謎の仙人開基の寺院!『国宝・朝光寺』と『つくばねの滝』
西国三十三観音霊場二十五番札所の播州「清水寺」へのお参りの後、朝早くわざわざ加東市まで来たのだから、もう一寺位廻れないものか?とネット検索すると、えっ?「国宝」が有るじゃないですか、行くしかないでしょ~(^^)b
というわけで、兵庫県加東市の『朝光寺』に伺いました。
本日御紹介致しますのは、「国宝」「重要文化財」てんこ盛りの『鹿野山朝光寺』と『つくばねの滝』です。
其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみくださいね(人´ω`*).☆.。



朝光寺(ちょうこうじ)は兵庫県加東市にある寺院です。山号を鹿野山(ろくやさん)と称します。宗派は高野山真言宗、本尊は2躯の十一面千手千眼観世音菩薩立像ですね。
【朝光寺の概要です】
所在地:兵庫県加東市畑609
山号:鹿野山(ろくやさん)
宗派:高野山真言宗
本尊:十一面千手千眼観音2躯
創建年伝:白雉2年(651年)
開基伝:法道仙人
札所等:宝の道福神22番
文化財:本堂(国宝)・鐘楼(重要文化財)・多宝塔(県文化財)・鐘楼(重要文化財)・多宝塔・山門等。
法道仙人が651年に開基したという伝承があります。上記のように本堂は国宝に、鐘楼は国の重要文化財に指定されています。
【法道仙人って誰?】
法道仙人(ほうどうせんにん)開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しています。
法道仙人はインド出身だということになっています。鉄の宝鉢を持っていたことから、空鉢仙人(からはちせんにん)とも呼ばれ、不思議な術を使う超能力の持ち主だと伝わっています。
多くの寺の縁起などによると、推古天皇(すいこてんのう)の頃に日本へ渡ってきたとされていますので、6~7世紀の人物ということになりますが、本当の事跡や没年、墓所などすべて不明で、伝わっているのはその名前と仙術にまつわる伝説ばかりです。つまり実在の人物か解りません。第一、「法道上人」や「僧法道」ではなく、なぜ「仙人」なのでしょうか?
播磨国の山には、法道仙人を開山もしくは開基と伝える寺が多いのです。此までに御紹介した寺院の多くに仙人開基の寺が有りました。西国三十三観音霊場でも二十五番札所の「清水寺」・番外の花山院菩提寺・二十六番札所の「一乗寺」(いまだご紹介しておりません)などです。仙人が開いたと伝える寺院は、兵庫県下に110か所以上あるといわれています。また、彼が日本に渡るときに、共に渡ってきた「牛頭天王(ごずてんのう)」は、姫路市の広峰神社(ひろみねじんじゃ)に祭られ、その後、八坂神社(やさかじんじゃ)中の座に祭られたとされていますから、播磨の国がとりわけ仙人と関わりが深いことは間違い有りません。
伽藍(がらん)を構えた寺院だけでなく、あちこちにある不可思議な自然物が、法道仙人と結びつけて理解され伝えられていることは、仙人に対する素朴な信仰がこの地の人々にとっても身近であったことを示しています。「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できません。
【朝光寺の歴史】
伝承によれば、651年、法道仙人が権現山に開基したとされています。法道は天竺(インド)から紫の雲に乗って日本へやって来たと伝えられる、半ば伝説上の人物です。法道開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に多数あり、当寺もその1つです。つまり開基人物がレジェンドな訳ですから、創建の詳しい事情や初期の歴史についても、史料が乏しくあまり明確では無いのも頷けます。
1189年、つくばねの滝近くの現在地に移転、再建されました。1413年にも本堂再建、京都「三十三間堂」の十一面千手千眼観世音菩薩立像のうちの1躯を本尊として安置しています。1504~20年に赤松義村が再興、現在に至ります。
【赤松 義村ってどんな人】
赤松 義村(あかまつ よしむら)は戦国時代前期(室町時代後期)の播磨の守護大名・戦国大名です。赤松家の第10代当主(当主在職は明応4年(1496年)4月~永正17年(1520年))です。
播磨・備前・美作の3国を支配した戦国大名で、赤松家中興の第9代当主・赤松政則の婿養子に当たります。義村の家系は第5代当主・範資から始まる七条家の家系で、義村は範資の6代孫に当たる。父は七条政資(まさすけ)で、以後の赤松宗家は江戸時代直前に滅亡するまで義村の家系が家督を相続しました。
義村は政則の代から行われていた赤松家の戦国大名化をさらに推し進めるべく大名権力の強化を図りますが、守護代の浦上村宗がそれに反発して対立、播磨などの赤松領で内紛となります。義村は村宗に敗れ、家督を嫡子の才松丸(のちの晴政)に譲って隠居しましたが、復権を図って再度村宗と対立したため、村宗により暗殺されて赤松家は没落してしまいました。
【つくばねの滝って?】
朝光寺の脇を流れる渓谷に在る滝で、衝く羽根の木が自生している事から、つくばねの滝と呼ばれています。それでは衝く羽根の木とはどんな木なのか説明しますと、お正月の遊び、羽子板でつく羽根に(はねつきの「羽根」) 似た果実ができるので「ツクバネ(衝羽根)」です。 秋の実は 羽子板の羽根に由来し 別名 ハゴノキ とも言います. 白檀科の半寄生の落葉低木です。
(私が取材用に持ち歩くオリンパスのカメラです。)
最後に、私と同じように御朱印集めをしている方々は道を挟んだ塔頭「吉祥院」でいただけます。
「早起きは三文の徳」とは良くできた言葉ですね~早起きしたおかげでこんな素敵な国宝のプレゼントを頂きました。
ちなみに英語では「The early bird catches the worm. 」「早起きの鳥は虫を捕まえる」です。更に早起きは三文の「得」でもいいのですよ。
明日も早起きして出かけるか~(笑)
いつも応援、ありがとうございます(^人^)。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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【朝光寺の概要です】
所在地:兵庫県加東市畑609
山号:鹿野山(ろくやさん)
宗派:高野山真言宗
本尊:十一面千手千眼観音2躯
創建年伝:白雉2年(651年)
開基伝:法道仙人
札所等:宝の道福神22番
文化財:本堂(国宝)・鐘楼(重要文化財)・多宝塔(県文化財)・鐘楼(重要文化財)・多宝塔・山門等。
法道仙人が651年に開基したという伝承があります。上記のように本堂は国宝に、鐘楼は国の重要文化財に指定されています。
【法道仙人って誰?】
法道仙人(ほうどうせんにん)開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しています。
法道仙人はインド出身だということになっています。鉄の宝鉢を持っていたことから、空鉢仙人(からはちせんにん)とも呼ばれ、不思議な術を使う超能力の持ち主だと伝わっています。
多くの寺の縁起などによると、推古天皇(すいこてんのう)の頃に日本へ渡ってきたとされていますので、6~7世紀の人物ということになりますが、本当の事跡や没年、墓所などすべて不明で、伝わっているのはその名前と仙術にまつわる伝説ばかりです。つまり実在の人物か解りません。第一、「法道上人」や「僧法道」ではなく、なぜ「仙人」なのでしょうか?
播磨国の山には、法道仙人を開山もしくは開基と伝える寺が多いのです。此までに御紹介した寺院の多くに仙人開基の寺が有りました。西国三十三観音霊場でも二十五番札所の「清水寺」・番外の花山院菩提寺・二十六番札所の「一乗寺」(いまだご紹介しておりません)などです。仙人が開いたと伝える寺院は、兵庫県下に110か所以上あるといわれています。また、彼が日本に渡るときに、共に渡ってきた「牛頭天王(ごずてんのう)」は、姫路市の広峰神社(ひろみねじんじゃ)に祭られ、その後、八坂神社(やさかじんじゃ)中の座に祭られたとされていますから、播磨の国がとりわけ仙人と関わりが深いことは間違い有りません。
伽藍(がらん)を構えた寺院だけでなく、あちこちにある不可思議な自然物が、法道仙人と結びつけて理解され伝えられていることは、仙人に対する素朴な信仰がこの地の人々にとっても身近であったことを示しています。「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できません。
【朝光寺の歴史】
伝承によれば、651年、法道仙人が権現山に開基したとされています。法道は天竺(インド)から紫の雲に乗って日本へやって来たと伝えられる、半ば伝説上の人物です。法道開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に多数あり、当寺もその1つです。つまり開基人物がレジェンドな訳ですから、創建の詳しい事情や初期の歴史についても、史料が乏しくあまり明確では無いのも頷けます。
1189年、つくばねの滝近くの現在地に移転、再建されました。1413年にも本堂再建、京都「三十三間堂」の十一面千手千眼観世音菩薩立像のうちの1躯を本尊として安置しています。1504~20年に赤松義村が再興、現在に至ります。
【赤松 義村ってどんな人】
赤松 義村(あかまつ よしむら)は戦国時代前期(室町時代後期)の播磨の守護大名・戦国大名です。赤松家の第10代当主(当主在職は明応4年(1496年)4月~永正17年(1520年))です。
播磨・備前・美作の3国を支配した戦国大名で、赤松家中興の第9代当主・赤松政則の婿養子に当たります。義村の家系は第5代当主・範資から始まる七条家の家系で、義村は範資の6代孫に当たる。父は七条政資(まさすけ)で、以後の赤松宗家は江戸時代直前に滅亡するまで義村の家系が家督を相続しました。
義村は政則の代から行われていた赤松家の戦国大名化をさらに推し進めるべく大名権力の強化を図りますが、守護代の浦上村宗がそれに反発して対立、播磨などの赤松領で内紛となります。義村は村宗に敗れ、家督を嫡子の才松丸(のちの晴政)に譲って隠居しましたが、復権を図って再度村宗と対立したため、村宗により暗殺されて赤松家は没落してしまいました。
【つくばねの滝って?】
朝光寺の脇を流れる渓谷に在る滝で、衝く羽根の木が自生している事から、つくばねの滝と呼ばれています。それでは衝く羽根の木とはどんな木なのか説明しますと、お正月の遊び、羽子板でつく羽根に(はねつきの「羽根」) 似た果実ができるので「ツクバネ(衝羽根)」です。 秋の実は 羽子板の羽根に由来し 別名 ハゴノキ とも言います. 白檀科の半寄生の落葉低木です。
(私が取材用に持ち歩くオリンパスのカメラです。)
最後に、私と同じように御朱印集めをしている方々は道を挟んだ塔頭「吉祥院」でいただけます。
「早起きは三文の徳」とは良くできた言葉ですね~早起きしたおかげでこんな素敵な国宝のプレゼントを頂きました。
ちなみに英語では「The early bird catches the worm. 」「早起きの鳥は虫を捕まえる」です。更に早起きは三文の「得」でもいいのですよ。
明日も早起きして出かけるか~(笑)
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コメント
つくばね
私も3年前の秋にこの寺を訪れました。
ボランティアの方がおられたので、説明を受けましたが、つくばねの実は秋に出来るのだそうです。昔はもっと在ったのだそうですが、持ち帰る人がいて随分減ってしまったと嘆いておられました。このつくばねは急斜面や尾根などに生育する植物で他の環境では育たないとのことでした。
たまたま門の近くに実が出来ているのを見つけて、色づいた実をカメラに収めることが出来ました。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-357.html
2017-07-27 19:44 しばやん URL 編集
Re: つくばね
しばやんさんコメントありがとうございます。
私が訪れたのは二年前の秋?初冬だったかな~当初の目的が清水寺で朝一番の雪が残っていました。
折角来たのだから、とネット検索で訪れました。まだブログに写真の概念を持ち合わせていなかったので、しばやんさんのブログを拝見すると、恥ずかしいですね(笑)。
母がお花を嗜んでいたので、つくばねは知っていたのですが、落ちてしまっていたのかもしれません。
又色々教えてください。よろしくお願いいたします。
2017-07-27 20:05 市朗右衛門 URL 編集