やはり初詣は但馬一宮『出石神社』で「天日槍」にご挨拶! - 「高天原の縁側日記」
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2016/01/10

やはり初詣は但馬一宮『出石神社』で「天日槍」にご挨拶!

毎年何かない限り初詣は、但馬一宮の「いっきゅうさん」こと『出石神社』にお詣りに行きます。

但馬の皆さんは但馬五社の「粟賀神社」「養父神社」「出石神社」「小田井縣神社」「絹巻神社」にお詣りに行かれるのではないかと思います(スタンプラリーもありますので、すべて巡られる方も多いようです)。

私は実家から近くて、妻の実家にも近い『出石神社』に行くことにしています。

出石神社1
(一宮ですね~、人手が少ないのは三日だからです)
出石神社2


出石神社3


『出石神社』は天日槍命を御祭神としています。
天日槍の名前は神社縁起、「日本書紀」でも同じく記載、「古事記」では天之日矛と記載されています(今回は神社縁起の記載です)。

この天日槍さん、新羅の王族で宝珠から生まれた奥さんに逃げられてしまい、倭国まで追いかけて来た、少し情けない?優男神様です(笑)。

浪花で奥さんに復縁を断られ、但馬の出石で新しく嫁をめとり、住み着く事に成ります。

そのあとの天日槍の活躍は、別人の様です。

当時岩山でふさがれていた、現在の円山川(兵庫県第4位の長さをほこる一級河川)の河口部分の岩石を取り除き、沼だった現在の但馬平野部を稲作の出来る土地に作り替えるのです。

参考までに、兵庫県職土木課の同級生が豊岡は地下40メートルまでは粘土層だと言っていたので、沼だったことは間違いない事実のようです(ここで私が少し、気になるのが縄文海進ですが、時代も違いますし、我が但馬の神様の業績にいちゃもんをつける気は毛頭ありません)。

凄い功績だと豊岡市では、土木の神様に祭り上げよう運動も始まったようです。

子孫には、11代、垂仁天皇に「非時香菓(ときじくのかくのみ)」探しを命じられた田道間守天皇の后と成り、三韓征伐で有名な神功皇后がおられます。

この『天日槍』の眠る出石神社の森奥に禁足地が有ります。

古墳ですね~!
出石神社4
かなり大きな円墳ですね。

本人が眠っておられるのかな?気になります。

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