東に「大神大后神社(御向社)」「神魂伊能知比売神社(天前社)」、西に「神魂御子神社(筑紫社)」があり、この三社は全て形と大きさが同じに作られています。社殿の形式は大社造の本殿に似ていますが、正面中央に宇豆柱がないため御扉や階隠しが社殿の中央にあるのが特長的です。
配置が良く考えられていると思うのですが、東側左(本殿側)に大国主の正后・須勢理毘賣命を祀る「御向社」右に大国主大神を治療した蚶貝比売命と蛤貝比売命を祀る「天前社」があります。
大国主神の神話で、たくさんの兄神たちである八十神から嫉視された大国主神が、八十神が猪と偽って山上より転がした焼ける岩を抱き止めて焼け死んだところへ、「神産巣日之命」の命令によって蚶貝比売命と蛤貝比売命両神が派遣され、蚶貝比売命が「刮(きさ)げ集め」、蛤貝比売命が「持ち承(う)けて、母(おも)の乳汁(ちしる)を塗り」て治療を施すと、大国主神は蘇生したとされています(そのことから看護の神さまとして信仰されています)。
こちらは、ちょっとご紹介したい私のとっておき神社が鳥取県南部町に有るのでご紹介させてください。因幡の白兎(稲羽の素兎・しろうさぎ)の続編、八上比賣(やがみ姫)と結婚した、大穴牟遲神(おおなむじ→大国主命)は八十神から嫉視され、八十神が猪と偽って山上より転がした焼ける岩を抱き止めて焼け死んでしまいます。その岩を封印している再生の神社「赤猪岩神社」です。
瑞垣内、こちら側にあるお社は大国主大神のお后様で宗像三女神の一柱、多紀理比売命(たぎりひめのみこと)をお祀りしている「筑紫社(つくしのやしろ)」です。多紀理比売命は筑紫(福岡県)の宗像神社の祭神でもあります。古代から筑紫と出雲とは深い関係であったことを思わせます。正妻の反対側です(笑)。
『古事記』の大国主神の系譜では、大国主神との間に阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね・味耜高彦根神)と下照姫(したてるひめ)を生んだと記されています(この二神、私は大ファンなんです。)。
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御門を守られる神を祀る「門神社」二棟
瑞垣の内側、八足門を入ったところに、二つ向かい合ったようにあるのが「門神社(もんじんのやしろ)」です。御門を守られる神として東側は宇治神(うぢのかみ)、西側には久多美神(くたみのかみ)がお祀りされています。プロローグでも申しましたように、八足門内は通常では入れませんので、そっと瑞垣の外からのお詣りをお勧めします。
「門神社」は瑞垣内八足門を入った、東西両側に向かい合わせに立つ二棟のお社です。この社殿は本殿と異なり、縁がなく社殿と木階が一つの屋根の下にあります。本殿や御向く社などを簡略化した建物の形式と言えます。
神様へのお供えを準備する「神饌所」二棟
神饌所は建立寛文7年(1667年)楼門をくぐった玉垣内の両脇にあります。大きさは両方とも三間×三間で屋根は入母屋の檜皮葺きです。
寛文の造営で建てられた建物を、延享の造営で建て直す際に、柱の外側表面を薄く削り移築されたものです。このような建物が境内には多く残っています建物の内部は神様へのお供え物(神饌)を準備するための棚が設けてあり、出入り口は本殿に向く北面にあります。
東神饌所の屋根は檜皮葺の下に割板による下地屋根(土居葺き)のある二重屋根になっています。
大国主大神を治療した蚶貝比売命と蛤貝比売命を祀る「神魂伊能知比売神社(天前社)」正后・須勢理毘賣命を祀る「大神大后神社(御向社)」
脇宮三社と呼ばれる「大神大后神社(御向社)」「神魂伊能知比売神社(天前社)」及び下でご紹介する、「神魂御子神社(筑紫社)」は、延享元年(1744年)建立の本殿摂社です。本殿を取り囲む玉垣東に「大神大后神社(御向社)」「神魂伊能知比売神社(天前社)」、西に「神魂御子神社(筑紫社)」があり、この三社は全て形と大きさが同じに作られています。社殿の形式は大社造の本殿に似ていますが、正面中央に宇豆柱がないため御扉や階隠しが社殿の中央にあるのが特長的です。
配置が良く考えられていると思うのですが、東側左(本殿側)に大国主の正后・須勢理毘賣命を祀る「御向社」右に大国主大神を治療した蚶貝比売命と蛤貝比売命を祀る「天前社」があります。
大国主神の神話で、たくさんの兄神たちである八十神から嫉視された大国主神が、八十神が猪と偽って山上より転がした焼ける岩を抱き止めて焼け死んだところへ、「神産巣日之命」の命令によって蚶貝比売命と蛤貝比売命両神が派遣され、蚶貝比売命が「刮(きさ)げ集め」、蛤貝比売命が「持ち承(う)けて、母(おも)の乳汁(ちしる)を塗り」て治療を施すと、大国主神は蘇生したとされています(そのことから看護の神さまとして信仰されています)。
こちらは、ちょっとご紹介したい私のとっておき神社が鳥取県南部町に有るのでご紹介させてください。因幡の白兎(稲羽の素兎・しろうさぎ)の続編、八上比賣(やがみ姫)と結婚した、大穴牟遲神(おおなむじ→大国主命)は八十神から嫉視され、八十神が猪と偽って山上より転がした焼ける岩を抱き止めて焼け死んでしまいます。その岩を封印している再生の神社「赤猪岩神社」です。
宗像三女神の多紀理比売命を祀る「神魂御子神社(筑紫社)」
瑞垣内、こちら側にあるお社は大国主大神のお后様で宗像三女神の一柱、多紀理比売命(たぎりひめのみこと)をお祀りしている「筑紫社(つくしのやしろ)」です。多紀理比売命は筑紫(福岡県)の宗像神社の祭神でもあります。古代から筑紫と出雲とは深い関係であったことを思わせます。正妻の反対側です(笑)。
『古事記』の大国主神の系譜では、大国主神との間に阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね・味耜高彦根神)と下照姫(したてるひめ)を生んだと記されています(この二神、私は大ファンなんです。)。
コメント
はじめまして
ワタクシも出雲大社へ行ったのではありますが、野田泉光院の足跡を書くのに必要な程度にしか見ておりませんので、市郎右衛門さまの写真、ゆっくり拝見させて頂きます。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
2018-06-27 22:03 ヨリックです URL 編集
Re: はじめまして
> ワタクシも出雲大社へ行ったのではありますが、野田泉光院の足跡を書くのに必要な程度にしか見ておりませんので、市郎右衛門さまの写真、ゆっくり拝見させて頂きます。
> これからもどうぞよろしくお願い致します。
ヨリックさんコメントをありがとうございました。私は専門理系ですので野田泉光院さんを存じ上げておりませんでした。
その上未知の世界?九州、山岳信仰の修験者で俳人ですか、大山も来られたのかな?
まだまだな私ですがこれからもよろしくお願いいたします。
2018-06-29 23:31 市郎右衛門 URL 編集