伝説と歴史に彩られる『瀬田の唐橋』② - 「高天原の縁側日記」
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2017/10/14

伝説と歴史に彩られる『瀬田の唐橋』②

瀬田の唐橋の続編です。瀬田の唐橋が歴史に登場する事件は、まだまだ有りますよ~。今日は、戦国自体から現代(あんまり意味が無いかもですが)迄をお送りしたいと思います。

瀬田の唐橋(せたのからはし)は、滋賀県大津市瀬田の瀬田川にかかる橋(現在はコンクリート、勿論昔は木材です)です。全長260mの長さを誇ります。滋賀県道2号大津能登川長浜線がこの橋を渡っていて、「勢多の唐橋」とも書き、「瀬田の長橋」とも言われています。

P761986549.jpg(安藤広重(歌川広重)の『近江八景』シリーズのひとつ「近江八景・瀬田の夕照」)


京都の宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋・日本三大古橋の一つとされてきました。また、1986年(昭和61年)8月10日の道の日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された、「日本の道100選」にも選ばれています。前回と同じじゃない!

それでは、『市郎右衛門』の日本史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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【初恋の君が本を出版されたのでご紹介します】

初恋の君!「坪内美樹」さんが本を出版されました~(*^^*)。素敵な本なのでご紹介します。

P631254879.jpg
(写真はこちらもお友達の同級生のくー子ちゃんからはいしゃくしました)

中学生・高校生と憧れの君だった美樹ちゃん、初恋の相手っていくつに成ってもドキドキするんものですよね、おじさんなのに面白いですよね、勿論やけぼっくいにも火が付く何て事は間違っても、無いので誤解の無いようにハッキリしておきましょう。私の片思いでしたし、告白して振られたとは明記しておきます~。(ToT)

それでも、私が好きに成っただけのことは有るぞというご活躍です。ブログもリンクさせて頂きますので、ご覧下さい。
坪内美樹のGood Luckブログ

【歴史と伝説「戦国から現代へ」】



さて本題ですね!東海道・東山道(中山道)方面から京都へ向かうには、琵琶湖を渡るか、もしくは南北いずれかに迂回しないかぎり、琵琶湖から流れ出る瀬田川(迂回って、瀬田川、宇治川、淀川と名前を変えて大阪湾に流れ込むからどこかで渡河しなければ成りません)を渡る必要があるのです。1889年(明治22年)まで瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は、交通の要衝でもあり、京都(平安京)防衛上の重要地であったことから、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われて来ました。唐橋を舞台として繰り広げられた、壬申の乱、寿永の乱、承久の乱、建武の乱など、古代から様々な戦乱に巻き込まれています。

【突然うんちくクイズ~(* ̄∇ ̄)ノ】

平安京はいつまで続いたでしょうか?

歴史好きには当たり前なのですが、「鎌倉時代!」と答えた皆さん、間違いですよ~(*^^*)、引っかけ問題ですが、いがいにだまされませんか?平安京は明治になるまで続いて京都に有りました。「平安京時代はいつまで続いたでしょう?」と質問しないところが肝なんですよ。
クイズも楽しんで日本史を好きになってくださいね。

【戦国時代から現代まで】

PA080294.jpg(今日も瀬田の唐橋は美しいです。)
PA080335.jpg(ボートやバス釣りの方が多くて驚きました。)
PA080322.jpg(二重になった短い方です。左折用に路線が増えました。)

唐橋を現在の位置に移したのは織田信長でした。架橋奉行は木村次郎左衛門と瀬田城主の山岡景隆で、若狭の神宮寺山と近江朽木から材木を取り寄せ、幅四軒(約7.2m)長さ一八〇軒(約327m)の橋を90日で完成ました。中州(島)をはさんだ大橋と小橋の形となったのはこの時からと考えられます。

それ以前の戦いでは中州があったにもかかわらず一本の大橋だったわけですね。都守備側には不利な構造だったと言えます。明智光秀が「本能寺の変」で信長を倒した後の天王山の戦いまでの間に、光秀が安土城を攻めようと橋を渡ろうとしたため、山岡景隆は唐橋と瀬田城を焼き払ってこれを阻止しました。明智光秀が仮橋を架けるのには3日を要しました。

焼失後の唐橋を架けたのは豊臣秀吉で、そのとき初めて現在の位置に、大小二橋の橋を架けたとされます。

【江戸時代になると】

PA080330.jpg(この橋が無いと機内には入れません。「近江八景・瀬田の夕照」は最初に召せました。)


瀬田の唐橋は安藤広重(歌川広重)の『近江八景』シリーズのひとつ「近江八景・瀬田の夕照」に描かれ、往時の唐橋の様子をよく表しています。

瀬田の川橋は、膳所藩(本多家)が管理し、東海道の要所として発展しました。江戸幕府は、瀬田川に唐橋以外の他の橋をかけることを禁じ、膳所城主に保護監理の任務を課しました。1795年(寛永7年)~1894年(明治27年)までの100年間で、18回の架け換えの記録が残っています。

【明治以から現在】

1875年(明治8年)12 月には国が、1895年(明治28年)3 月には県が、ともに木造にて架替えを行っています。
1919年(大正8年)に道路構造令が公布されたのを機に、翌1922年(大正11年)4月に事業費47万円(当時)をかけて事業に着手し、1924年(大正13年)6月に、これまで木造であった橋が、はじめて鉄筋コンクリート製の橋に架け替えられました(風情は無くなりましたねぇ)。

その後、補修は何度も繰り返えし行われましたが、1974年(昭和49年)に本格的な架橋工事が行われ、1979年(昭和54年)に現在の橋が竣工されました。橋の特徴である擬宝珠は歴代受け継がれており、「文政」「明治」などの銘が入ったものも現存しています。1995年(平成7年)、瀬田唐橋の小橋に右折レーンの設置工事が行われ、1997年(平成9年)に完成しています。2012年(平成24年)には、唐茶色に塗り替えられ、現在に至っています。

【面白うんちく逸話特選】

戦国時代の武将である武田信玄は、臨終の際に「瀬田橋に、風林火山の我旗をたてよ」と言ったといわれますが、この逸話は、山を越えればすぐに京都・奈良に通じる瀬田唐橋が、軍事上の要害として重要な位置を示していたことが伺い知れるエピソードの一つになっています。

江戸時代初期の安楽庵策伝『醒睡笑』巻二は連歌師・宗長の歌を引用し、「急がば回れ」の諺の発祥であると紹介されています。
「武士(もののふ)のやはせのわたりちかくともいそかはまはれ瀬田の長はし」、東から京都へ上るには矢橋(やばせ)の港から大津への航路が最も早いとされていましたが、その反面、比叡おろしの強風による船出・船着きの遅れも少なくありませんでした。 瀬田まで南下すれば風の影響を受けずに唐橋を渡ることができ、日程の乱れも起きないことから、これを「急がば廻れ」と詠んだものであると言われました。

 松尾芭蕉も旅の途上にてこの橋について「五月雨に隠れぬものや瀬田の橋」「橋桁の忍は月の名残り哉」の二句を詠んでいます。

千利休が弟子達の集まっている席で「瀬田の唐橋の擬宝珠の中に見事な形のものが2つあるが、見分けられる人はいないものか?」と訊ねました。すると一座にいた古田織部は急に席を立ってどこかに行ってしまいます。夕方になって戻ってきた織部は、利休が何をしていたのか訊ねると「例の擬宝珠を見分けてみようと思いまして早馬で瀬田に参りました。見事なものと言われました2つの擬宝珠は東と西の、これとこれではありませんか??と答えました。利休をはじめ一座の者は織部の執心の凄まじさに感心したと言われています。へうげ者と呼ばれた古田織部ならではの逸話だと思いませんか?

PA080328.jpg(織部が探し出した、擬宝珠はどれなんでしょうね~?)
PA080312.jpg(架け替えによって無くなっていますね~笑!私馬鹿ですね~!)

【最後に】

瀬田の唐橋の防御力について私なりに考察してみました。織田豊臣時代以前は、一本の大橋だったために東からの攻撃側の勝利も数多くありますが、現在の様な二橋の唐橋構造ならば、五倍の軍勢にも負けることはないと確信しました。次回は、真田幸村が籠城戦を用いずに瀬田の唐橋を手中にした場合を例に挙げて、家康との戦を検証をしてみたいと思いますので、お楽しみにしてください。
PA080354.jpg(珍しい水位観測所が有るのご存知でした?)
PA080356.jpg(こんなちっちゃな場所なんですが。)
PA080360.jpg(明治から平成4年まで使われていた、オランダの測量機これもまた歴史ですね。)

歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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