我が家のスイーツシーズン終了!3月30日『結婚記念日』
少しUPが遅れてしまいましたが、3月30日は『結婚記念日』でした。つまり市郎右衛門家が産声を上げた日です。我が家の家族は次女を除いて、皆の誕生日が冬のシーズンに集中しているので、正にスイーツシーズンと成っています。
12月25日のクリスマスに始まり!1月1日は長女の誕生日(因みに平成11年産まれのフィーバーなんです。)次が妻の1月21日、2月に入ると、3月14日にバレンタインデー、3月27日に私の誕生日、3月14日にホワイトデー、3月17日が長男の誕生日、最後に3月30日の「結婚記念日」とほぼ3ヶ月の間に8回もケーキでお祝いする日が有るんです。余りに有るので、長女・長男の誕生日はブログにUPしませんでした?因みに次女は6月27日の誕生日で一息つけるんです(笑)
ということで、今回スイーツシーズン終了の21回目の結婚記念日のお祝いと共に、UP出来なかった、長女・長男のケーキをご紹介してスイーツシーズン終了ブログを書かせて頂きます。
それでは、『市郎右衛門』『馬肉会』ブログ(笑)をお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。




(マダムシンコ彩都店)
(どうですか?この派手さ!)
(一応まだ3月ですからね。)
(笑うしか無い。)
【ケーキの日?】
1月6日ケーキの日は明治12年(1879年)のこの日、上野の「風月堂」で初めてケーキを宣伝したことにちなむそうですがこれが今のケーキと同じものだったとは思えません。
苺ショートケーキを始めて販売したのは「不二家」のようです。キャラクターのペコちゃんでおなじみの洋菓子店「不二家」。しかし、じつは日本の喫茶店、レストランの先駆けでも有るんです。1910年(明治43)、藤井林右衛門が横浜・元町に小さな洋菓子店「FUJIYA」をオープンさせました。まだなじみの少なかった西洋のお菓子を一人でも多くの日本人に味わってほしいという思いからでした。
さらに、第一次世界大戦による好景気の中で喫茶室を新設しています。インテリアはアメリカから直輸入したモダンなもので、さらに持ち手を下に押さえるとソーダ水が出てくるくる「ソーダ・ファウンテン」を導入し、話題を呼びました。そして、1923年(大正12)には念願の銀座進出を果たしています。「不二家」といえば銀座のイメージがありますが、実は横浜だったんですね~!
「不二家」という屋号はもちろん富士山を意識していて、「不二(富士山)」には2つとない存在という意味も込められています。屋号の頭文字であるFを意匠化したハイカラな現在のロゴは、20世紀を代表する産業デザイナー、レイモンド・ローウィによるもので1961年(昭和36)に完成、「ファミリーマーク」と呼ばれ、「不二家」のシンボルとなっています。 「不二家」は1910年(明治43)にクリスマスケーキも販売開始しています。
【藤井林右衛門という人物は何者】
藤井林右衛門は愛知県出身、16歳で横浜に出てきて古物商の奉公人として働き始めます。商売的には外国人が引っ越した後に残った家具を中古品として売ったり、鉄くずなどを取り扱ったり、今でいうリサイクルショップのようなものを始めます。1年後に大旦那が亡くなったのを機に、店を任されるようになります。さらに、日本人の洋菓子職人と知り合い、25歳時に独立開業して日本ではまだ珍しかった洋菓子店をオープンさせました。
お金持ちの外国人は家に料理人がいるので、その頃洋菓子を扱っている店は少なかったようです。一方でハイカラな食文化に憧れる日本人には人気が出る!「先見の明」があったのですね~(笑)、ちなみに先見の目は誤用ですので注意してくださいね。
メニューも林右衛門自身でも考えたようです。外国人シェフに知恵を借り、さらには単身アメリカに飛んで働きながら現地の菓子や喫茶事情を視察しました。なお、オープンした年にクリスマスケーキを販売しています。 もちろん、生クリームではなく、プラムケーキ(フルーツケーキ)に砂糖の衣をかけたものでした。なお、店内には小さなイートインスペースを作りました。喫茶店の先駆けといえます。
【ショートケーキは日本独自のケーキ?】
さらに同じ横浜の伊勢佐木町に2号店を出した1922年(大正11)にショートケーキを販売しています。これも日本初だと言われま。。クリスマスケーキが先だったんですね。皆さんショートケーキは外国発祥だと思っていませんか?私たちになじみのあるあのスポンジケーキ、ホイップクリーム、いちごという取り合わせのケーキは「不二家」が開発した日本独自の洋菓子だそうです。大正時代の原型となるショートケーキにはバタークリームのような濃厚なクリームが使われていました。当時、いちごを使っていたかどうかは記録に残っていません。
ショートケーキという名前の由来については、イギリスのショートブレッドというクッキーのようなお菓子から、「ショートニング」に由来するから、短時間(ショートタイム)で作れるからなど諸説あるようです。ちなみに、ショートケーキが今のように不二家のナンバーワン商品になったのは昭和40年代後半の事です。バタークリームから今のような生クリームやイチゴを使うようになったのは、景気の上昇や冷蔵庫の普及など、様々な要因があるようです。
【最後に一言】
わが家の、スイーツシーズンは3月30日で一応終わりです。次は6月27日の次女の誕生日です。7月に一大イベントを企画しています。それまでにダイエットしなければいけませんね~(笑)。さて私のブログは基本歴史ブログですが、ここのところは雑記ブログ・スイーツブログに成っていました。取材も多く行っておりますので、主題の歴史を頑張りたいと思いますのでよろしくお願いいたします。最後に一番大事なことを忘れてましたね『ママ!21年間も私の様な、駄目夫に付き合ってくれて本当にありがとう、感謝の気持ちは心では表せません。』
歴史って本当に素敵ですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
下の日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナーを「ポチっと」と、クリックして頂けましたら嬉しいです。
⏬



12月25日のクリスマスに始まり!1月1日は長女の誕生日(因みに平成11年産まれのフィーバーなんです。)次が妻の1月21日、2月に入ると、3月14日にバレンタインデー、3月27日に私の誕生日、3月14日にホワイトデー、3月17日が長男の誕生日、最後に3月30日の「結婚記念日」とほぼ3ヶ月の間に8回もケーキでお祝いする日が有るんです。余りに有るので、長女・長男の誕生日はブログにUPしませんでした?因みに次女は6月27日の誕生日で一息つけるんです(笑)
ということで、今回スイーツシーズン終了の21回目の結婚記念日のお祝いと共に、UP出来なかった、長女・長男のケーキをご紹介してスイーツシーズン終了ブログを書かせて頂きます。
それでは、『市郎右衛門』『馬肉会』ブログ(笑)をお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。




👆絶賛ランキング参加中!四つのバナータグを「 ポチっと」クリックして応援お願いします。
|o´艸)。oO(Thank you)。
バナーをクリックしますと、ランキングページに移動します。そこで慌てないでくださいね~!有難いことに現在、市郎右衛門のブログは、皆さんのお陰でランキングTOP10にINしておりますので、「高天原の縁側日記」をもう一度クリックして頂きますと、元のブログに戻ります(^人^)。又PCの片方は、Ctrlを押しながら「ポチっと」上のバナーを押していただけますと、ブログから離脱せずに応援していただけます。
|o´艸)。oO(Thank you)。
バナーをクリックしますと、ランキングページに移動します。そこで慌てないでくださいね~!有難いことに現在、市郎右衛門のブログは、皆さんのお陰でランキングTOP10にINしておりますので、「高天原の縁側日記」をもう一度クリックして頂きますと、元のブログに戻ります(^人^)。又PCの片方は、Ctrlを押しながら「ポチっと」上のバナーを押していただけますと、ブログから離脱せずに応援していただけます。





【ケーキの日?】
1月6日ケーキの日は明治12年(1879年)のこの日、上野の「風月堂」で初めてケーキを宣伝したことにちなむそうですがこれが今のケーキと同じものだったとは思えません。
苺ショートケーキを始めて販売したのは「不二家」のようです。キャラクターのペコちゃんでおなじみの洋菓子店「不二家」。しかし、じつは日本の喫茶店、レストランの先駆けでも有るんです。1910年(明治43)、藤井林右衛門が横浜・元町に小さな洋菓子店「FUJIYA」をオープンさせました。まだなじみの少なかった西洋のお菓子を一人でも多くの日本人に味わってほしいという思いからでした。
さらに、第一次世界大戦による好景気の中で喫茶室を新設しています。インテリアはアメリカから直輸入したモダンなもので、さらに持ち手を下に押さえるとソーダ水が出てくるくる「ソーダ・ファウンテン」を導入し、話題を呼びました。そして、1923年(大正12)には念願の銀座進出を果たしています。「不二家」といえば銀座のイメージがありますが、実は横浜だったんですね~!
「不二家」という屋号はもちろん富士山を意識していて、「不二(富士山)」には2つとない存在という意味も込められています。屋号の頭文字であるFを意匠化したハイカラな現在のロゴは、20世紀を代表する産業デザイナー、レイモンド・ローウィによるもので1961年(昭和36)に完成、「ファミリーマーク」と呼ばれ、「不二家」のシンボルとなっています。 「不二家」は1910年(明治43)にクリスマスケーキも販売開始しています。
【藤井林右衛門という人物は何者】
藤井林右衛門は愛知県出身、16歳で横浜に出てきて古物商の奉公人として働き始めます。商売的には外国人が引っ越した後に残った家具を中古品として売ったり、鉄くずなどを取り扱ったり、今でいうリサイクルショップのようなものを始めます。1年後に大旦那が亡くなったのを機に、店を任されるようになります。さらに、日本人の洋菓子職人と知り合い、25歳時に独立開業して日本ではまだ珍しかった洋菓子店をオープンさせました。
お金持ちの外国人は家に料理人がいるので、その頃洋菓子を扱っている店は少なかったようです。一方でハイカラな食文化に憧れる日本人には人気が出る!「先見の明」があったのですね~(笑)、ちなみに先見の目は誤用ですので注意してくださいね。
メニューも林右衛門自身でも考えたようです。外国人シェフに知恵を借り、さらには単身アメリカに飛んで働きながら現地の菓子や喫茶事情を視察しました。なお、オープンした年にクリスマスケーキを販売しています。 もちろん、生クリームではなく、プラムケーキ(フルーツケーキ)に砂糖の衣をかけたものでした。なお、店内には小さなイートインスペースを作りました。喫茶店の先駆けといえます。
【ショートケーキは日本独自のケーキ?】
さらに同じ横浜の伊勢佐木町に2号店を出した1922年(大正11)にショートケーキを販売しています。これも日本初だと言われま。。クリスマスケーキが先だったんですね。皆さんショートケーキは外国発祥だと思っていませんか?私たちになじみのあるあのスポンジケーキ、ホイップクリーム、いちごという取り合わせのケーキは「不二家」が開発した日本独自の洋菓子だそうです。大正時代の原型となるショートケーキにはバタークリームのような濃厚なクリームが使われていました。当時、いちごを使っていたかどうかは記録に残っていません。
ショートケーキという名前の由来については、イギリスのショートブレッドというクッキーのようなお菓子から、「ショートニング」に由来するから、短時間(ショートタイム)で作れるからなど諸説あるようです。ちなみに、ショートケーキが今のように不二家のナンバーワン商品になったのは昭和40年代後半の事です。バタークリームから今のような生クリームやイチゴを使うようになったのは、景気の上昇や冷蔵庫の普及など、様々な要因があるようです。
【最後に一言】
わが家の、スイーツシーズンは3月30日で一応終わりです。次は6月27日の次女の誕生日です。7月に一大イベントを企画しています。それまでにダイエットしなければいけませんね~(笑)。さて私のブログは基本歴史ブログですが、ここのところは雑記ブログ・スイーツブログに成っていました。取材も多く行っておりますので、主題の歴史を頑張りたいと思いますのでよろしくお願いいたします。最後に一番大事なことを忘れてましたね『ママ!21年間も私の様な、駄目夫に付き合ってくれて本当にありがとう、感謝の気持ちは心では表せません。』
歴史って本当に素敵ですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
下の日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナーを「ポチっと」と、クリックして頂けましたら嬉しいです。
⏬




コメント