『出雲大社』「荒垣内摂社」で神々と御縁を結ぶ旅!vol②
引き続き荒垣内摂社と建造物を、ご紹介させていただきます。瑞垣内は次回のおたのしみです。
【プロローグ】荒垣内摂社の素鵞社と文庫・彰古館・宝庫をご紹介させていただきます。
出雲大社に車で参拝しますと、参道の西側に大きな駐車場があるのですが、拝殿に向かうにはお土産屋さんが並ぶ細道を神楽殿の方角(北)に歩き、千家家館前・神楽殿前(祓社がありますのでお詣りしてください。)の道路から出雲大社荒垣内に入る事が出来ます。つまり横から入るにもかかわらず、荒垣内の銅鳥居の中に入る事に成ります。
今日は、荒垣内で瑞垣外の拝殿(改めてご紹介させていただきます。) 神祜殿(宝物殿)・収蔵庫・仮拝殿・庁舎以外の荒垣内の建物で、前回ご紹介出来なかった建築物の荒垣内摂社の素鵞社と文庫・彰古館・宝庫をご紹介させていただきます。
(嫌いな方は申し訳ないのですが無類の蛙好き。無事帰るにかけて拉致被害者の皆さん無事帰れ!)
今更ですが出雲大社建築物の歴史について少しお話しさせていただきます。出雲大社は『古事記』や『日本書紀』の日本神話において特に重要な神社として登場し大国主大神をっ御祭神としています。神話では国譲りの時に神の国の宮殿と同じように太い柱や厚い板で本殿が建てられたと語られています。また平安時期には平安時代には奈良にある東大寺大仏殿を凌ぐ48mのもの高さがあったと記録されています。
現在の境内は江戸時代前期、寛文7年(1667年)の造営遷宮で計画されたもので、今もその時の建物が多く残っています。本殿など瑞垣内のお社はその次の延享元年(1740年)の造営遷宮で建て替えられたものです。今の本殿はかつての半分ほどの高さですが国内最大級の社殿建築であり往時のお社を彷彿とさせる迫力があります。
遷宮はその後、文化6年(1809年)明治14年(1881年)昭和28年(1953年)に行われ、そのたびに本殿をはじめとする諸社殿の修造が行われてきました。平成の修造については、平成20年から8年にわたる「平成の大遷宮」の主事業として行われ平成25年5月10日には本殿遷座祭が執り行われました。
それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。




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素鵞社(そがのやしろ)は延享2年(1745年)以降に建立され、本殿は出雲大社本殿後方の山際に築かれた石垣の上にあり、素戔嗚尊が祀られています。社殿は延享の造営で建られたもので、この時に立て替えられた出雲大社本殿や御向社、門神社などの寛文造営時に使われていた部材が一部使用されています。社殿の形式は二間×二間の大きさで、切妻造妻入、檜皮葺で、正面東側に階隠しが取り付きます。本殿を一回り小さくしたような形ですが、心御柱がない点が本殿と異なります。
平成の修造では小屋裏などから延享造営時の墨書きが見つかり、素鵞社本殿の製造年月が延享2年(1740年6月など〉とわかった他、建設に神門郡(現在の出雲市南部)の大工が携わって言ってることもわかりました。
文庫(ぶんこ)は、素鵞社東に立っています。土蔵部分文化年間以前庇(ひさし)部分は文化5年(1808年)の建立されています。もとは現在の彰古館の位置にありましたが、大正元年(1912年)に彰古館建設に伴い移築されました。土蔵の周囲三方(南東西)に木造の平屋(庇と呼んでいます。)が取り付いています。これまで建立年代が不明でしたが修理中に見つかった墨書から庇部分は文化5年(1808年)に建てられたとわかりました。土蔵についても使用されている木材の材質や仕様などから文化年間以前とわかり貴重な建物と判明しました。
彰古館は、大正3年(1914年)に、出雲大社の宝物館として造営されています。現在は銅鳥居の右脇に神祜殿(宝物殿)が新設されていますので、あまり目立たなくなっています。彰古館の役割りは、出雲大社に伝わる各種資料を陳列・展示するための建物の様です。館内には「大小の大黒様」、「えびす様の木造彫刻」や、「神楽用の楽器類」、「出雲大社の1/30分のサイズの模型」さらに神社に伝わる古文書類も多数展示されています(拝観料200円)。
宝庫は寛文7年(1667年)に宝物を納める為の建物として((-"-;A ...アセアセ)建立されました。境内の西側北寄りに立っています。建物の壁は、東大寺正倉院と同じ校倉造りに見せかけた断面が三角形の木材を水平に積み重ねる工法となっています。
建物は寛文期のものですが、建立当時は現在地よりやや北東に位置していました。また明治の造営で大規模な修理が行われていたことがわかりました。平成17年(2005年)に屋根葺き替え行ったので「平成の大遷宮」の修理では木部の修理とゆがみの是正などを行いました。
近頃、悲しいニュースばかりが新聞紙面を躍っています。「目黒虐待死事件」死亡した女児が遺した、ひらがなだけの”もうおねがいゆるしてゆるしてください”と書かれたノートが日本中に衝撃を与えました。静岡では闇サイトを使った「看護師拉致遺棄事件」、新幹線の安全神話を揺るがしかねない「東海道新幹線殺傷事件」、走行中の東海道新幹線車内で男女3人が刃物で襲われ男性1人が死亡した事件など、どこかおかしいくないか?ということが多いですよね。
それぞれに、対策を真剣に考えなければいけないと思いますが、私的には日本中が喜びに浸れるような良いニュースが新聞を賑やかにすることを期待しています。例えば「阪神タイガース優勝!」オットこれは間違えました、個人的な事ではいけません。「拉致被害者全員帰国」とか、したたかな北朝鮮相手に簡単にはいかないと思いはしますが…、「日本代表ワールドカップ優勝!」本日、朝のスペイン×ポルトガル戦を見た限は、100年は無理と思いましたが…、ああああああああ!やっぱりそう簡単には行かよな~~~!
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荒垣内摂社の素鵞社
素鵞社(そがのやしろ)は延享2年(1745年)以降に建立され、本殿は出雲大社本殿後方の山際に築かれた石垣の上にあり、素戔嗚尊が祀られています。社殿は延享の造営で建られたもので、この時に立て替えられた出雲大社本殿や御向社、門神社などの寛文造営時に使われていた部材が一部使用されています。社殿の形式は二間×二間の大きさで、切妻造妻入、檜皮葺で、正面東側に階隠しが取り付きます。本殿を一回り小さくしたような形ですが、心御柱がない点が本殿と異なります。
平成の修造では小屋裏などから延享造営時の墨書きが見つかり、素鵞社本殿の製造年月が延享2年(1740年6月など〉とわかった他、建設に神門郡(現在の出雲市南部)の大工が携わって言ってることもわかりました。
文庫
文庫(ぶんこ)は、素鵞社東に立っています。土蔵部分文化年間以前庇(ひさし)部分は文化5年(1808年)の建立されています。もとは現在の彰古館の位置にありましたが、大正元年(1912年)に彰古館建設に伴い移築されました。土蔵の周囲三方(南東西)に木造の平屋(庇と呼んでいます。)が取り付いています。これまで建立年代が不明でしたが修理中に見つかった墨書から庇部分は文化5年(1808年)に建てられたとわかりました。土蔵についても使用されている木材の材質や仕様などから文化年間以前とわかり貴重な建物と判明しました。
彰古館
彰古館は、大正3年(1914年)に、出雲大社の宝物館として造営されています。現在は銅鳥居の右脇に神祜殿(宝物殿)が新設されていますので、あまり目立たなくなっています。彰古館の役割りは、出雲大社に伝わる各種資料を陳列・展示するための建物の様です。館内には「大小の大黒様」、「えびす様の木造彫刻」や、「神楽用の楽器類」、「出雲大社の1/30分のサイズの模型」さらに神社に伝わる古文書類も多数展示されています(拝観料200円)。
宝庫
宝庫は寛文7年(1667年)に宝物を納める為の建物として((-"-;A ...アセアセ)建立されました。境内の西側北寄りに立っています。建物の壁は、東大寺正倉院と同じ校倉造りに見せかけた断面が三角形の木材を水平に積み重ねる工法となっています。
建物は寛文期のものですが、建立当時は現在地よりやや北東に位置していました。また明治の造営で大規模な修理が行われていたことがわかりました。平成17年(2005年)に屋根葺き替え行ったので「平成の大遷宮」の修理では木部の修理とゆがみの是正などを行いました。
【最後に一言】頑張れ日本!
近頃、悲しいニュースばかりが新聞紙面を躍っています。「目黒虐待死事件」死亡した女児が遺した、ひらがなだけの”もうおねがいゆるしてゆるしてください”と書かれたノートが日本中に衝撃を与えました。静岡では闇サイトを使った「看護師拉致遺棄事件」、新幹線の安全神話を揺るがしかねない「東海道新幹線殺傷事件」、走行中の東海道新幹線車内で男女3人が刃物で襲われ男性1人が死亡した事件など、どこかおかしいくないか?ということが多いですよね。
それぞれに、対策を真剣に考えなければいけないと思いますが、私的には日本中が喜びに浸れるような良いニュースが新聞を賑やかにすることを期待しています。例えば「阪神タイガース優勝!」オットこれは間違えました、個人的な事ではいけません。「拉致被害者全員帰国」とか、したたかな北朝鮮相手に簡単にはいかないと思いはしますが…、「日本代表ワールドカップ優勝!」本日、朝のスペイン×ポルトガル戦を見た限は、100年は無理と思いましたが…、ああああああああ!やっぱりそう簡単には行かよな~~~!
「夏のボーナス過去最高を更新!どうです?私は夏のボーナスない会社なので関係ないのですが、皆が幸せを感じるムーブメント起こしてくれ~~~!頑張れ日本。
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