神々を訪ねて『出雲大社・荒垣外摂社』を歩く!遂に最強武神『建御雷神』vol③
プロローグ『弾丸取材第一弾、最強武神・建御雷神』
勉強不足が発覚!?GWの5月3日、夜通し走り、4日に全ての出雲大社摂社をコンプリートしてきました~~(((^_^;)、このバイタリティーを何かしら他で活かせないものかとも思うのですが、そこは「好きこそものの上手なれ」なんですかね?やっぱり(笑)。
しかしやっぱりGW、父の元気な顔も見なくてはと、出雲から伯耆・因幡を抜けまして、但馬にも3時間程滞在しましたので、この企画の途中の箸休めとして、実家の集落についても特集として、少し書くことが出来ればと考えています。
今日ご紹介するのは、天照最後の切り札ともいえる、最強武神「建御雷神(たけみかずち)」を祀る、「出雲大社・荒垣外摂社」『因佐神社』です。
それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。




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【今回ご紹介するのは、荒垣外摂社の一社・⑨因佐神社(いなさのかみのやしろ)です。★を付けた社はご紹介済】
①★神魂伊能知奴志神社(命主社、いのちぬしのやしろ)・式内社。神産巣日神を祀る。(出雲市大社町杵築東182)
②阿須伎神社(阿式社、あじきのやしろ)・式内社。大国主の神子の阿遅鉏高日子根神を祀る。(出雲市大社町遥堪1473)
③大穴持御子神社(三歳社、みとせのやしろ)・式内社。子の事代主神・高比賣命(古事記では下照比賣命)と素戔嗚尊の孫の御年神を祀る。(出雲市大社町杵築東)
④大穴持御子玉江神社(乙見社、おとみのやしろ)・式内社。子の下照比賣命を祀る。(出雲市大社町修理免字向地920)
⑤大穴持伊那西波岐神社(いなせはぎのかみのやしろ)・式内社。天穂日命の子で、国譲りの際に事代主のもとに使者として向かった稻背脛命(いなせはぎのみこと)を主祭神とし、白兔神を配祀する。(出雲市大社町鷺浦102)
⑥上宮(かみのみや)・素戔嗚尊・八百萬神を祀る。神在祭の際、神々の会議所となる。(出雲市大社町杵築北)
⑦下宮(しものみや)・天照大御神を祀る。(出雲市大社町杵築北)
⑧出雲井社(いずもいのやしろ)・岐神(ふなどのかみ)を祀る。(出雲市大社町修理免)
⑨★因佐神社(いなさのかみのやしろ)・建御雷神を祀る。(出雲市大社町杵築3008)
⑩湊社(みなとのやしろ)・櫛八玉神を祀る。(出雲市大社町中荒木)
⑪大歳社(おおとしのやしろ)・素戔嗚尊の子の大歳神を祀る。(出雲市大社町杵築北)
⑫祓社(はらいのやしろ)・祓戸四柱神を祀る。参道大鳥居の東側にあり参拝者が前もって身心を祓い清める社。(出雲市大社町杵築東195)
⑬★野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)・参道大鳥居の西側、神苑相撲場の北西にあり相撲の始祖野見宿禰命(第13代出雲國造 襲髄命(かねすねのみこと)を祀る。
【最強武神・建御雷神てどんな神様?】
稲佐の浜のすぐ近くで建御雷神を祀る『因佐神社』をご紹介しますが、こちらは、以前もご紹介していたのですが、当時「出雲大社・荒垣外摂社」の自覚がなく一社としてのご紹介でした。出雲大社から少し離れて、稲佐の浜近くに鎮座されるのは、大国主命神を恫喝?した、遠慮からかも知れませんね。
国生みの際、火の神を生んだ伊邪那美命は、下腹部に火傷を負って命を落としてしまいます。 嘆き悲しんだ伊邪那岐命は火の神「火神軻遇突智(かぐつち)」の首を切り落とします。このとき剣から滴り落ちた血から誕生したたうちの一柱(神様は一人では無く一柱と数えます。)が建御雷神(たけみかずち)です。
建御雷神は、出雲国伊那佐の小濱に降り至って、十掬剣を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り、大国主に「この国は我が御子が治めるべきだと天照大御神は仰せである。そなたの意向はどうか」と訊ねます。大国主神は、私一人では決めかねるので、自分の前に息子の事代主神に訊ねるように答えます。
そのとき、事代主神は美保ヶ崎で漁をしていました。建御雷神が尋ねて問うと「承知した」と答え、船を踏み傾け、逆手を打って青柴垣に化え、その中に隠れてしまいます。
建御雷神が「事代主神は承知したが、他に意見を言う者はいるか」と大国主に訊ねると、大国主はもう一人の息子の建御名方神にも訊くよう答えます。その時、建御名方神がやって来て、「ここでひそひそ話すのは誰だ。それならば力競べで決めようではないか」と建御雷神の手を掴みます。すると、建御雷神はまず手をつららに変化させ、さらに剣に変化させます。逆に建御雷神が建御名方神の手を掴むと、葦の若葉を摘むように握りつぶして投げつけたので、建御名方神は逃げ出しました。
建御雷神は建御名方神を追いかけ、科野国の州羽の海(諏訪湖)まで追いつめます。建御名方神は逃げきれないと思い、「この地から出ないし、大国主神や事代主神が言った通りだ。葦原の国は神子に奉るから殺さないでくれ」と哀願します。因みに諏訪湖の周りに有る諏訪神社はことしの7月に取材予定です(期待してください)。
天照大神より天孫降臨に先駆けて、天神の御使いとして、「国譲り」の大事業を任され、使者として地上(稲佐の浜)に降り立った建御雷神は、二柱の神に実力を見せつけて、見事にこの大事業を成し遂げたのでした。
戦前は武運長久、現在は受験、進学、勝負の神様として知られています。昔から地元では親しみを込め「速玉さん」と呼ばれているそうです。祠がポツンとある他の摂社より境内は広く神社と言って過言ではありません。式内社で因佐神社と考えられている神社です。
ただし、『日本「神社」総覧』では「速玉社」となっていますが、記されている住所はこの場所です。
稲佐の浜には、建御雷神と争った建御名方命の投げた石といわれる弁天島があり、弁天神が祀られています。今回は風がとても強くて撮影も苦労しました。茨城県「鹿島神宮」鎮座の御祭神 でもあります。
-境内案内板より一部引用させて頂きました-
【今なを受け継がれる風習「潮(汐)汲み」】
稲佐の浜で、現代も受け継がれる儀式「潮(汐)汲み」を紹介しましょう。
大社町の住民は毎月1日の早朝に稲佐の浜で海水を汲み、出雲大社や 荒神社に参拝し、この海水を笹の葉で撒き清めます。
その後、自宅に持ち帰り、玄関・神棚・仏壇・各部屋そして家族に 撒いて 清めます。昔から代々続けられる、出雲市大社町の民間風習です(この習俗は島根半島の海岸部でもみられます)。素晴らしい風習ですね~。
【最後に一言「天照大御神」=「卑弥呼」の仮説!】
逆さの剣の上にあぐらをかいて座ったといわれる建御雷神ですが、これ~雷様そのものだとは思いませんか?いかずちかみ!まさに雷神様ですね。雷が落ちる条件は高さと形(尖ったもの)だそうです。
海岸という何もない所に、高さ20メートル(落雷の条件だそうです。)の木の上に剣を逆さに立てて雷を待ちます。国譲りでこんなマジックを天津神の「建御雷神によって使われたなら、国津神の「大国主」はびっくりして従うしかなかったかも知れませんね、蒲の花粉の鎮痛効果を知っていた大国主ですが、自然現象に対する知識はどうだったのでしょうか?天の岩戸が日食で、国譲りが落雷演出なら、天津神「天照大御神」は自然科学に精通していたのかも知れません。
卑弥呼と天照大御神が同一人物説があります。卑弥呼が活躍した時代(2世紀中ごろ)中国では「三国志」時代、諸葛孔明や劉備玄徳が活躍していた時代と同じ頃になります。奇門遁甲を駆使した孔明!「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と「名を卑彌呼といい、鬼道に仕え、よく衆を惑わす」が同じ事象から来ているのでは?と考える私!皆さんどう思われますか?
いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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