「祈りとは何なのか?」世界遺産よりも明解に示してくれる場所 『猪目洞窟』 - 「高天原の縁側日記」
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2017/09/08

「祈りとは何なのか?」世界遺産よりも明解に示してくれる場所 『猪目洞窟』

「夏も過ぎた気配なのに、今頃怪談話か」と笑われそうですが、「見た人には確実に死が訪れるといわれる『猪目洞窟(いのめどうくつ)』をご紹介します。

まず安心してくださいね、生き物は必ずいつか死にますから、洞窟を見ない人も必ずいつか死にますからね!それにすぐに死が訪れるとも言っておりませんし、どうやら「夢を見ると」の但し書きまである丁寧さですから、そう簡単に死にそうにもありません。まず私の死亡記事(私などで死亡記事が出ることは無いです)が出ましたら、少しだけ心配しましょうか。

P8111310.jpg(道路向こうのトンネルが西向き、出雲大社方向です。)

猪目洞窟は『出雲国風土記』出雲郡条の宇賀郷の項には、「夢にこの磯の窟の辺に至れば、必ず死ぬ。故、俗人古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と名づくるなり」と書かれ、夢で猪目洞窟を見た者は必ず死ぬ、ここは黄泉の穴であると記されています。また伊邪那美命(イザナミノミコト)が、死んだ伊邪那岐命(イザナギノミコト)を迎え行った黄泉の国の入り口であるともいわれています。

島根県安来町の揖屋神社の近くに「黄泉比良坂・(伊賦夜坂)」が有りますが、お話は似ているような気がしますね。心霊スポットだと聞いたこともありませんが、ん?そういえば近頃、転んでひざ小僧をすりむいたり、カメラの充電ジャックが壊れたし、娘のバイトの迎えで車のバンパー2㎝ほど傷付けたし、悪いことが続けておきているような気がしますね~(゜゜;)

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【猪目洞窟ってどこに在るの?】

P8111304.jpg(この看板見逃したら、ちょっとやばいかもしれません。)
P8111256.jpg(あの世への入り口説明版です。)
P8111261.jpg(道路から下る細道を下りてゆきます。)

住所は、島根県出雲市猪目町ですね、猪目洞窟は出雲大社の艮(うしとら・鬼門)の方角に位置しています。日御碕から島根県道23号へと山道へ入り13km、30分程度でしょうか?もちろん人も訪れることもほとんどない、寂しいところです。私の取材中に上の道路を通過した車は2台、お会いした人物は釣りに来られたおじさん一人だけでした。

『出雲風土記』の「夢至此礒窟之辺者必死。故俗人 自古至今 号黄泉之坂 黄泉之穴也。」は現代語に訳すと「夢の中でこの洞窟に行くのを見たならば、必ず死んでしまう。ここは昔から黄泉の坂、黄泉の穴と呼んでいる。」となります。

日御碕方面から向かいますとカーブの先のトンネルを抜けて直ぐ橋下のため、この時も対向車が来てスピードを下げていなければ、通り過ごしていたかもしれないようなへんぴな場所です。

【猪目洞窟の何が凄いの?】

P8111255.jpg(猪目洞窟遺物包含層説明版)
P8111302.jpg(絵に成りそうです。100号くらいはかけるかな。)
P8111267.jpg(美しいですね~本当!地層がこんなにまで美しいなんて、ビックリです。)
P8111262.jpg(猪目洞窟および遺物説明版)

猪目洞窟は天平5年(733)に編纂された出雲国風土記によると「夢で猪目洞窟を見た者は必ず死ぬ」と記され黄泉の国の入口とも云わっています。昭和23年(1948年)に発掘され、弥生時代から古墳時代にかけての人骨や副葬品が発見されました。発掘調査によるとゴボウラ製貝和をはめた弥生時代の人骨や、古墳時代の木棺墓に葬られた人骨、副葬品が須恵器だったものなど13体の人骨が発見され古くからの聖地だった事が推察されます。

発見当時、大社考古学会により調査が行われた関係から、出土品は現在、大社町の史跡猪目洞窟遺物包含層出土品収蔵庫で保管されているとの説明版がありました。1700年前の美女性の白骨が状態よく残っているらしいので是非見たいですね~。

史蹟調査によれば猪目洞窟は、人骨なども発見されていることから、かつての埋葬地であったと考えられています。実際に訪れると、出雲大社裏の山を越えて丁度同社真裏の海辺に存在することから、古代の人々の聖域観など、神道を育んだ基層的信仰の問題を考える上で示唆に富んだ地理的要件を持つことが考えられます。

猪目洞窟遺物包含層(いのめどうくついぶつほうがんそう)は1957(昭和32)年7月27日国指定史跡に、猪目洞窟遺跡出土遺物が1974(昭和49)年12月27日島根県指定文化財にそれぞれ指定されています。

【猪目洞窟遺物包含層】

P8111273.jpg
(小さな祠が有りました。)
P8111290.jpg(洞窟の中に入ってみましょう。)
P8111283.jpg(奥まで行くとこんな感じ、この土の下に遺物が埋まっていました。まだ先があるそうです。)

この洞窟遺跡は、1948(昭和23)年に、漁船の船置場として利用するため入口の堆積土を取り除いた時に発見されたものです。猪目洞窟は猪目湾の西端にある海蝕大洞穴で、凝灰岩の絶壁にできた洞窟の洞口は東に向き、幅36メートル、奥行き30m高さ中央部で約12メートル有ります、奥に進むにしたがって幅と高さがちいさくなり、トンネル状の岩隙となっています。洞底には凝灰岩の巨塊小片微砂等が推積しています。

発掘遺物は層序的に良好な保存状態で存するもので縄文式土器、弥生式土器、貝釧及び土師器、須惠器、各種木製品より成り、人骨も埋存していました。

この遺跡は、縄文時代中期の土器片も少量採集されていますが、弥生時代以降、古墳時代後期まで(2,300~1,400年前)の埋葬と生活の遺跡といえます。埋葬の遺跡としては、人骨が13体以上見つかっており、特に注目されるものとしては、南海産のゴホウラ製貝輪をはめた弥生時代の人骨や、舟材を使った木棺墓に葬られた古墳時代の人骨、稲籾入りの須恵器を副葬した人骨などがあります。

生活の遺跡としては、各種木製品、土器、骨角器などの道具や、食料の残滓と思われる貝類、獣骨、鳥骨、木の実など、また多量の灰などがあります。

題名を考えるときに、「死を招く洞窟で死者の国の入り口を見た『猪目洞窟』にしようとも考えましたが、人間の何世紀にもわたる純粋な祈りをオカルトまがいの題名でかたずけても良いものかと考えて、祈りとしました。この猪目洞窟で人々は何を祈ったのでしょう。為政者が行った大掛かりな祈りとはまた違った、単純で純粋な生活の祈りだったに違いないと思う市右郎衛門です。
P8111292.jpg(黄泉の世界から出ると、現実がすぐそこにありました~(笑))
P8111295.jpg(猪目湾の向こうにも洞窟が見えます。綺麗な山陰の景色にうっとりです。)


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