牛頭大王は平清盛か?祇園神社の祇園祭!
今日は迷いました~~長男の誕生日(17日で大分過ぎてるんですが)をアップして、イベントスイーツブログを続けるか?祇園神社 (神戸市兵庫区)を取り上げて、寺社仏閣を紹介し、本線の歴史ブログに戻る方が良いのか?結論は、祇園神社(ぎおんじんじゃ)を取り上げました。祇園祭といえば、京都八坂神社の「祇園さん」ではありませんか?神戸っ子は神戸市兵庫区上祇園町にある祇園神社の祇園祭が有名なんです。
神戸大学病院前を2キロメートル程有馬街道を進むと、六甲山の登り口に神社が有ります。実は神戸大学医学部での出向仕事で10年近く過ごしたので、この祇園神社の祇園祭には三回程行ったことが有ります。
その、有馬街道の六甲山登り口は平野という場所で、平清盛の邸宅が有ったといわれています。何かしら関係が有るのでしようか?
それでは、『市郎右衛門』の日本史ブログ(笑)をお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。




【何故こんな所に祇園神社?】
所在地は兵庫県神戸市兵庫区上祇園町です。大倉山公園(神戸大学病院の東側)の北に位置する祇園山中腹に鎮座し、境内までは88段(金比羅神社を先日お詣りした私にはへっちゃらです)の急な石段が続きます。地元では「平野の祇園さん」と呼び習わされ水難除け・疫病退散・厄除け・大願成就に神徳があるとされています。毎年7月に8日間にわたって行われる夏祭りには、多数の参詣客が訪れます。
御祭神は、素戔嗚尊・櫛稲田姫命の御夫妻神です。明治の神仏分離令以前は素戔嗚尊は牛頭天王と同一視されていました。御朱印は「牛頭天王」の文字が中央にあります。周囲には牛頭天王に起源を持つと思われる天王川、天王橋、天王谷、天王温泉などの地名が残っています。
【牛頭天王って誰?】
牛頭天王(ごずてんのう)は日本における神仏習合の神さまです。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされています。蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹であるとともに素戔嗚尊の本地ともされています。
京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られています。また陰陽道では天道神と同一視されていて、道教的色彩の強い神様なのですが、中国の文献には見られません。
【神社縁起】
869年(貞観11年)、京で鴨川が氾濫し疫病が蔓延したとき、行疫神として名高い素戔嗚尊を姫路の広峯神社より北白川瓜生山の東光寺に勧請することとなりました。その時、広峯社の神輿が平野の地で一泊した地に社殿を建て、分霊を崇め奉ったところが「祇園神社」創建の由来とされています(広峯神社も是非訪れたい神社のひとつです。)。
素戔嗚尊は仏教で祇園精舎の守護神とされている牛頭天王と同一視されたため、祇園神社はまた天王社とも呼ばれました。広峯社から東光寺に勧請された牛頭天王の分霊は、のちに京都八坂の地に遷宮され「祇園感神院(現在の八坂神社)」となりました。ただし現在、八坂神社は広峯社を祇園神の本社とする主張を否定しています(「元祖」と「本家」みたいなものですかね?)。
【蘇民将来護符】
蘇民将来(そみんしょうらい、非略体: 蘇民將來、蘓民將耒、 ~将耒、等)とは日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰です。こんにちでも「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神系の神(おもにスサノオ)を祀る神社で授与されており、災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰されています。
また、除災のため、住居の門口に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家も少なく有りません。なお、岩手県県南では、例年、この説話をもとにした盛大な蘇民祭がおこなわれます。陰陽道では天徳神(天道神)と同一視されています。
蘇民将来は祇園信仰と深い関わりがある護符(お守り)で、八坂神社や信濃国分寺など祇園信仰と関係が深い寺社で頒布されています。護符には「蘇民将来子孫也」などの文言が記されており邪鬼退散・疫病除けに霊験があるといわれます。
【今年の祇園祭】
今年も7月13日~20日までの8日間、疫病や水難などの災厄から逃れ、無事厳しい夏を過ごせるようにと祈願する夏祭りが斎行されます。この祭は「平野の祇園さん」と呼ばれ、神戸市内は元より阪神間や明石・三田方面から浴衣姿のカップルやご家族連れなど多数の方が訪れ、期間中は延べ8万人の参拝者で賑わいます。
神社境内やその周辺道路には、タコ焼きやイカ焼き・綿菓子・金魚すくいなど、約100軒の露店が所狭しと軒を連ね、老若男女が童心にかえり、暑さを忘れて楽しんでいます。また、緋色の袴をはいた巫女さんのお神楽の笛や虫の音が、どこか懐かしい郷愁を誘い、神戸の夏の風物詩として皆様に親しまれています。
私も、仕事が一段落した日には何度か訪れました。どうしても用事が有ったので私社の後輩にリンゴ飴(好きなんですよね、今はブドウや苺も有るようですが)を二個頼んだんです。翌日社に届けてくれたリンゴ飴はべとべとに変わっていました。どうした?の私の質問に、入社したばかりの後輩は、「悪く成ったらいけないと思って、冷凍庫に入れたら・・・」との返事、「確かに飴は大丈夫かもしれませんが、リンゴは凍結するやろがい~~(;^_^A」。懐かしい笑い話も思い出しました。
【最後の一言】
平清盛の銅像が平野商店街の交差点に設置されています。現在の平野界隈は、港側のハーバーランド(モザイク)や三ノ宮にはかないませんが、平安末期には福原遷都が行われて、御所は勿論平清盛の邸宅や清盛一族の邸宅で大きな賑わいを見せていました。7月の「祇園祭」は是非古き良き時代の神戸を見に(現在は昭和の香り満載ですが、笑)、どうぞお誘いあわせご参拝頂き、神戸の夏の風情を満喫して下さい。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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(平野商店街にある平清盛像誰かに似てますよね!モデル松ケン?)
神戸大学病院前を2キロメートル程有馬街道を進むと、六甲山の登り口に神社が有ります。実は神戸大学医学部での出向仕事で10年近く過ごしたので、この祇園神社の祇園祭には三回程行ったことが有ります。
その、有馬街道の六甲山登り口は平野という場所で、平清盛の邸宅が有ったといわれています。何かしら関係が有るのでしようか?
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【何故こんな所に祇園神社?】
所在地は兵庫県神戸市兵庫区上祇園町です。大倉山公園(神戸大学病院の東側)の北に位置する祇園山中腹に鎮座し、境内までは88段(金比羅神社を先日お詣りした私にはへっちゃらです)の急な石段が続きます。地元では「平野の祇園さん」と呼び習わされ水難除け・疫病退散・厄除け・大願成就に神徳があるとされています。毎年7月に8日間にわたって行われる夏祭りには、多数の参詣客が訪れます。
御祭神は、素戔嗚尊・櫛稲田姫命の御夫妻神です。明治の神仏分離令以前は素戔嗚尊は牛頭天王と同一視されていました。御朱印は「牛頭天王」の文字が中央にあります。周囲には牛頭天王に起源を持つと思われる天王川、天王橋、天王谷、天王温泉などの地名が残っています。
【牛頭天王って誰?】
牛頭天王(ごずてんのう)は日本における神仏習合の神さまです。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされています。蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹であるとともに素戔嗚尊の本地ともされています。
京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られています。また陰陽道では天道神と同一視されていて、道教的色彩の強い神様なのですが、中国の文献には見られません。
【神社縁起】
869年(貞観11年)、京で鴨川が氾濫し疫病が蔓延したとき、行疫神として名高い素戔嗚尊を姫路の広峯神社より北白川瓜生山の東光寺に勧請することとなりました。その時、広峯社の神輿が平野の地で一泊した地に社殿を建て、分霊を崇め奉ったところが「祇園神社」創建の由来とされています(広峯神社も是非訪れたい神社のひとつです。)。
素戔嗚尊は仏教で祇園精舎の守護神とされている牛頭天王と同一視されたため、祇園神社はまた天王社とも呼ばれました。広峯社から東光寺に勧請された牛頭天王の分霊は、のちに京都八坂の地に遷宮され「祇園感神院(現在の八坂神社)」となりました。ただし現在、八坂神社は広峯社を祇園神の本社とする主張を否定しています(「元祖」と「本家」みたいなものですかね?)。
【蘇民将来護符】
蘇民将来(そみんしょうらい、非略体: 蘇民將來、蘓民將耒、 ~将耒、等)とは日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰です。こんにちでも「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神系の神(おもにスサノオ)を祀る神社で授与されており、災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰されています。
また、除災のため、住居の門口に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家も少なく有りません。なお、岩手県県南では、例年、この説話をもとにした盛大な蘇民祭がおこなわれます。陰陽道では天徳神(天道神)と同一視されています。
蘇民将来は祇園信仰と深い関わりがある護符(お守り)で、八坂神社や信濃国分寺など祇園信仰と関係が深い寺社で頒布されています。護符には「蘇民将来子孫也」などの文言が記されており邪鬼退散・疫病除けに霊験があるといわれます。
【今年の祇園祭】
今年も7月13日~20日までの8日間、疫病や水難などの災厄から逃れ、無事厳しい夏を過ごせるようにと祈願する夏祭りが斎行されます。この祭は「平野の祇園さん」と呼ばれ、神戸市内は元より阪神間や明石・三田方面から浴衣姿のカップルやご家族連れなど多数の方が訪れ、期間中は延べ8万人の参拝者で賑わいます。
神社境内やその周辺道路には、タコ焼きやイカ焼き・綿菓子・金魚すくいなど、約100軒の露店が所狭しと軒を連ね、老若男女が童心にかえり、暑さを忘れて楽しんでいます。また、緋色の袴をはいた巫女さんのお神楽の笛や虫の音が、どこか懐かしい郷愁を誘い、神戸の夏の風物詩として皆様に親しまれています。
私も、仕事が一段落した日には何度か訪れました。どうしても用事が有ったので私社の後輩にリンゴ飴(好きなんですよね、今はブドウや苺も有るようですが)を二個頼んだんです。翌日社に届けてくれたリンゴ飴はべとべとに変わっていました。どうした?の私の質問に、入社したばかりの後輩は、「悪く成ったらいけないと思って、冷凍庫に入れたら・・・」との返事、「確かに飴は大丈夫かもしれませんが、リンゴは凍結するやろがい~~(;^_^A」。懐かしい笑い話も思い出しました。
【最後の一言】
平清盛の銅像が平野商店街の交差点に設置されています。現在の平野界隈は、港側のハーバーランド(モザイク)や三ノ宮にはかないませんが、平安末期には福原遷都が行われて、御所は勿論平清盛の邸宅や清盛一族の邸宅で大きな賑わいを見せていました。7月の「祇園祭」は是非古き良き時代の神戸を見に(現在は昭和の香り満載ですが、笑)、どうぞお誘いあわせご参拝頂き、神戸の夏の風情を満喫して下さい。
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