神々を訪ねて『出雲大社・荒垣外摂社』を歩く!vol①
プロローグ、文化財を守れ!
『出雲大社本殿』のご紹介と行きたいのですが、やはりそこは最後に持って行きたいので、周りから少しずつご紹介しましょう。
その前に、歴史好きの私には残念なニュースが有りましたので、ご紹介すると共に文化財の保護をもう一度皆さんで考えて頂きたいと思います。
【鎌倉大仏にガム100箇所以上付着】
神奈川県鎌倉市の高徳院にある鎌倉大仏(阿弥陀如来坐像・国宝)の健康診断として2016年1月から3月に実施した大規模調査の結果がこのほど市内でのシンポジウムで発表されました。
専門家らは深刻な劣化はなく状態は良好だったが、体内だけでも100箇所以上のガムがこびりついていた事を明らかにしました。
体内に入って大仏に直接触れられるため一部の拝観者が付着させたとみられます。大仏を調べた国立西洋美術館学芸課の沖直未保存修復室長によると石のように硬くなっていて手術用のメスを使って削り取らなければ成らなかった。更に油性ペンの落書きもあったといいます。大仏は高さ11.3 M の銅製で、鎌倉時代の1252年頃に建築が始まり完成時期は不明、今回は1959年から61年の昭和の大修理依頼半世紀ぶりの大掛かりな調査でした。
高徳院の佐藤孝雄住職は「胎内に触るのを禁止したほうが良いとの意見はあるが、信仰の対象でもあるので過酷な環境に座している、大仏様の温度を手のひらで感じてほしいとも思います」と語っておられます。国宝ですよ!皆さん考えましょうねぇ。因みに奈良の大仏様は大日如来様です。
さて本題の『出雲大社巡り』ですが先ずは荒垣外摂社をご紹介したいと思います。
それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。




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【出雲大社の摂社・末社】
出雲大社には、8つの境内摂社、3つの境内末社、9つの境外摂社、3つの境外末社、合わせて23の摂末社があります。
出雲大社では、本殿のまわりを玉垣、廻廊内を瑞垣、境内を荒垣の三重の垣根に厳重に守護されています。
摂末社を荒垣を境として荒垣内摂末社・荒垣外摂末社といいます。因みに「荒垣」とは本殿鎮座地の四囲にめぐらした石垣と塀で、大社ではこの内側をいわゆる「境内」としています。取材ソースの関係で、全てをご紹介は出来ないと思いますが、出来るだけご紹介していきたいと思います。今回ご紹介できなかった、摂社・末社は次回取材した時にご紹介させて頂きます。
【最初にご紹介するのは、荒垣外摂社です。】
荒垣外には、9つの境外摂社、3つの境外末社が有るのですが、今日はの全ての概略と⑬野見宿禰神社をご紹介させて頂きます。
①神魂伊能知奴志神社(命主社、いのちぬしのやしろ)・式内社。神産巣日神を祀る。(出雲市大社町杵築東182)
②阿須伎神社(阿式社、あじきのやしろ)・式内社。子の阿遅鉏高日子根神を祀る。(出雲市大社町遥堪1473)
③大穴持御子神社(三歳社、みとせのやしろ)・式内社。子の事代主神・高比賣命(古事記では下照比賣命)と素戔嗚尊の孫の御年神を祀る。(出雲市大社町杵築東)
④大穴持御子玉江神社(乙見社、おとみのやしろ)・式内社。子の下照比賣命を祀る。(出雲市大社町修理免字向地920)
⑤大穴持伊那西波岐神社(いなせはぎのかみのやしろ)・式内社。天穂日命の子で、国譲りの際に事代主のもとに使者として向かった稻背脛命(いなせはぎのみこと)を主祭神とし、白兔神を配祀する。(出雲市大社町鷺浦102)
⑥上宮(かみのみや)・素戔嗚尊・八百萬神を祀る。神在祭の際、神々の会議所となる。(出雲市大社町杵築北)
⑦下宮(しものみや)・天照大御神を祀る。(出雲市大社町杵築北)
⑧出雲井社(いずもいのやしろ)・岐神(ふなどのかみ)を祀る。(出雲市大社町修理免)
⑨因佐神社(いなさのかみのやしろ)・建御雷神を祀る。(出雲市大社町杵築3008)
⑩湊社(みなとのやしろ)・櫛八玉神を祀る。(出雲市大社町中荒木)
⑪大歳社(おおとしのやしろ)・素戔嗚尊の子の大歳神を祀る。(出雲市大社町杵築北)
⑫祓社(はらいのやしろ)・祓戸四柱神を祀る。参道大鳥居の東側にあり参拝者が前もって身心を祓い清める社。(出雲市大社町杵築東195)
⑬野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)・参道大鳥居の西側、神苑相撲場の北西にあり相撲の始祖野見宿禰命(第13代出雲國造 襲髄命(かねすねのみこと)を祀る。
【野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)・相撲の始祖野見宿禰命を祀る】
野見宿禰のお話は私の住まいする兵庫県にも痕跡を残していますので、兵庫の昔話からお話をしたいと思います。今から2000年近く昔の話です(2000年が正確な年代を表しているわけではありません)。そのころ、出雲国(現在の島根県東部で現在の出雲市とは違います)に、野見宿禰(のみのすくね)という人がいました。野見宿禰は、たいへん力の強い人でしたが、学問にも優れた才能に恵まれた人でもありました。
当時、大和国(現在の奈良県)には、当麻蹴速(たいまのけはや)というこれもたいへん強い人が下りました。相撲(すもう)をとると、蹴速にかなう人はいません。「倭国でおれにかなうやつはいないだろう。だれか蹴速と相撲がとれる者はいないのか。」蹴速はそう言っていつもじまんしていました。そのころ国をおさめていた垂仁天皇(すいにんてんのう)がたずねますと、家来のひとりが 「出雲国に、野見宿禰という強い人がいるそうです。」と答えました。
そこで天皇は、野見宿禰を大和国に招いて、当麻蹴速と相撲をとらせることにしました。二人とも力いっぱい戦い、宿禰は、みごとに蹴速をたおしました。垂仁天皇はたいへん喜び、野見宿禰は領地をもらって、天皇につかえることになりました。
そのころまでは、大王(天皇)のような指導者が亡くなると古墳(大きな墓)を造り、まわりに家来たちを生きたままでうめる風習がありました。宿禰は、「いくらの王墓地鎮のためでも、人を生きうめにして殺すのはよくありません。」と言って、そのかわりに粘土で作った埴輪をおくように、大王に進言しました。大王はその意見を取り入れて、それ以後は古墳を造るときに、人や家や馬の形をした埴輪をならべるようになったといわれています。古墳のまわりが埴輪で飾られているのを、知っている方も多いでしょう。
さて、こうして大王に仕えた宿禰ですが、やがて故郷の出雲へ帰ることになりました。ところがその途中、播磨国(はりまのくに)まで来たところで、重い病気にかかってしまいます。土地の人たちは、手厚く看病しましたがそのかいもなく、宿禰は亡くなってしまいました。
宿禰が立派な人であることをよく知っていた人々は、とても悲しみました。揖保川(いぼがわ)の河原から山の上まで、村人たちが一列にならんで、手から手へ、石をわたして運び、宿禰のために立派な墓を造りました。野原にたくさんの人が立ちならんで働いたので、その場所は「立野(たちの)」と呼ばれ、それが現在の「たつの(龍野・現在は龍野市)」のはじまりだということです。その後野見宿禰の子孫は、はにわや土器をつくる「土師氏(はじし)」としてかつやくしました。
―兵庫歴史ステーション「龍野の始まり」を参考にさせていただきました。―
ちなみに、揖保川(いぼがわ)は、兵庫県の南西部を流れる一級水系の本流です。加古川・市川・ 夢前川・千種川と並び播磨五川と呼ばれている。 兵庫県宍粟市の藤無山(標高1,139m)に源を発し南へ流れ。たつの市を貫流し、姫路市余部区付近で中川を西に分け、三角州を形成し。姫路市網干区で播磨灘に流れ込んでいます。
野見宿禰の墓は兵庫県龍野市北龍野の鶏籠山奥の的場山中腹に、墓とされる野見宿禰神社があります。野見宿禰は出雲国造家(千家氏・北島氏)では、第13世出雲国造(襲髄命)ということになっています。この野見宿禰墓は横穴式石室を持つ径約二十米の円墳で、この付近では規模ももっとも大きくかつ保存状態も良好で、これが野見宿禰の墓に比定されたのは納得できます。明治時代に剣や曲玉などが出土したことも有って、あたら功臣の墳墓が荒廃しているのを嘆いた研究者が、出雲大社の千家尊福男爵に照会し、かつ諸方有志の助成賛同を得て、墳墓を修理し山麓に一祠を建立し、神社を創立することに成ったようです。
【最後に一言は相撲と神事】
近頃、大相撲協会が揺れています。貴乃花親方のやろうとしていることは、相撲の完全スポーツ化ななのかもしれません。相撲には三つの側面が有ると思います。一つは神事、また一つは武術そしてスポーツの一面もあります。それらを一つのくくりでまとめようとするのには無理が有ると思います。土俵に女性が上がる事も意見が分かれるようです。スポーツなら当然その道は開かれるべきでしょう。武術ならば、階級を分けて男女別の試合が組まれるべきです。最後の神事ですがこれは難しいですね~。ちなみに巫女さんは神官ではないそうです。福岡県宗像市に属する沖ノ島の沖津宮(おきつぐう)に女性を入れるのか?どうですか皆さんはどのようにお考えでしょう。
歴史って本当に素敵ですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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