古式『四條流姫井会包丁式』って何だ?
先日、平清盛由来の神戸市平野の祇園神社をご紹介しました。実はその時に、4月1日に行われる摂社「白玉稲荷明神社」で行われる『四條流姫井会包丁式』の紹介ポスターがあり、これは珍しいと早速出掛けて取材してきました。
四条流庖丁道は東京「神田明神」でも行われる包丁儀式で、平安時代から始まると伝えられる日本料理の流派で、「庖丁式」ともいわれます。庖丁道(庖丁式)とは料理に関する作法・故実や調理法などを最も頻用する調理器具の包丁で象徴した呼び名の事です。
私もテレビ等では、数度見たことが有ったのですが、実際に現場!それも目の前で見るのは初めてで、貴重な1日に成りました。それでは、作法に則り古来の包丁式を写真多めでご紹介致します。
それでは、『市郎右衛門』歴史ブログをお楽しみ?ください(人´ω`*).☆.。




【四條流起源】
四條流の起源は、藤原山蔭(四条中納言、824年~888年)が、光孝天皇の勅命により庖丁式(料理作法)の新式を定めたことに由来すると伝えられています。朝廷の料理は宮内省に属す内膳司が司っていましたが、山蔭は宮内省内膳職とは関係ない人物なので、単に料理法や作法に通じた識者として指名されたと考えられます。9世紀には、唐から伝えられた食習慣や調理法が日本風に改善されて定着しつつあったと考えられ、それらをまとめて故実という形で山蔭が結実させたものだと思われます。これにより、山蔭は「日本料理中興の祖」とされています。四條流には様々な分流が有りますが、今回は神戸四條姫井会の四條流を取材してきました。
【四条流庖丁書】
室町時代後期、すでに四条流の大意をまとめた料理書として『四条流庖丁書』が書かれています。奥書に「長享三年(1489年)二月下旬多治見備後守貞賢在判」とあり、この時期に成立したと思われます。四条流庖丁式の次第が記述され、俎(まないた)の名所・寸法などから記載が始まり、続いて具体的な料理法や、箸・膳の飾り方なども記載されており、当時の日本料理の素材や調理法を知る上で貴重な史料となっています。
驚いた事に、雁の皮煎・潮煎、カマボコ、鳥(雉)の焼き物・刺身、エビの舟盛り、このわた、鯛の潮煮、クラゲの和え物など、多彩な料理が紹介されています。また、四条流では刺身に添えるわさびと塩は接して並べる、酢も添えるべき云々など興味深い記述も有るようです(刺身に酢?面白いですね。)。花鰹の使用も記されており、当時から利用されていることが分かります。日本人の味覚、恐るべしですね。
もちもち、四条中納言藤原朝臣山蔭卿が、鯉の庖丁式を始めたことから、庖丁の儀式の切形が始ったと記載されています。
【庖丁儀式】
今回取材したように、四条流の庖丁儀式とされる、巧みな庖丁さばきによる荘厳な技術披露が現在でも継承され、行われています。藤原山蔭が鯉をさばいて以来の伝統と言われる技法を烏帽子・直垂をまとった姿で再現し、庖丁と真魚箸(まなばし)のみを用いて、鯉・鯛・鰹(今回は鯛でした!)などの素材に一切手を触れることなくさばいていくもので、各地の神事などで奉納されているようです。webで検索すると、伊勢神宮等でも行われたようです。今回庖丁式を執り行うのは、神戸四條流姫井会の方々です(家元、
三重道場・神戸道場が有るようです。)。

「題 兜鯛」
庖丁人 神戸道場会頭 姫井隆之氏
持ち出し・納め 錬氏 山口るみ子氏
持ち出し・納め 錬氏の女性山口るみ子さんは、まだ慣れておられない様子で姫井隆之さんから、直前迄色々な所作を教わっておられました(笑)。先にどんな物か知りたくて、web検索したのですが、詳細はわかりませんでした。儀式の内容は、流派内の一部の人間で受け継がれる秘伝・秘事として取り扱われているとの事です。
元々年頭や慶事の際に庖丁の型を披露する儀式で、その初めは殿上人や大名が 賓客を歓待する意味で、主人みずから庖丁をとって、その庖丁ぶりを見せ、その切ったものを お抱えの料理人に調理させて賓客に供したといわれています。
【最後に一言】
四條流姫井会包丁式は庖丁と真魚箸(まなばし)のみを使用しますが、手が鯛に触れることは全くありません。さらには、俎にも手を触れず調理された鯛を三宝に盛り付けます。最後にまな板を清め儀式はすべて終わります。古式ゆかしい包丁さばきはまるで能の舞を見ているようでした。庖丁を突き出す所作が裂帛の気合と共に太刀を差し出すような気迫を感じました。ちなみに戦国大名の伊達氏が藤原山蔭の子孫だそうです。神戸道場会頭の姫井隆之さんは料理人というより写真の通り武士の様ですよね。
歴史って本当に素敵ですよね~!
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四条流庖丁道は東京「神田明神」でも行われる包丁儀式で、平安時代から始まると伝えられる日本料理の流派で、「庖丁式」ともいわれます。庖丁道(庖丁式)とは料理に関する作法・故実や調理法などを最も頻用する調理器具の包丁で象徴した呼び名の事です。
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【四條流起源】
四條流の起源は、藤原山蔭(四条中納言、824年~888年)が、光孝天皇の勅命により庖丁式(料理作法)の新式を定めたことに由来すると伝えられています。朝廷の料理は宮内省に属す内膳司が司っていましたが、山蔭は宮内省内膳職とは関係ない人物なので、単に料理法や作法に通じた識者として指名されたと考えられます。9世紀には、唐から伝えられた食習慣や調理法が日本風に改善されて定着しつつあったと考えられ、それらをまとめて故実という形で山蔭が結実させたものだと思われます。これにより、山蔭は「日本料理中興の祖」とされています。四條流には様々な分流が有りますが、今回は神戸四條姫井会の四條流を取材してきました。
【四条流庖丁書】
室町時代後期、すでに四条流の大意をまとめた料理書として『四条流庖丁書』が書かれています。奥書に「長享三年(1489年)二月下旬多治見備後守貞賢在判」とあり、この時期に成立したと思われます。四条流庖丁式の次第が記述され、俎(まないた)の名所・寸法などから記載が始まり、続いて具体的な料理法や、箸・膳の飾り方なども記載されており、当時の日本料理の素材や調理法を知る上で貴重な史料となっています。
驚いた事に、雁の皮煎・潮煎、カマボコ、鳥(雉)の焼き物・刺身、エビの舟盛り、このわた、鯛の潮煮、クラゲの和え物など、多彩な料理が紹介されています。また、四条流では刺身に添えるわさびと塩は接して並べる、酢も添えるべき云々など興味深い記述も有るようです(刺身に酢?面白いですね。)。花鰹の使用も記されており、当時から利用されていることが分かります。日本人の味覚、恐るべしですね。
もちもち、四条中納言藤原朝臣山蔭卿が、鯉の庖丁式を始めたことから、庖丁の儀式の切形が始ったと記載されています。
【庖丁儀式】
今回取材したように、四条流の庖丁儀式とされる、巧みな庖丁さばきによる荘厳な技術披露が現在でも継承され、行われています。藤原山蔭が鯉をさばいて以来の伝統と言われる技法を烏帽子・直垂をまとった姿で再現し、庖丁と真魚箸(まなばし)のみを用いて、鯉・鯛・鰹(今回は鯛でした!)などの素材に一切手を触れることなくさばいていくもので、各地の神事などで奉納されているようです。webで検索すると、伊勢神宮等でも行われたようです。今回庖丁式を執り行うのは、神戸四條流姫井会の方々です(家元、
三重道場・神戸道場が有るようです。)。

「題 兜鯛」
庖丁人 神戸道場会頭 姫井隆之氏
持ち出し・納め 錬氏 山口るみ子氏
持ち出し・納め 錬氏の女性山口るみ子さんは、まだ慣れておられない様子で姫井隆之さんから、直前迄色々な所作を教わっておられました(笑)。先にどんな物か知りたくて、web検索したのですが、詳細はわかりませんでした。儀式の内容は、流派内の一部の人間で受け継がれる秘伝・秘事として取り扱われているとの事です。
元々年頭や慶事の際に庖丁の型を披露する儀式で、その初めは殿上人や大名が 賓客を歓待する意味で、主人みずから庖丁をとって、その庖丁ぶりを見せ、その切ったものを お抱えの料理人に調理させて賓客に供したといわれています。
【最後に一言】
四條流姫井会包丁式は庖丁と真魚箸(まなばし)のみを使用しますが、手が鯛に触れることは全くありません。さらには、俎にも手を触れず調理された鯛を三宝に盛り付けます。最後にまな板を清め儀式はすべて終わります。古式ゆかしい包丁さばきはまるで能の舞を見ているようでした。庖丁を突き出す所作が裂帛の気合と共に太刀を差し出すような気迫を感じました。ちなみに戦国大名の伊達氏が藤原山蔭の子孫だそうです。神戸道場会頭の姫井隆之さんは料理人というより写真の通り武士の様ですよね。
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