「ゴールデンウィーク企画」最終回?は我が村の神社『井田神社』をご紹介します。
「ゴールデンウィーク実家帰省企画」の最期を飾るのは、私の故郷の思いで詰まった”兵庫県豊岡市日高町鶴岡区”の村社『井田神社』です。
前回も申しましたように、鶴岡区は、日高町(市町村合併によって現在豊岡市日高町(旧:城崎郡日高町)の中でも歴史上一番といっても過言では無い大きな地区です(地図をご覧に入れます。)。
勿論但馬地方の過疎化によって人口は減ってきてはいますが、平安時代に国府が存在した場所(二度の移動があり二期国府の位置は確定出来ていません。)と、明治以降日高町久斗地区にグンゼ工場の社員寮(女工さんがかなりの人数労働に従事していました。)が有った時期意外は、日高町(旧但馬國氣多郡)最大の人口を誇っています。
前回も申しましたように、鶴岡区は、日高町(市町村合併によって現在豊岡市日高町(旧:城崎郡日高町)の中でも歴史上一番といっても過言では無い大きな地区です(地図をご覧に入れます。)。
勿論但馬地方の過疎化によって人口は減ってきてはいますが、平安時代に国府が存在した場所(二度の移動があり二期国府の位置は確定出来ていません。)と、明治以降日高町久斗地区にグンゼ工場の社員寮(女工さんがかなりの人数労働に従事していました。)が有った時期意外は、日高町(旧但馬國氣多郡)最大の人口を誇っています。
目次
【プロローグ】故郷の誇りを確かめに『八幡さん』にお詣り。
・兎追いしあの頃、「凄いぜ!でかいぜ!」
・伊福城が併設されています(笑)。
・式内社:但馬國氣多郡『井田神社』
・兵庫県無形文化財”井田大神楽”と四年に一度の大祭り
【最後に一言】三つ子の魂百まで。
【プロローグ】故郷の誇りを確かめに『八幡さん』にお詣り。
・兎追いしあの頃、「凄いぜ!でかいぜ!」
・伊福城が併設されています(笑)。
・式内社:但馬國氣多郡『井田神社』
・兵庫県無形文化財”井田大神楽”と四年に一度の大祭り
【最後に一言】三つ子の魂百まで。
起業の話と「次世代起業セミナー」を勧める訳
【プロローグ】故郷の誇りを確かめに『八幡さん』にお詣り。
子供の頃は、お詣りに行くというよりはよく遊びに行きました。カブトムシやクワガタムシを取りに行く場所でした。私が初めて徹夜をしてカブトムシを一人で捕獲したのも、この神社でした。要領の良い上級生がいつも私よりも先に行って昆虫を取ってしまっていたので、絶対に欲しかった私にとっては徹夜して暗いうちにチャレンジするしか彼らに勝てる方法はなかったのです。最初に取った一匹はカブトムシの♀でしたがすごく嬉しかったことを記憶しています。
そんな井田神社ですが、古い歴史を誇る神社であるとともに円山川の岸壁という天然の要害を備えた山城「伊福城」という側面も持ち合わせています。今回ネットで地図を探してみたところ神社の裏山そのものが城として存在していたことにが分かり、びっくりしました。
それでは、『市郎右衛門』のブログをお楽しみください。


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”兎追いしあの頃”と書きましたが、実際は昆虫追いしあの頃ですね、先日クワガタムシの値段について検索するとミヤマクワガタとノコギリクワガタを比べるとミヤマクワガタの方が高額なのにびっくりしました。井田神社にはミヤマクワガタが以外に多くてノコギリクワガタが少なかったので、ノコギリクワガタの方が値段が高いと大人になるまで思っていました。ノコギリクワガタの顎のラインの美しさに魅了され、今でもノコギリクワガタは上手にスケッチできます。
上の地図は、鶴岡地区の現在の範囲を赤線で囲い表したものですが、いかに鶴岡地区が大きいかお分かりでしょう。実際に人が暮らしているのは円山川の西側と対岸一部なのですが地区が多くの山林を保有しているのは珍しいと思います。
時代を遡ること400年前、戦国時代に豊臣秀吉の弟秀長が但馬征伐(但馬人としては但馬侵略としたいです)の時秀長に味方して、”漫画センゴク”で有名な「仙石権兵衛久秀」や城作りの名人としても有名な「藤堂高虎」などと共に『水生城』を攻略した郷氏一族がいました。その一族は宵田城主の垣屋氏に代わって、但馬国氣多郡のほとんどを褒美として手中にしたと言われています。
その一族は現在も続いており地区のほとんどの土地に関係を持っておられます(つまり大庄屋さんです。)。さて我が家ですが、どちらかと言うと但馬側勢力であったと伝わっています。ただ郷氏一族との関係もあり、古くは婚姻関係も結んでいるようです(江戸初期に二度、我が家から嫁に行っているようです。その理由も調べたいですね。)。
戦国期の但馬は山名氏と山名氏四天王(垣屋・田結庄・太田垣・八木)が支配していましたが、「織田勢・羽柴秀吉軍」が攻撃を始め山名が有子山城(現出石城山城部)から逃れると、羽柴軍に内通するものも出て、毛利支配下の但馬勢力と二派閥に分かれて戦闘に成ります。この隙をつくように美作を抜けて因幡に攻め込んだ秀吉と対峙する事になった「毛利勢・吉川元春」は、但馬に援軍を送りようもなく弟「羽柴秀長軍」が難なく但馬を制圧しています。
次は伊福城概略ですが、山名氏の家臣下津屋氏の居城でした。康正年間(1455年~1457年)頃には下津屋伯耆守、永正年間(1504年~1521年)頃には下津屋新三郎、永禄年間(1558年~1570年)には下津屋安芸守、天正年間(1573年~1592年)には下津屋丹後守の名が城主として知られています。
「伊福城」は円山川に沿って北西に伸びた丘陵に築かれており、登山道が整備されていました。以前は地区の花見を北西五郭(曲輪4)あたりで催すことがありましたが、現在は台風の影響によって登山道が削られることも度々あり、花見なども催されなくなったことで、北西五郭の状況もよく分かりません。
主郭は山頂にあって東西に長く城内で最も広く平坦です。この主郭の周辺に腰曲輪などが付いており、曲輪の切岸も高く明瞭です。主郭の北西側は堀切状の窪地の先に一段の曲輪があり、南東側は竪堀が長く伸びた堀切と、北側のみ竪堀のような感じに落とした二重の堀になっています。また、北東側の山腹に三条の竪堀があり、西の二条はともに深く長く伸びているようです。子どもの頃に神社の裏山に当る城山中を駆けずりまわって遊びました。当時は城山だとは思ってなかったですね~(;^_^A
式内社但馬國氣多郡『井田神社(旧村社)』は主祭神「倉稲魂命(ウカノミタマミコト)」 配祀神に「誉田別命・気長足姫命(ホンダワケノミコト・オキナガタラシヒメノミコト)」を祀っています。
倉稲魂命(ウカノミタマミコト)は、『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記されます。名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神です。両書とも性別が明確にわかるような記述はないが、古くから女神とされてきました。『特選神名牒』には、大冝都比賣命(オオゲツヒメ)とありやはり穀物神です。
誉田別命(ホンダワケノミコト)応神天皇(おうじんてんのう)の事です。(仲哀天皇9年12月14日~応神天皇41年2月15日)は、第15代天皇(在位:応神天皇元年1月1日~同41年2月15日)。諱は誉田別尊(ほむたわけのみこと)、大鞆和気命(おおともわけのみこと)。
気長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)神功皇后は『古事記』ではオキナガタラシヒメ命という名で記され、神社ではその名で祀られることが多いです。オキナガとは地名とも長寿の意味とも言われ、タラシは尊称でこの語を名にもつ天皇も多いそうです。第十四代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后で、八幡神として祀られる第十五代応神天皇の母です。但馬では始祖とも言われる『日本書紀』では「天日槍」、『古事記』では「天之日矛」が出石神社に祀れており、神功皇后の祖先としても知られています。
創祀は不詳ですが、元々は倉稲魂命を祀っていましたが、嘉祥元年(848)悪疫流行の際、山城国「石清水八幡宮」より誉田別命・気長足姫命の二柱を勧請したと言われています。
山陰本線「江原駅」の北東1.5Kmほどの距離です。国道482号線を進み、円山川にかかる新鶴岡橋を渡って左に戻りと参道入口(鳥居)がありますが、車は通行止め、入口には「式内井田神社」と刻まれた社号標が立っています。車で向かうなら、新鶴岡橋経由上之郷区から井田神社へ向かう山道か、もしくは日置区日置橋から鶴岡区の多田谷経由の迂回路を使わないと行けなくなっています。
社号の井田は「いだ」とも「いた」とも読み、通称は伊福八幡社(伊福は鶴岡、江戸期前の名前です。)です。神社の鳥居は円山川に面しており、川の方向から階段が続き船着場があります。現在の参道が付く前は対岸から船で参拝するのが正式な参拝していました。鳥居(私の知る限り3回作り直され現在は御影石)をくぐり階段を上り、木々の茂った参道を進むと境内です。明治以降の一時期、円山川対岸の楯縫神社が井田神社に合祀されていましたが、昭和二十二年、現在地(対岸日高区)に分離されました。
『播磨国風土記』では、「アシハラシコの黒葛は一条は但馬の気多の郡に、一条は夜夫(養父・ヤブ)の郡に、もう一条はこの村(御方里・おごうり)に落ちたので三条(ミカタ)と云う。」とあり葦原醜男(大国主・アシハラシコ)と天之日矛の土地争いの話が出て来ます。
さらに『但馬故事記(貴重な歴史資料と考えるべきか偽物と考えるべきか?な書物です。)』では、神功皇后2年、気多の大県主の物部連大売布命が亡くなり、その子・物部多遅麻連公武をもって多遅麻国造とする。 多遅麻国造、彦狭知命(職の神)の末裔・楯縫首を召し、矛・楯を作らせ、(式内楯縫神社は現在地ではなく鶴岡字多田谷) 石凝姥命の末裔・伊多首を召し、鏡を作らせたとあります(式内井田神社)。伊多首は鏡造りの祖・石凝姥命(いしこりどめのみこと)事で鋳含(いふく)丘に祀りました。やはり伊福は鋳含から来ているようです。
(子どもだんじり、一つの区で出来るレベルは越していると思いませんか?凄いぜ~!)
井田神社大祭(ここでいう大祭四年に一度の事ではなく通常の秋のお祭り)は、鶴岡区の氏神である井田神社に奉納する秋の神事で、五穀豊穣、村内安全を祈願するため江戸初期から始まったと伝えられています。
例年は『大神楽』と「子どもだんじり」だけの奉納ですが四年ごとの夏のオリンピックの歳には区民総出の大祭が行われます(戦中戦後は時節柄、また男手不足から中断していました。私が中学生の1976年モントリオールオリンピックの年に再開されるようになったと記憶しています)。
昔の大祭では、屋台に乗る囃子や三十石船で円山川を渡る雅やかな船渡御(ふなとぎょ)勇壮な馬の早駆けなども行われ、一つの地区の祭としては稀有のにぎやかさでした。現在は、陸渡御(りくとぎょ)のみとなり、旗持ちと大太鼓を先導に神輿が練り歩き、それに続き屋台、囃子、大神楽、子供の手踊り、子供だんじりなどが随行して総勢300人の行列が区内を一日かけて巡行します。
(物語!横暴な獅子がおりました。)
(天狗が獅子の剣を奪って懲らしめようとします。)
(力比べをして、獅子をこらしめる天狗。)
(天狗が勝利して、改心した獅子に太刀を返します。)
(獅子は大変喜んで、豊穣の舞を踊る。伊勢大神楽は、”壬申の乱”の時に大海人皇子「後の天武天皇」が舞った姿を模しているといわれます。)
『井田大神楽』ですが「伊勢大神楽」の流れを汲むと思われ、兵庫県の無形文化財に指定されています。午前中に氏子を廻り「浄めの舞」を舞い、午後2時過ぎに井田神社本殿前で「幣の舞」「天狗の舞」「祇園囃子」「剣の舞」「わくわく」「豆ひろい」「乱獅子」を奉納します。円山川の対岸(左岸)にある楯縫神社と氏子が合併した時期があり、大神楽もかつては一つで、芸態・衣装などよく似ていますがいずれも、約200年前の文化年間が起源と伝えられています。
子供の頃の思い出は楽しいものばかりでもありません。せっかく捕まえたミヤマワガタを無理やり上級生に買い取られたこともあります。今思えばおかしな感じがしますが、両親は大変怒ってそのお金を私に返しに行かせました。その上私が採った虫までも、上級生にプレゼントしてしまいました。教育者だった両親は、そのようなことにも厳しかったような気がします。
さて今回久々に”お宮さん”を訪れ、やはり故郷はいいなあと感じました。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と言いますが、離れて生活しているからこそ素晴らしさに気がつきます。父が送ってくれる米や野菜や果物はいつも新鮮で美味しい、これで母が健在でいてくれたらと思う今日この頃です。
厳しかった父も八十歳を超え、少し弱くなったなあと感じるようになりました。そろそろ田舎に帰って面倒を見る日もそう遠くないのかもと考えてしまいます。親不孝をしてきた私、親孝行できる日にも限りが有ると考えると複雑な心境です。ブログを書き終えて、目を閉じると「子供だんじりの太鼓の音」「神楽の笛の音」が頭の中に鮮烈に蘇ってきました、やはり故郷は良いですね。
ご無沙汰していました、市郎右衛門です。
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この経歴は、凄いとしかいえません。
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ネットと物販の両方で大きな実績を持ち、
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ネット業界にうようよ存在する
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とは根本的にレベルが全く違います。
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月収10万稼げている人は月収100万に、
月収100万稼げている人は月収1000万になります。
例えば“せどり”というのはずいぶん前からあるありふれたビジネスで、
月商100万稼げればトップクラスと言われていた業界ですが、
加藤さんはシステム化する事によってあっさり月商4500万に到達しました。
いまだに加藤さんの実績を超える人は
せどり業界には現れてないです。
物販やネットビジネスに限らず、大手が参入していない業界であれば、
システム化を施すだけであっさりライバルに勝てるのだそうです。
加藤さんは凄すぎて、目標とはいえないかもしれませんが、
少しでも近づいて私も「日本の(私は歴史と文化ですが!)教育」に一役買いたいですね。
私の夢は、日本文化の伝統を継承するために、
第二の(山陰の)「柳宗悦(思想家)」になる事です。
ですから歴史ブログは絶対に止めませんし、
「柳宗悦」さんは大きな目標ですが、
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いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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上の地図は、鶴岡地区の現在の範囲を赤線で囲い表したものですが、いかに鶴岡地区が大きいかお分かりでしょう。実際に人が暮らしているのは円山川の西側と対岸一部なのですが地区が多くの山林を保有しているのは珍しいと思います。
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その一族は現在も続いており地区のほとんどの土地に関係を持っておられます(つまり大庄屋さんです。)。さて我が家ですが、どちらかと言うと但馬側勢力であったと伝わっています。ただ郷氏一族との関係もあり、古くは婚姻関係も結んでいるようです(江戸初期に二度、我が家から嫁に行っているようです。その理由も調べたいですね。)。
戦国期の但馬は山名氏と山名氏四天王(垣屋・田結庄・太田垣・八木)が支配していましたが、「織田勢・羽柴秀吉軍」が攻撃を始め山名が有子山城(現出石城山城部)から逃れると、羽柴軍に内通するものも出て、毛利支配下の但馬勢力と二派閥に分かれて戦闘に成ります。この隙をつくように美作を抜けて因幡に攻め込んだ秀吉と対峙する事になった「毛利勢・吉川元春」は、但馬に援軍を送りようもなく弟「羽柴秀長軍」が難なく但馬を制圧しています。
伊福城が併設されています(笑)。
次は伊福城概略ですが、山名氏の家臣下津屋氏の居城でした。康正年間(1455年~1457年)頃には下津屋伯耆守、永正年間(1504年~1521年)頃には下津屋新三郎、永禄年間(1558年~1570年)には下津屋安芸守、天正年間(1573年~1592年)には下津屋丹後守の名が城主として知られています。
「伊福城」は円山川に沿って北西に伸びた丘陵に築かれており、登山道が整備されていました。以前は地区の花見を北西五郭(曲輪4)あたりで催すことがありましたが、現在は台風の影響によって登山道が削られることも度々あり、花見なども催されなくなったことで、北西五郭の状況もよく分かりません。
主郭は山頂にあって東西に長く城内で最も広く平坦です。この主郭の周辺に腰曲輪などが付いており、曲輪の切岸も高く明瞭です。主郭の北西側は堀切状の窪地の先に一段の曲輪があり、南東側は竪堀が長く伸びた堀切と、北側のみ竪堀のような感じに落とした二重の堀になっています。また、北東側の山腹に三条の竪堀があり、西の二条はともに深く長く伸びているようです。子どもの頃に神社の裏山に当る城山中を駆けずりまわって遊びました。当時は城山だとは思ってなかったですね~(;^_^A
式内社:但馬國氣多郡『井田神社』
式内社但馬國氣多郡『井田神社(旧村社)』は主祭神「倉稲魂命(ウカノミタマミコト)」 配祀神に「誉田別命・気長足姫命(ホンダワケノミコト・オキナガタラシヒメノミコト)」を祀っています。
倉稲魂命(ウカノミタマミコト)は、『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記されます。名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神です。両書とも性別が明確にわかるような記述はないが、古くから女神とされてきました。『特選神名牒』には、大冝都比賣命(オオゲツヒメ)とありやはり穀物神です。
誉田別命(ホンダワケノミコト)応神天皇(おうじんてんのう)の事です。(仲哀天皇9年12月14日~応神天皇41年2月15日)は、第15代天皇(在位:応神天皇元年1月1日~同41年2月15日)。諱は誉田別尊(ほむたわけのみこと)、大鞆和気命(おおともわけのみこと)。
気長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)神功皇后は『古事記』ではオキナガタラシヒメ命という名で記され、神社ではその名で祀られることが多いです。オキナガとは地名とも長寿の意味とも言われ、タラシは尊称でこの語を名にもつ天皇も多いそうです。第十四代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后で、八幡神として祀られる第十五代応神天皇の母です。但馬では始祖とも言われる『日本書紀』では「天日槍」、『古事記』では「天之日矛」が出石神社に祀れており、神功皇后の祖先としても知られています。
創祀は不詳ですが、元々は倉稲魂命を祀っていましたが、嘉祥元年(848)悪疫流行の際、山城国「石清水八幡宮」より誉田別命・気長足姫命の二柱を勧請したと言われています。
山陰本線「江原駅」の北東1.5Kmほどの距離です。国道482号線を進み、円山川にかかる新鶴岡橋を渡って左に戻りと参道入口(鳥居)がありますが、車は通行止め、入口には「式内井田神社」と刻まれた社号標が立っています。車で向かうなら、新鶴岡橋経由上之郷区から井田神社へ向かう山道か、もしくは日置区日置橋から鶴岡区の多田谷経由の迂回路を使わないと行けなくなっています。
社号の井田は「いだ」とも「いた」とも読み、通称は伊福八幡社(伊福は鶴岡、江戸期前の名前です。)です。神社の鳥居は円山川に面しており、川の方向から階段が続き船着場があります。現在の参道が付く前は対岸から船で参拝するのが正式な参拝していました。鳥居(私の知る限り3回作り直され現在は御影石)をくぐり階段を上り、木々の茂った参道を進むと境内です。明治以降の一時期、円山川対岸の楯縫神社が井田神社に合祀されていましたが、昭和二十二年、現在地(対岸日高区)に分離されました。
『播磨国風土記』では、「アシハラシコの黒葛は一条は但馬の気多の郡に、一条は夜夫(養父・ヤブ)の郡に、もう一条はこの村(御方里・おごうり)に落ちたので三条(ミカタ)と云う。」とあり葦原醜男(大国主・アシハラシコ)と天之日矛の土地争いの話が出て来ます。
さらに『但馬故事記(貴重な歴史資料と考えるべきか偽物と考えるべきか?な書物です。)』では、神功皇后2年、気多の大県主の物部連大売布命が亡くなり、その子・物部多遅麻連公武をもって多遅麻国造とする。 多遅麻国造、彦狭知命(職の神)の末裔・楯縫首を召し、矛・楯を作らせ、(式内楯縫神社は現在地ではなく鶴岡字多田谷) 石凝姥命の末裔・伊多首を召し、鏡を作らせたとあります(式内井田神社)。伊多首は鏡造りの祖・石凝姥命(いしこりどめのみこと)事で鋳含(いふく)丘に祀りました。やはり伊福は鋳含から来ているようです。
兵庫県無形文化財”井田大神楽”と四年に一度の大祭り

井田神社大祭(ここでいう大祭四年に一度の事ではなく通常の秋のお祭り)は、鶴岡区の氏神である井田神社に奉納する秋の神事で、五穀豊穣、村内安全を祈願するため江戸初期から始まったと伝えられています。
例年は『大神楽』と「子どもだんじり」だけの奉納ですが四年ごとの夏のオリンピックの歳には区民総出の大祭が行われます(戦中戦後は時節柄、また男手不足から中断していました。私が中学生の1976年モントリオールオリンピックの年に再開されるようになったと記憶しています)。
昔の大祭では、屋台に乗る囃子や三十石船で円山川を渡る雅やかな船渡御(ふなとぎょ)勇壮な馬の早駆けなども行われ、一つの地区の祭としては稀有のにぎやかさでした。現在は、陸渡御(りくとぎょ)のみとなり、旗持ちと大太鼓を先導に神輿が練り歩き、それに続き屋台、囃子、大神楽、子供の手踊り、子供だんじりなどが随行して総勢300人の行列が区内を一日かけて巡行します。





『井田大神楽』ですが「伊勢大神楽」の流れを汲むと思われ、兵庫県の無形文化財に指定されています。午前中に氏子を廻り「浄めの舞」を舞い、午後2時過ぎに井田神社本殿前で「幣の舞」「天狗の舞」「祇園囃子」「剣の舞」「わくわく」「豆ひろい」「乱獅子」を奉納します。円山川の対岸(左岸)にある楯縫神社と氏子が合併した時期があり、大神楽もかつては一つで、芸態・衣装などよく似ていますがいずれも、約200年前の文化年間が起源と伝えられています。
【最後に一言】三つ子の魂百まで。
子供の頃の思い出は楽しいものばかりでもありません。せっかく捕まえたミヤマワガタを無理やり上級生に買い取られたこともあります。今思えばおかしな感じがしますが、両親は大変怒ってそのお金を私に返しに行かせました。その上私が採った虫までも、上級生にプレゼントしてしまいました。教育者だった両親は、そのようなことにも厳しかったような気がします。
さて今回久々に”お宮さん”を訪れ、やはり故郷はいいなあと感じました。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と言いますが、離れて生活しているからこそ素晴らしさに気がつきます。父が送ってくれる米や野菜や果物はいつも新鮮で美味しい、これで母が健在でいてくれたらと思う今日この頃です。
厳しかった父も八十歳を超え、少し弱くなったなあと感じるようになりました。そろそろ田舎に帰って面倒を見る日もそう遠くないのかもと考えてしまいます。親不孝をしてきた私、親孝行できる日にも限りが有ると考えると複雑な心境です。ブログを書き終えて、目を閉じると「子供だんじりの太鼓の音」「神楽の笛の音」が頭の中に鮮烈に蘇ってきました、やはり故郷は良いですね。
起業の話と「次世代起業セミナー」を勧める訳
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セミナー講師は、 ココデ・グローバル株式会社 代表取締役加藤将太さんです。
【経歴及び実績】
●京都大学工学部電気電子工学科卒業。
●京都大学経営管理大学院経営管理専攻事業創再生マネジメントコース終了 MBA取得。
●(株)NTTデータ 第一公共事業本部 第二公共システム事業部を勤務半年で退社。
●日本最高の中学受験塾で歴代最速で講師にに昇格(希学園・創立14年で初・算数科講師・合格率4%・平均1年のところ、5週間で時給5,000円の講師になる)。
●教育改革を目指して、26歳の時に起業(元手20万円)その後、多角化。
●1年目で年商1.1億を達成し、延べ1,000名以上を面接し社員数十人を使う社長になる。
●2年目で年商2億6千万円を達成。
●書籍流通支援システム、法人向けデータマーケティング支援システム等の開発・販売を行う一方で、MBAで学んだ知識や、実際 にゼロから短期間で事業を軌道に乗せた経験を伝える活動を行う。
●2013年より開始した「次世代起業家育成セミナー」はこれまでに5回開催され、累計4,000名以上の法人代表・法人代表候補・起業家 の卵が参加。
この経歴は、凄いとしかいえません。
一般公立中学から高専、そして京都大学、新聞配達のバイトを経ての起業も凄いです。
義弟の大学・学部の後輩ということも、加藤さんに親近感を持った原因のひとつです。
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加藤将太さんは、当時月商100万円いけばトップレベルと言われたせどり業界で、
初年度で年商1億円超え、最盛期には月商4,583万円、
情報発信開始後1ヶ月で5億4000万円というモンスター級の起業家です。
あまりの規模拡大スピードにAmazonが「これ以上在庫を増やさないで」と悲鳴をあげ、
事業が拡大できなくなってやる気をなくした加藤さんは、
儲かっているせどり事業を部下任せにしたという逸話の持ち主です。
ちなみに加藤さんは、京都大学大学院MBA(経営学修士)を取得している経営のプロであり、
人口上位2パーセントのIQ148以上が所属する団体MENSAのメンバーでもあります(凄)
2013年、年間数億円の売上を自動化させて一時的に暇になった加藤さんが、
起業家や経営者に向けて「1億円事業」の作り方を解説したのが、
「次世代起業家育成セミナー」シリーズです。
特に初心者向けに開催された次世代起業家育成セミナー「特別編」は、
映像視聴も含めて累計4000名以上が参加しています。
有料の起業セミナーとしてはもっともヒットしたものの一つとなりました。
MBAの理論的な裏付けを活かしながら、
ネットと物販の両方で大きな実績を持ち、
多業種に渡るコンサル生を指導し、
さらには大手塾で講師もやっていた加藤さんのセミナーは、
間違いなく業界でも唯一無二のものです。
ネット業界にうようよ存在する
“名前だけのセミナーや講師コンサルタント”
とは根本的にレベルが全く違います。
特に最終的に起業して成功したい人にとっては、
加藤さんの提唱する「システム化」という概念は非常に重要だと感じます。
システム化をすると既存ビジネスの売上が10倍になります。
個人の労働時間には限界がありますが、
システムというものは複製・拡大が容易なのです。
システム化という概念を取り入れることによって、
月収10万稼げている人は月収100万に、
月収100万稼げている人は月収1000万になります。
例えば“せどり”というのはずいぶん前からあるありふれたビジネスで、
月商100万稼げればトップクラスと言われていた業界ですが、
加藤さんはシステム化する事によってあっさり月商4500万に到達しました。
いまだに加藤さんの実績を超える人は
せどり業界には現れてないです。
物販やネットビジネスに限らず、大手が参入していない業界であれば、
システム化を施すだけであっさりライバルに勝てるのだそうです。
加藤さんは凄すぎて、目標とはいえないかもしれませんが、
少しでも近づいて私も「日本の(私は歴史と文化ですが!)教育」に一役買いたいですね。
私の夢は、日本文化の伝統を継承するために、
第二の(山陰の)「柳宗悦(思想家)」になる事です。
ですから歴史ブログは絶対に止めませんし、
「柳宗悦」さんは大きな目標ですが、
少しずつでも近づきたいと考えています。
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【感想メールで受け取れる加藤将太さんからのプレゼント】
■プレゼントの内容■
感想を送り続けることで、全部で、特別編映像8つ+無償プレゼント1~12で、「19個」の無償プレゼントが手に入ります。
(他にもプレゼントはあります)
内容は、「経営時間は1日3時間・元手20万円でも、1年以内に1億円事業を創る」と冠して、
加藤さんの経営手法を全て映像とPDFで週録した秘密のセミナーです。
期限は1週間で、1週間以内に動画を見た感想を簡単に送った場合のみ、
次の動画を視聴することが可能です。
まずは、21分間という時間を投資して、加藤さんのセミナー映像をご覧ください。
PDFを見ても楽しいと思いますし、動画+PDFも有りですね。
お好きな方法でご覧いただければと思います(もちろん無料!損はさせませんよ)。
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1日で本物のビジネススキルが磨けるので、
ぜひセミナー映像を見て、レベルの違いを実感してみてください。
私と同様、ビジネスに対する価値観が変わると思います。
2期生募集もあとわずか?もしあなたが副業での成功や起業を目指しておられるなら、登録しないのは、チャンスをどぶに捨てるようなものです。
いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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