「大国主」は暗殺された?哀愁の『須勢理毘売命』を追って!vol①
前回『須勢理毘売命』のお話しをさせて頂くために、大国主の女性達を紹介致しました。反響を頂いたのですが、皆さん最初の写真の出雲大社の兎が「可愛い~~!」との反響~?。(笑)
まわしを締めていたのは、野見 宿禰(相撲の神様)のお社の隣の兎だからでした。ということで、今回も「看板兎」で皆さんを惹き付けま~す。(*^^*)
さてお話しは、『須勢理毘売命』が大国主から離れて、出雲王国の端ともいえる大山町に移り住んだ経路を追い掛けるという企画です。行ってみよう~~!
それでは、『市郎右衛門』の日本史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。




【唐王神社の賑わい】
《唐王神社公式サイトより抜粋》
「まーむしまむし、よーけよけ、唐王御前のお通りだ」とは、山の茂みや草むらなどにわけ入る時の唱え言葉でありますが、当社のご神徳はこの地方に広くゆきわたっております。
ご祭神須勢理毘売の神様は、女神様で御父神様はあのご気性のはげしい素盞鳴命(すさのうのみこと)です。当時賢明で御徳高く信望の厚い大国主命が、須勢理毘売命を妻にと申出のあった際、素盞鳴命は姫の夫をしてふさわしいかどうかを色々な方法で試されたのでした。
最初の試練は、毒蛇の室で一夜を過すことでした。大国主命が部屋に入られるや否や、大蛇や蝮等毒蛇が数知れずどっと襲いかかって来たのです。その時すかさず須勢理毘売命は「この比礼を三度打ち払い給え」と申されて、その通りに比礼を振ると毒蛇はみな姿を消して危機を助けられました。
その次は、むかでと蜂の部屋でした。又火ぜめの試練もありましたが、その都度姫のご神徳によって危険をのがれられ目出度くご夫婦となられました。後御子事代主命の神々と共に力を合わせてこの国の農業の開拓、医療の進展、温泉の開発等と人々の福祉を進められたご功績は甚大なものがあります。この神社は、この須勢理毘売命を崩った地として、以前には毎年出雲大社から祭官が参向されていたそうであります。
現在も害虫毒虫蝮よけの守護神として県内外からの参拝者も多くあり、ご本殿下の砂をいただいて田畑にまけば害虫が去り、家屋敷にまけばささりやむかでが退散するし、又お守を身につけて居るならば蝮の危害をのがれることができるし、更に神社裏奥にあるご神井の水は如何なる旱祓にも涸れたこともなく(※)、蜂にさされた折等いち速くこのご神水をぬれば勿ち治癒するといわれて居ります。
旧8月3日には早朝から参拝者で賑わい、特に地方の名産干瓢市が立ち見る間に数百貫の干瓢も売り切れてしまいます。又芸能奉納や名物「どじょう汁」の売店もあります。
<昭和49年 汗西神社案内>
※現在は整備事業の為水脈が変わり、水は出なくなりましした。
汗西神社とは唐王神社の事の様です。何故か名前が違いますし、前回気がつかれた方も居られると思いますが、鳥居の名前も(松籬社)神社でしたね。土地のなまえが唐王なので唐王神社と呼ばれているのかも知れません。
【大国主は暗殺された?】
大国主と別居することになった「須勢理毘売命」ですが、はこの別居に疑問点があると感じています。
別居された理由とされる神話は、『日本書紀』の葦原中国平定の場面の第二の一書にのみに登場します。大穴牟遅命(大国主)が国譲りを決め、幽界に隠れた後、高皇産霊尊が大物主神(大国主の奇魂・和魂)に対し「もしお前が国津神を妻とするなら、まだお前は心を許していないのだろう。私の娘の三穂津姫を妻とし、八十万神を率いて永遠に皇孫のためにお護りせよ」と申されました。このように記載される「日本書紀」の解釈を物語の通りに考えると、色々な疑問がわいてきます。
ストレートに読むと、この時点で大物主神(大国主の奇魂・和魂)と成っています。つまり神霊、幽界に隠れた後とは、大国主の死を意味していると考えるのはおかしいでしょうか。「国譲り」といえば美しいお話ですが、つまりは戦争、もしくは脅しですね、大国主は一個人ではなく、出雲大国王の名称でしょう。多くの名前(大穴牟遅神・大己貴命・八千矛神・葦原醜男・大物主神・大國魂大神
等)も多くの子孫も大きな功績(国造りの神として有名)も出雲大国王が成し遂げたと考えると、理解出来ます。
倭もしくは大和、天孫族に国を奪われた出雲王国の王は杵築大社に祀られました。出雲王国は加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡、妻木晩田遺跡、更にはヤガミヒメの因幡、ヌナカワヒメの越までを、考えると大きな都市国家を線で繋いだ、日本海側の最大勢力を誇る王国でした。本来の出雲は現在の出雲大社がある出雲市ではなく、「 出雲風土記」で語られた『意宇(出雲六社や国府跡・国分寺跡が残る)』であったことは間違いないと思います。
大和政権が自分たちの神話に取り入れ、大国主が死してなおその勢力を恐れ、地上40メートルにも及ぶ巨大な空中神殿を作って祀らなければ怖くてしょうがなかったのです。前回も申しました様に、出雲王国の三種の神器は、生大刀と生弓矢、天詔琴です。しかし出雲大社の御神体は、その何れでも無いであろうことを、実は私「有る関係筋」からの聞き取り調査で存じております。大国主は、死に追いやられたと私は推測します。
【社伝「須勢理毘売命」の道行き】
倭に首都を奪われた、大国主の妻「須勢理毘売命」は辺境の妻木晩田遺跡(妻木晩田は1世紀に最盛期を迎え2世紀後半に滅んでいます。)からすぐ傍の唐王の地に逃れる事を余儀なくされます。その道行は意宇から東に逃れ揖屋の港から米子市夜見を通り(ここまでは私の私見です。)、大山町の阿弥陀川河口付近に上陸され、最初は大山町国信の「若宮原」に居を構え暫らく滞在します。今でも大きな松の切り株や弥生式の土器が出土するようです。
しかしここは、海辺ゆえの波風が立ち海の音も高いがゆえに、大山町末吉の「天皇さん」に居を移されたといいます。暫らくご滞在になられましたが、やはりまだ海から近いということで、末長の「天皇さん(地元でこのように呼ばれています。末吉・末長共にめでたい名前ですね。)」に移られたということです。近くに喉を潤した湧き水と腰を下ろされた腰掛岩が在るとの記載がありました。そこでもまだ海が近いと唐王へお移りになったとの言い伝えもあります。
【最後に一言】
フィールドワークの大切さを実感させられるようなブログに成りました。ハインリヒ・シュリーマンが19世紀末に、ギリシャ神話やホメーロスの英雄叙事詩『イーリアス』をもとに、長く伝説上の古代都市と思われていたトロイアの都市国家イーリオス遺跡を発見したことに思いをはせました。あのトロイの木馬が現実の話だったとなると、出雲神話の神々や場所も神話としてかたずけて良いのでしょうか?神話や伝承を語り継がない国は滅びる運命にあります。
アメリカがスターウオーズを必死に製作するのは、出雲神話や金太郎や桃太郎に浦島太郎が無いからだと思いませんか?チューバッカ・C‐3PO・R2-D2が猿・犬・雉に見えてきたらルークが桃太郎だとわかりますよね。(笑)
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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まわしを締めていたのは、野見 宿禰(相撲の神様)のお社の隣の兎だからでした。ということで、今回も「看板兎」で皆さんを惹き付けま~す。(*^^*)
(こちらは大国主と因幡の素兎「ガマの穂をくわえた八上姫」ですね。)
さてお話しは、『須勢理毘売命』が大国主から離れて、出雲王国の端ともいえる大山町に移り住んだ経路を追い掛けるという企画です。行ってみよう~~!
それでは、『市郎右衛門』の日本史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。




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【唐王神社の賑わい】
《唐王神社公式サイトより抜粋》
「まーむしまむし、よーけよけ、唐王御前のお通りだ」とは、山の茂みや草むらなどにわけ入る時の唱え言葉でありますが、当社のご神徳はこの地方に広くゆきわたっております。
ご祭神須勢理毘売の神様は、女神様で御父神様はあのご気性のはげしい素盞鳴命(すさのうのみこと)です。当時賢明で御徳高く信望の厚い大国主命が、須勢理毘売命を妻にと申出のあった際、素盞鳴命は姫の夫をしてふさわしいかどうかを色々な方法で試されたのでした。
最初の試練は、毒蛇の室で一夜を過すことでした。大国主命が部屋に入られるや否や、大蛇や蝮等毒蛇が数知れずどっと襲いかかって来たのです。その時すかさず須勢理毘売命は「この比礼を三度打ち払い給え」と申されて、その通りに比礼を振ると毒蛇はみな姿を消して危機を助けられました。
その次は、むかでと蜂の部屋でした。又火ぜめの試練もありましたが、その都度姫のご神徳によって危険をのがれられ目出度くご夫婦となられました。後御子事代主命の神々と共に力を合わせてこの国の農業の開拓、医療の進展、温泉の開発等と人々の福祉を進められたご功績は甚大なものがあります。この神社は、この須勢理毘売命を崩った地として、以前には毎年出雲大社から祭官が参向されていたそうであります。
現在も害虫毒虫蝮よけの守護神として県内外からの参拝者も多くあり、ご本殿下の砂をいただいて田畑にまけば害虫が去り、家屋敷にまけばささりやむかでが退散するし、又お守を身につけて居るならば蝮の危害をのがれることができるし、更に神社裏奥にあるご神井の水は如何なる旱祓にも涸れたこともなく(※)、蜂にさされた折等いち速くこのご神水をぬれば勿ち治癒するといわれて居ります。
旧8月3日には早朝から参拝者で賑わい、特に地方の名産干瓢市が立ち見る間に数百貫の干瓢も売り切れてしまいます。又芸能奉納や名物「どじょう汁」の売店もあります。
<昭和49年 汗西神社案内>
※現在は整備事業の為水脈が変わり、水は出なくなりましした。
汗西神社とは唐王神社の事の様です。何故か名前が違いますし、前回気がつかれた方も居られると思いますが、鳥居の名前も(松籬社)神社でしたね。土地のなまえが唐王なので唐王神社と呼ばれているのかも知れません。
【大国主は暗殺された?】
大国主と別居することになった「須勢理毘売命」ですが、はこの別居に疑問点があると感じています。
別居された理由とされる神話は、『日本書紀』の葦原中国平定の場面の第二の一書にのみに登場します。大穴牟遅命(大国主)が国譲りを決め、幽界に隠れた後、高皇産霊尊が大物主神(大国主の奇魂・和魂)に対し「もしお前が国津神を妻とするなら、まだお前は心を許していないのだろう。私の娘の三穂津姫を妻とし、八十万神を率いて永遠に皇孫のためにお護りせよ」と申されました。このように記載される「日本書紀」の解釈を物語の通りに考えると、色々な疑問がわいてきます。
ストレートに読むと、この時点で大物主神(大国主の奇魂・和魂)と成っています。つまり神霊、幽界に隠れた後とは、大国主の死を意味していると考えるのはおかしいでしょうか。「国譲り」といえば美しいお話ですが、つまりは戦争、もしくは脅しですね、大国主は一個人ではなく、出雲大国王の名称でしょう。多くの名前(大穴牟遅神・大己貴命・八千矛神・葦原醜男・大物主神・大國魂大神
等)も多くの子孫も大きな功績(国造りの神として有名)も出雲大国王が成し遂げたと考えると、理解出来ます。
倭もしくは大和、天孫族に国を奪われた出雲王国の王は杵築大社に祀られました。出雲王国は加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡、妻木晩田遺跡、更にはヤガミヒメの因幡、ヌナカワヒメの越までを、考えると大きな都市国家を線で繋いだ、日本海側の最大勢力を誇る王国でした。本来の出雲は現在の出雲大社がある出雲市ではなく、「 出雲風土記」で語られた『意宇(出雲六社や国府跡・国分寺跡が残る)』であったことは間違いないと思います。
大和政権が自分たちの神話に取り入れ、大国主が死してなおその勢力を恐れ、地上40メートルにも及ぶ巨大な空中神殿を作って祀らなければ怖くてしょうがなかったのです。前回も申しました様に、出雲王国の三種の神器は、生大刀と生弓矢、天詔琴です。しかし出雲大社の御神体は、その何れでも無いであろうことを、実は私「有る関係筋」からの聞き取り調査で存じております。大国主は、死に追いやられたと私は推測します。
【社伝「須勢理毘売命」の道行き】
倭に首都を奪われた、大国主の妻「須勢理毘売命」は辺境の妻木晩田遺跡(妻木晩田は1世紀に最盛期を迎え2世紀後半に滅んでいます。)からすぐ傍の唐王の地に逃れる事を余儀なくされます。その道行は意宇から東に逃れ揖屋の港から米子市夜見を通り(ここまでは私の私見です。)、大山町の阿弥陀川河口付近に上陸され、最初は大山町国信の「若宮原」に居を構え暫らく滞在します。今でも大きな松の切り株や弥生式の土器が出土するようです。
しかしここは、海辺ゆえの波風が立ち海の音も高いがゆえに、大山町末吉の「天皇さん」に居を移されたといいます。暫らくご滞在になられましたが、やはりまだ海から近いということで、末長の「天皇さん(地元でこのように呼ばれています。末吉・末長共にめでたい名前ですね。)」に移られたということです。近くに喉を潤した湧き水と腰を下ろされた腰掛岩が在るとの記載がありました。そこでもまだ海が近いと唐王へお移りになったとの言い伝えもあります。
【最後に一言】
フィールドワークの大切さを実感させられるようなブログに成りました。ハインリヒ・シュリーマンが19世紀末に、ギリシャ神話やホメーロスの英雄叙事詩『イーリアス』をもとに、長く伝説上の古代都市と思われていたトロイアの都市国家イーリオス遺跡を発見したことに思いをはせました。あのトロイの木馬が現実の話だったとなると、出雲神話の神々や場所も神話としてかたずけて良いのでしょうか?神話や伝承を語り継がない国は滅びる運命にあります。
アメリカがスターウオーズを必死に製作するのは、出雲神話や金太郎や桃太郎に浦島太郎が無いからだと思いませんか?チューバッカ・C‐3PO・R2-D2が猿・犬・雉に見えてきたらルークが桃太郎だとわかりますよね。(笑)
歴史って本当に面白いですよね~!
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