今日六月二十七日は「小泉八雲」と「?」の誕生日です。
今日六月二十七日は作家・日本研究家、小泉八雲(1850-1904)の誕生日です。
其処で、出雲大好きな私が同じく出雲が大好きだった「小泉八雲」を御紹介いたします。
「日本人の愛情は言葉としては発されない。口調に現れることすら稀である。それは緻密な親切と思いやりの行為という形で主に現れる。」――『東の国より/心』(1895)
其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログ「おめでとう里音」をお楽しみくださいね(人´ω`*).☆.。



其処で、出雲大好きな私が同じく出雲が大好きだった「小泉八雲」を御紹介いたします。
「日本人の愛情は言葉としては発されない。口調に現れることすら稀である。それは緻密な親切と思いやりの行為という形で主に現れる。」――『東の国より/心』(1895)
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【?て誰!】
実は今日は私の次女(里音)の誕生日です。
我が家では、必ず毎回ケーキをリクエストしてお祝いする事にしています。
この風習?は私が妻と結婚して20年間毎年行われてきました。
長女が加わり、長男が加わり、そして次女が加わって、現在では年5回行われています。
次女は卵アレルギーが有るので、製造ラインでも卵を使わないしっかりしたケーキ屋さんで購入します。
今回は、素材にこだわる極上スイーツ 神戸の洋菓子店レーブドゥシェフで購入しました(es koyamaさんかどちらかなのですがね、笑)。
しかしながら歴史ブロガーですから、そこは同じく今日誕生日の小泉 八雲さんもご紹介するわけです(一寸ひねくれてるかな?)。
【小泉八雲って誰?】
小泉 八雲(こいずみ やくも、ラフカディオ・ハーン、1850年6月27日~1904年(明治37年)9月26日)は、ギリシャ生まれの新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、日本民俗学者です。
東洋と西洋の両方に生きた人物とも言われています。
1904年9月26日、日本・東京府豊多摩郡大久保村西大久保(東京都新宿区大久保)で亡くなりました。(満54歳没)
墓地:雑司ヶ谷霊園
職業:小説家・随筆家・民俗学者その他
国籍:イギリス
日本活動期間:1894年~1904年代表作『骨董』『怪談』等
配偶者:マティ・フォリー(1875年~1877年)、小泉セツ(1891年~1904年)
子供:小泉一雄(長男)稲垣巌(次男)小泉清(三男)
親族:小泉凡(曾孫、島根県立島根女子短期大学准教授)
ファミリーネームは来日当初「ヘルン」とも呼ばれていましたが、これは松江の島根県立中学校への赴任を命ずる辞令時に、「Hearn」を「ヘルン」と表記したのが広まり、当人もそのように呼ばれることを非常に気に入っていたことから定着したようです。
ただ、妻の節子には「ハーン」と読むことを教えたことがありました。
HearnもしくはO'Hearnはアイルランド南部では比較的多い姓のようです。
1896年(明治29年)に日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗ります。
「八雲」は、一時期島根県の松江市に在住していたことから、そこの旧国名(令制国)である出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」に因むとされます。
日本の怪談話を英語でまとめた『怪談』を出版した事は有名ですね。
母がシチリア島またはマルタ島生まれのギリシャ人で、アラブの血も混じっていたらしく、のちに八雲自身、家族や友人に向かって「自分には半分東洋人の血が流れているから、日本の文化、芸術、伝統、風俗習慣などに接してもこれを肌で感じ取ることができる」と自慢していたようです。
父母を通じて、地球上の東西および南北の血が自分の中に流れているという自覚が、八雲の生涯と文学を特徴づけていたようです。
異国情緒を求める時代背景もありましたが、八雲は生涯を通じてアイルランドからフランス、アメリカ、西インド諸島、日本と浮草のように放浪を続けました。
かつ、いかなる土地にあっても人間は根底において同一であることを信じて疑わなかったようです。
シンシナティでは州法を犯してまで混血黒人と結婚しようとし、のちに小泉セツと家庭を持つに際しても、何ら抵抗を感じなかったと言われます。
1850年、当時はイギリス領であったレフカダ島(1864年にギリシャに編入)にて、イギリス軍医であったアイルランド人の父チャールス・ブッシュ・ハーンと、レフカダ島と同じイオニア諸島にあるキティラ島出身のギリシャ人の母ローザ・カシマティのもとに出生、生地レフカダ島からラフカディオというミドルネームが付いようです。
フランスやイギリスのダラム大学の教育を受けた後、1859年に渡米、得意のフランス語を活かし、20代前半からジャーナリストとして頭角を顕し始め、文芸評論から事件報道まで広範な著述で好評をえました。
1890年(明治23年)、アメリカ合衆国の出版社の通信員として来日します。
来日後に契約を破棄し、日本で英語教師として教鞭を執るようになり、翌年小泉セツ(島根県士族小泉湊の娘、第七十五代出雲国造千家俊勝の次男千家俊信[国学者]の玄孫)と結婚します。
松江・熊本・神戸・東京と居を移しながら日本の英語教育の最先端で尽力し、欧米に日本文化を紹介する著書を数多く遺しています。
日本では『雨月物語』『今昔物語』などに題材を採った再話文学で知られていますね。
彼が松江時代に居住していた住居は、1940年(昭和15年)に国の史跡に指定されています。
【出雲国国造家って】
天照大神と素戔嗚命が誓約をしたときに、天照大神の右のみずらに巻いた勾玉から成った五兄弟の次男天穂日命(長男は、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊で天皇家の祖)から派生したとなっています。
天穂日命は天照大神と共に地上に降り、その後は地上の最高神である大国主命に仕えました。
そのため子孫である千家家は、大国主命を祀る出雲大社の宮司を代々務めています。
つまり、小泉八雲は天照大神の子孫と結婚したことに成ります。
「数遊びをしてみましょう。」
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊の子、天津日高彦瓊瓊杵尊(天孫降臨のニニギです)の子、海幸彦の孫と言われる神武天皇が即位したとしましょう。
神代では現実味が有りませんか?それでは神武天皇と同一人物とも言われる10代崇神天王(現実の人物と考えられています)を初代と想定して、二人の子供が生まれる(一人は11代垂仁天皇ですが)、二人の息子が妻を娶って子供を二人ずつ生んでいくと仮定しましょう。
2人・4人・8人・16人・32人…と計算すると、26代過ぎて36代孝徳天皇で13427728人で現在の日本人口を軽く超えます。
40代天武天皇(天智天皇「中大兄皇子」とは両親を同じくする弟)に成ると21億人を超えてしまうのです(有史以前の日本人口より多い?)。
つまり日本人全てが親戚といっても過言ではないし(畏れ多いですが125代今上陛下とも親戚?)、神社詣りってご先祖様の供養の様なものだと思うのですよ(笑)。
【津波の紹介者って知ってました?】
tsunamiという英語をみんなが知る英語にしたのはスマトラ島沖地震 (2004年)からであるが、最初に英語として紹介したのはハーンの 1897年の作品「生神」の英語版"A Living God"からです。
2004年まではtidal waves(潮波、高波、大津波、大変動、大動揺などの意味)と地震と無関係の用語と混同されていたようです。
【来日後の著作】
知られざる日本の面影 (Glimpses of Unfamiliar Japan) 1894年 - 鳥取のふとんの話、日本人の微笑、他
東の国より (Out of the East) 1895年
心 (Kokoro) 1896年 - 小説やエッセイなど15編の短編集。きみこ、あみだ寺の比丘尼、ハル、他
仏陀の国の落穂 (Gleanings in Buddha-Fields) 1897年 - 生神、人形の墓、勝五郎の転生、他
異国風物と回想 (Exotics and Retrospectives) 1898年
霊の日本にて (In Ghostly Japan) 1899年
影 (Shadowings) 1900年 - 和解、死骸にまたがる男、他
日本雑録 (A Japanese Miscellany) 1901年 - 守られた約束、破られた約束、果心居士のはなし、梅津忠兵衛、漂流、他
骨董 (Kotto) 1902年 - 幽霊滝の伝説、茶碗の中、常識、他
怪談 (kwaidan) 1904年 - 耳なし芳一のはなし、むじな、ろくろ首、雪女、葬られた秘密、食人鬼、他
私ちなみに今、小泉八雲の「神々の国の首都」読んでます。
【最後にもう一人本日誕生日の女性のご紹介】
本日誕生日の方の名言をご紹介してブログを終わります。
幸福への1つの扉が閉じる時、別の扉が開きます。けれども私達はしばしば閉じた扉をいつまでも見ているので、開かれた扉が目に入らないのです。――『We Bereaved』(1929) 三重苦の社会福祉事業家、ヘレン・ケラー
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歴史って本当に面白いですよね~!
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【?て誰!】
実は今日は私の次女(里音)の誕生日です。
我が家では、必ず毎回ケーキをリクエストしてお祝いする事にしています。
この風習?は私が妻と結婚して20年間毎年行われてきました。
長女が加わり、長男が加わり、そして次女が加わって、現在では年5回行われています。
次女は卵アレルギーが有るので、製造ラインでも卵を使わないしっかりしたケーキ屋さんで購入します。
今回は、素材にこだわる極上スイーツ 神戸の洋菓子店レーブドゥシェフで購入しました(es koyamaさんかどちらかなのですがね、笑)。
しかしながら歴史ブロガーですから、そこは同じく今日誕生日の小泉 八雲さんもご紹介するわけです(一寸ひねくれてるかな?)。
【小泉八雲って誰?】
小泉 八雲(こいずみ やくも、ラフカディオ・ハーン、1850年6月27日~1904年(明治37年)9月26日)は、ギリシャ生まれの新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、日本民俗学者です。
東洋と西洋の両方に生きた人物とも言われています。
1904年9月26日、日本・東京府豊多摩郡大久保村西大久保(東京都新宿区大久保)で亡くなりました。(満54歳没)
墓地:雑司ヶ谷霊園
職業:小説家・随筆家・民俗学者その他
国籍:イギリス
日本活動期間:1894年~1904年代表作『骨董』『怪談』等
配偶者:マティ・フォリー(1875年~1877年)、小泉セツ(1891年~1904年)
子供:小泉一雄(長男)稲垣巌(次男)小泉清(三男)
親族:小泉凡(曾孫、島根県立島根女子短期大学准教授)
ファミリーネームは来日当初「ヘルン」とも呼ばれていましたが、これは松江の島根県立中学校への赴任を命ずる辞令時に、「Hearn」を「ヘルン」と表記したのが広まり、当人もそのように呼ばれることを非常に気に入っていたことから定着したようです。
ただ、妻の節子には「ハーン」と読むことを教えたことがありました。
HearnもしくはO'Hearnはアイルランド南部では比較的多い姓のようです。
1896年(明治29年)に日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗ります。
「八雲」は、一時期島根県の松江市に在住していたことから、そこの旧国名(令制国)である出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」に因むとされます。
日本の怪談話を英語でまとめた『怪談』を出版した事は有名ですね。
母がシチリア島またはマルタ島生まれのギリシャ人で、アラブの血も混じっていたらしく、のちに八雲自身、家族や友人に向かって「自分には半分東洋人の血が流れているから、日本の文化、芸術、伝統、風俗習慣などに接してもこれを肌で感じ取ることができる」と自慢していたようです。
父母を通じて、地球上の東西および南北の血が自分の中に流れているという自覚が、八雲の生涯と文学を特徴づけていたようです。
異国情緒を求める時代背景もありましたが、八雲は生涯を通じてアイルランドからフランス、アメリカ、西インド諸島、日本と浮草のように放浪を続けました。
かつ、いかなる土地にあっても人間は根底において同一であることを信じて疑わなかったようです。
シンシナティでは州法を犯してまで混血黒人と結婚しようとし、のちに小泉セツと家庭を持つに際しても、何ら抵抗を感じなかったと言われます。
1850年、当時はイギリス領であったレフカダ島(1864年にギリシャに編入)にて、イギリス軍医であったアイルランド人の父チャールス・ブッシュ・ハーンと、レフカダ島と同じイオニア諸島にあるキティラ島出身のギリシャ人の母ローザ・カシマティのもとに出生、生地レフカダ島からラフカディオというミドルネームが付いようです。
フランスやイギリスのダラム大学の教育を受けた後、1859年に渡米、得意のフランス語を活かし、20代前半からジャーナリストとして頭角を顕し始め、文芸評論から事件報道まで広範な著述で好評をえました。
1890年(明治23年)、アメリカ合衆国の出版社の通信員として来日します。
来日後に契約を破棄し、日本で英語教師として教鞭を執るようになり、翌年小泉セツ(島根県士族小泉湊の娘、第七十五代出雲国造千家俊勝の次男千家俊信[国学者]の玄孫)と結婚します。
松江・熊本・神戸・東京と居を移しながら日本の英語教育の最先端で尽力し、欧米に日本文化を紹介する著書を数多く遺しています。
日本では『雨月物語』『今昔物語』などに題材を採った再話文学で知られていますね。
彼が松江時代に居住していた住居は、1940年(昭和15年)に国の史跡に指定されています。
【出雲国国造家って】
天照大神と素戔嗚命が誓約をしたときに、天照大神の右のみずらに巻いた勾玉から成った五兄弟の次男天穂日命(長男は、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊で天皇家の祖)から派生したとなっています。
天穂日命は天照大神と共に地上に降り、その後は地上の最高神である大国主命に仕えました。
そのため子孫である千家家は、大国主命を祀る出雲大社の宮司を代々務めています。
つまり、小泉八雲は天照大神の子孫と結婚したことに成ります。
「数遊びをしてみましょう。」
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊の子、天津日高彦瓊瓊杵尊(天孫降臨のニニギです)の子、海幸彦の孫と言われる神武天皇が即位したとしましょう。
神代では現実味が有りませんか?それでは神武天皇と同一人物とも言われる10代崇神天王(現実の人物と考えられています)を初代と想定して、二人の子供が生まれる(一人は11代垂仁天皇ですが)、二人の息子が妻を娶って子供を二人ずつ生んでいくと仮定しましょう。
2人・4人・8人・16人・32人…と計算すると、26代過ぎて36代孝徳天皇で13427728人で現在の日本人口を軽く超えます。
40代天武天皇(天智天皇「中大兄皇子」とは両親を同じくする弟)に成ると21億人を超えてしまうのです(有史以前の日本人口より多い?)。
つまり日本人全てが親戚といっても過言ではないし(畏れ多いですが125代今上陛下とも親戚?)、神社詣りってご先祖様の供養の様なものだと思うのですよ(笑)。
【津波の紹介者って知ってました?】
tsunamiという英語をみんなが知る英語にしたのはスマトラ島沖地震 (2004年)からであるが、最初に英語として紹介したのはハーンの 1897年の作品「生神」の英語版"A Living God"からです。
2004年まではtidal waves(潮波、高波、大津波、大変動、大動揺などの意味)と地震と無関係の用語と混同されていたようです。
【来日後の著作】
(素戔嗚、稲田姫、大蛇退治にまつわる神社女性に大人気です。)
知られざる日本の面影 (Glimpses of Unfamiliar Japan) 1894年 - 鳥取のふとんの話、日本人の微笑、他
東の国より (Out of the East) 1895年
心 (Kokoro) 1896年 - 小説やエッセイなど15編の短編集。きみこ、あみだ寺の比丘尼、ハル、他
仏陀の国の落穂 (Gleanings in Buddha-Fields) 1897年 - 生神、人形の墓、勝五郎の転生、他
異国風物と回想 (Exotics and Retrospectives) 1898年
霊の日本にて (In Ghostly Japan) 1899年
影 (Shadowings) 1900年 - 和解、死骸にまたがる男、他
日本雑録 (A Japanese Miscellany) 1901年 - 守られた約束、破られた約束、果心居士のはなし、梅津忠兵衛、漂流、他
骨董 (Kotto) 1902年 - 幽霊滝の伝説、茶碗の中、常識、他
怪談 (kwaidan) 1904年 - 耳なし芳一のはなし、むじな、ろくろ首、雪女、葬られた秘密、食人鬼、他
私ちなみに今、小泉八雲の「神々の国の首都」読んでます。
【最後にもう一人本日誕生日の女性のご紹介】
本日誕生日の方の名言をご紹介してブログを終わります。
幸福への1つの扉が閉じる時、別の扉が開きます。けれども私達はしばしば閉じた扉をいつまでも見ているので、開かれた扉が目に入らないのです。――『We Bereaved』(1929) 三重苦の社会福祉事業家、ヘレン・ケラー
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