「一休み一休み」!社員会の写真コンテストに出品してみた。第二弾!
今回は余り歴史とは関係ない?話題です。たまには「一休み一休み」です。ブログを書き始めた頃に、丁度会社(社員会)の写真コンテストがあったのです。
二年前位ですね、現社員会の会長はほぼ同期入社なので、協力しなければ、と出品してみたのですが、あえなく落選!もう二度と出すものか~とふて腐れていたのですが、今回は社員の皆さんも興味が薄れたのか出品数が定数に届かないという、お粗末さだったので、再募集のメールが各現場に回ってきました。
わが社は社員200名程の中小企業ですし、殆どの社員が派遣されたり出向したりと、横の繋がりがはとんど無いのです。
かくゆう私も、現在の職場(「国立研究所(医薬系)」、凄くかっこいい響きですが下働きです)にお世話に成って五年程に成りますが。他の現場がどんな状態かよく分からないのです(;^_^A。
そこで出品数が少ないのなら、社長賞(10000円券)のチャンスも在るのでは?と意地汚く考え、普段からブログで色々廻って写真だけは撮影しているので、何か掘り出し物がが有るだろうと、探してみたのですが、ブログ用の写真は記録が本分なので、面白みに欠けてしまいます。
そこで私が選んだのが、丹後国一宮「元伊勢の一社」の『籠神社(このじんじゃ)』と西国三十三所観音霊場第28番札所『成相山 成相寺』、先日に家族で行きましたおりに、撮影した傘松公園からの「日本三景又覗きの図」を景品欲しさに出品してみました。
其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみくださいね(人´ω`*).☆.。




【一寸休憩して日本三景を!】
傘松公園(かさまつこうえん)は、京都府宮津市にある日本三景の天橋立を眼下に望む展望公園です。天橋立の北西にあり、丹後海陸交通が運営している展望台は観光名所のひとつになっています。麓の府中からケーブルカー(天橋立鋼索鉄道)かリフトで登ることができます。
【展望の醍醐味】
傘松公園から観る天橋立は「斜め一文字」と呼ばれ、股のぞきをして観ることの楽しさで有名です。股のぞきをすると、天地が逆転し、まさに天にかかる橋のようにみえます。公園は山の上にありますが、さらに徒歩で3分ほど登ると、「傘松」という名の松がある『股のぞき発祥の地』があります(ちょっと歴史ブログらしく成って来ました。笑)。発祥の地からは西国三十三所第28番札所の成相寺へ行くバスが出ています(料金がもったいないので?健康のために歩いてみました?。どっちやねんな)。公園内には「天橋立パノラマハウス」があり、中には、レストランや軽食コーナー、売店などがあります。また公園の一角には籠神社の祭神が降臨したとされる冠島、沓島遥拝所がありました。
天橋立を挟んで対岸には同様の展望施設がある天橋立ビューランド(眺めは「飛龍観」と呼ばれる)が所在しています。
【日本三景って誰が決めたの?】
江戸時代前期の儒者、林羅山の三男の林 鵞峰(はやし がほう)、元和4年5月29日(1618年7月21日) ~延宝8年5月5日(1680年6月1日)が決めています。
那波活所(なわかっしょ)に師事し、その後父羅山同様江戸に赴き江戸幕府に仕えました。父羅山の死去後の明暦3年(1657年)林家を継ぎ、幕政に参与しています。寛文3年(1663年)、4代将軍徳川家綱に五経を講義して弘文院学士号を与えられ、訴訟関係・幕府外交の機密を担った役人です。
日本史に通じ、父羅山とともに『日本王代一覧』、『本朝通鑑』(『本朝編年録』)、『寛永諸家系図伝』など、幕府の初期における編纂事業を主導し、近世の歴史学に大きな影響を与えました。鵞峰が整えた林家学塾の組織は、その後の昌平坂学問所の基礎となっっています。
多方面な関心をいだいて博学広才ぶりを発揮した父羅山にくらべ、鵞峯は、『本朝通鑑』や『日本王代一覧』などにおいて「日本」の国柄がどのようなものであったかを追究し、幕府政治の正統性や妥当性がどうあればいいかについて、その支配イデオロギー形成の端緒を開いたとも評されています。
寛永20年(1643年)の著書『日本国事跡考』のなかで「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀」(松島、この島の外に小島若干あり、ほとんど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安芸厳島と三処の奇観となす)と記していて、これが現在の「日本三景」の由来となったと思われます。2006年(平成16年)、林鵞峰の誕生日にちなみ、7月21日が「日本三景の日」と制定されています(へ~そうなんだ!林 鵞峰の経歴はWikiを参考にさせて頂きました)。
丹後国一宮「元伊勢の一社」の『籠神社(このじんじゃ)』と西国三十三所観音霊場第28番札所『成相山 成相寺』は又の機会に必ずご紹介させていただきます。
【最後にもう一つ、らしいうんちくを】
題名にした「一休み一休み」!は私が子供の頃のアニメ一休さんのCM前の「あわてない、あわてない、一休み一休み」の一言から遣わしていただきました。一休さんこと(一休宗純・いっきゅうそうじゅん)は、1394年(応永元年)正月元旦に、後小松天皇と、宮仕えしていた日野中納言の娘照子姫との間に生まれました。つまり皇子ですね、お墓は京田辺市薪の酬恩庵一休寺にあります。
皇族ですから勿論宮内庁管轄なんですよ。(オット行ってない所は書かない御約束なので、この辺で止めておきます。)
いつも応援、ありがとうございます(^人^)。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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二年前位ですね、現社員会の会長はほぼ同期入社なので、協力しなければ、と出品してみたのですが、あえなく落選!もう二度と出すものか~とふて腐れていたのですが、今回は社員の皆さんも興味が薄れたのか出品数が定数に届かないという、お粗末さだったので、再募集のメールが各現場に回ってきました。
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【展望の醍醐味】
傘松公園から観る天橋立は「斜め一文字」と呼ばれ、股のぞきをして観ることの楽しさで有名です。股のぞきをすると、天地が逆転し、まさに天にかかる橋のようにみえます。公園は山の上にありますが、さらに徒歩で3分ほど登ると、「傘松」という名の松がある『股のぞき発祥の地』があります(ちょっと歴史ブログらしく成って来ました。笑)。発祥の地からは西国三十三所第28番札所の成相寺へ行くバスが出ています(料金がもったいないので?健康のために歩いてみました?。どっちやねんな)。公園内には「天橋立パノラマハウス」があり、中には、レストランや軽食コーナー、売店などがあります。また公園の一角には籠神社の祭神が降臨したとされる冠島、沓島遥拝所がありました。
天橋立を挟んで対岸には同様の展望施設がある天橋立ビューランド(眺めは「飛龍観」と呼ばれる)が所在しています。
【日本三景って誰が決めたの?】
江戸時代前期の儒者、林羅山の三男の林 鵞峰(はやし がほう)、元和4年5月29日(1618年7月21日) ~延宝8年5月5日(1680年6月1日)が決めています。
那波活所(なわかっしょ)に師事し、その後父羅山同様江戸に赴き江戸幕府に仕えました。父羅山の死去後の明暦3年(1657年)林家を継ぎ、幕政に参与しています。寛文3年(1663年)、4代将軍徳川家綱に五経を講義して弘文院学士号を与えられ、訴訟関係・幕府外交の機密を担った役人です。
日本史に通じ、父羅山とともに『日本王代一覧』、『本朝通鑑』(『本朝編年録』)、『寛永諸家系図伝』など、幕府の初期における編纂事業を主導し、近世の歴史学に大きな影響を与えました。鵞峰が整えた林家学塾の組織は、その後の昌平坂学問所の基礎となっっています。
多方面な関心をいだいて博学広才ぶりを発揮した父羅山にくらべ、鵞峯は、『本朝通鑑』や『日本王代一覧』などにおいて「日本」の国柄がどのようなものであったかを追究し、幕府政治の正統性や妥当性がどうあればいいかについて、その支配イデオロギー形成の端緒を開いたとも評されています。
寛永20年(1643年)の著書『日本国事跡考』のなかで「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀」(松島、この島の外に小島若干あり、ほとんど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安芸厳島と三処の奇観となす)と記していて、これが現在の「日本三景」の由来となったと思われます。2006年(平成16年)、林鵞峰の誕生日にちなみ、7月21日が「日本三景の日」と制定されています(へ~そうなんだ!林 鵞峰の経歴はWikiを参考にさせて頂きました)。
丹後国一宮「元伊勢の一社」の『籠神社(このじんじゃ)』と西国三十三所観音霊場第28番札所『成相山 成相寺』は又の機会に必ずご紹介させていただきます。
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題名にした「一休み一休み」!は私が子供の頃のアニメ一休さんのCM前の「あわてない、あわてない、一休み一休み」の一言から遣わしていただきました。一休さんこと(一休宗純・いっきゅうそうじゅん)は、1394年(応永元年)正月元旦に、後小松天皇と、宮仕えしていた日野中納言の娘照子姫との間に生まれました。つまり皇子ですね、お墓は京田辺市薪の酬恩庵一休寺にあります。
皇族ですから勿論宮内庁管轄なんですよ。(オット行ってない所は書かない御約束なので、この辺で止めておきます。)
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