「八岐大蛇」の首を切り落とした「十束の剣」を追って『石上神宮』へ②。 - 「高天原の縁側日記」
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2017/06/05

「八岐大蛇」の首を切り落とした「十束の剣」を追って『石上神宮』へ②。

本日は、御約束通り『石上神宮』、前回の続きです。

P5190186.jpg(神徒、鶏~凄く鳴いてました~暑かったから?)

日本神話で「素盞嗚尊(須佐乃男命「前回古事記記載で書いてました(^人^)」)」が八岐大蛇の首を切り落とした時、尻尾から出てきた剣が「天叢雲剣(草薙の剣)」で『三種の神器(天皇の証)』の一つであることは、皆さんご存知ですよね。

常々私は、後で出てきた(少々不敬なのですが)「雨の叢雲(草薙の剣)」より八岐大蛇の首を一撃の元に切り落とした『十束の剣』の方が霊力?が有るのではないか?とブログでも申し上げて来ました。
その十束の剣を祀るのがここ『石上神宮』なのです。

其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみくださいねm(__)m。
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【石上神宮は神使、鶏が放し飼い】

P5190185.jpg(放し飼い、そういえば池には「わたか」という天然記念物の魚がおりましたがどれか解らなかったので割愛いたしました。)

神宮に入ると直ぐに目につくのが鶏です。
鶏は石上神宮の一番の人気者らしいのです。
現在約30羽が参道をはじめ境内の各所にいます。
神宮に到着するや否や「こけこっこ~」の声が響き渡っています。
長鳴鶏(ながなきどり)の一種の東天紅(とうてんこう:高知県産・天然記念物)、烏骨鶏(うこっけい:天然記念物)、採卵用種のレグホン・ミノルカなどが棲んでいます。

今から40年程前に奉納され、以後時々の奉納や自然繁殖、時にはイタチ、タヌキ、テンなどの小動物による被害を受け、羽数は増減しますが、大きく変ることはありません。
そのため鶏たちは夕方暗くなる前に低い木々から順々に高い枝に飛び上がり、そこで一夜を過ごしています。
烏骨鶏やレグホンは高く飛び上がることが出来ず、専用の鶏舎にて夜を過ごします。

ニワトリはすでに『古事記』『日本書紀』に登場し、暁に時を告げる鳥として、神聖視され、神様のお使いともされています。
広い境内で自由にいろいろな物を啄(ついば)みながら、生息しており、職員も玄米をはじめ野菜など与えているそうです。

P5190171.jpg(静かな参道の様ですが、鶏の声がうるさい!)
P5190181.jpg(そしてこの日はすごく暑い日でした。)
P5190239.jpg(社務所ですが御朱印は拝殿前でもらえます。)

【御配神の御柱】

宇摩志麻治命(うましまじのみこと)
五十瓊敷命(いにしきのみこと)
白河天皇
市川臣命(いちかわおみのみこと)天足彦国押人命(孝昭天皇皇子)後裔で、石上神宮社家の祖。

【神宮の歴史は?】

古代の山辺郡石上郷に属する布留山の西北麓に鎮座します。
非常に歴史の古い神社で、『古事記』『日本書紀』に既に、石上神宮・石上振神宮との記述があります。
古代軍事氏族である物部氏(にも拘らず、蘇我氏に負けたのは油断かな?)が祭祀し、ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられています。

古くは斉宮が居たともいわれ、その中で、(本当に斎宮であったかどうか議論が在る様ですが)布都姫という名が知られています。

【斎宮うんちく】

斎宮(さいぐう/さいくう・いつきのみや/いわいのみや)は古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮(石上神宮?)に奉仕した斎王の宮もしくは、斎王の御所(現在の斎宮跡)を呼ぶ様です。

CIMG2751.jpg(こちら偶然に伊勢神宮遷宮の少し後、祭主の池田厚子さんが参拝された時の写真です。皇宮警察とSPのガードすごい!)

南北朝時代に制度が廃絶しましたので、現在は伊勢神宮にも斉王は居らず、斎主を設けています。
2015年現在の祭主は池田厚子(今上天皇のお姉様)さんがお勤めされています。
ご高齢の為、職務は臨時祭主の黒田清子(今上天皇陛下の長女)さんが代行されていますね。
戦後は皇族出身の女性が就任していることから斎宮と混同されることもありますが、斎宮は神宮に仕えた未婚の皇族女性のことです。

【神宮の呼び名】

また、神宮号を記録上では伊勢神宮と同じく一番古く称しており、伊勢神宮の古名とされる「磯宮(いそのみや)」と「いそのかみ」とに何らかの関係があるのかが興味深いです(伊勢神宮と同じ扱いと言うことですかね)。

社伝によれば、布都御魂剣は武甕槌・経津主二神による葦原中国平定の際に使われた剣で、神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時に、高倉下(夢に天照大神、高木神、建御雷神が現れ手に入れた)を通して天皇の元に渡ったといわれます。

その後物部氏の祖宇摩志麻治命により宮中で祀られていましたかわ、崇神天皇7年、勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し、「石上大神」として祀ったのが神社の創建と成りました。

社伝の一方では、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの十握剣が、石上布都魂神社(現・岡山県赤磐市)から当社へ遷されたとも伝えています。
この剣は石上布都魂神社では明治以前には布都御魂剣(同じ剣て事ですかね)と伝えていました。

天武天皇3年(674年)には忍壁皇子(刑部親王)を派遣して神宝を磨かせ、諸家の宝物は皆その子孫に返還しようとしましたが、「日本後紀」"巻十二 桓武天皇 延暦二十三年(804年)二月庚戌 "条に、代々の天皇が武器を納めてきた神宮の兵仗を山城国 葛野郡に移動したとき、人員延べ十五万七千余人を要し、移動後倉がひとりでに倒れ、次に兵庫寮に納めたが、桓武天皇も病気になる等の怪異が次々と起こり、使者を石上神宮に派遣して、女巫に命じて、何故か布都御魂ではなく、布留御魂を鎮魂するために呼び出したところ、女巫が一晩中怒り狂ったため、天皇の歳と同じ数の69人の僧侶を集めて読経させ、神宝を元に戻したとあります。
当時それほどまで多量の神宝(武器)があったと推測されます。

神階は850年(嘉祥3年)に正三位、859年(貞観元年)に従一位、868年(貞観9年)に正一位。
『延喜式神名帳』には「大和国山辺郡 石上坐布都御魂神社」と記載され、名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の幣帛に預ると記されています。

中世以降は布留郷の鎮守となりますが、興福寺と度々抗争を繰り返し布留郷一揆が頻発、戦国時代に入ってからは織田信長の勢力に負け、神領も没収されてしまいました(何時もながら第六天魔王恐るべし)。
しかし、氏子たちの信仰は衰えず、1871年(明治4年)には官幣大社に、1883年(明治16年)には神宮号を再び名乗ることが許されます。

石上神宮には本来、本殿は存在せず、拝殿の奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」などと称して祀り、またそこには2つの神宝が埋斎されていると伝えられていました。
1874年の発掘を期に、出土した刀(布都御魂剣)や曲玉などの神宝を奉斎するため本殿を建造しました 。
本殿建造のための1878年の禁足地再発掘でも刀「天羽々斬剣」が出土し、これも奉斎します。
1913年には、本殿が完成し禁足地は今もなお、布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれています。

【摂末社あれこれ】

摂社としては摂社出雲建雄神社(延喜式内社)・天神社・七座社があります。

P5190231.jpg(摂社板札)
P5190232.jpg(天神社中央右に少し写っているのが、七座社です。)
P5190215.jpg(出雲建雄神社板札)
P5190220.jpg(わざと斜め角度ではありません日光が強すぎてハレーション起こしました。)
P5190226.jpg(こじんまりした猿田彦神社)

「出雲建雄神社」祭神:出雲建雄神(草薙剣の荒魂、縁起では「吾は尾張の氏の女が祭る神である。」とあり宮簀媛を示すとされます。)
神官の方にお聞きしますと、この出雲は島根県の出雲では無く、雲が湧き上がる様のようにすごいという事だそうでした。

P5190207.jpg(これがどど~んと割り拝殿「国宝」です~!)
P5190212.jpg(真ん中が土間「馬道」なのが珍しい国宝です。)

摂社出雲建雄神社の拝殿は、内山永久寺(天理市杣之内町にあった寺院、明治時代初期に廃絶)の鎮守社拝殿だった建物を1914年に移築したもので、正安2年(1300年)頃の建立で、桁行5間の建物の中央1間分を土間の通路「馬道」とした「割拝殿」と呼ばれる形式の拝殿です(国宝に指定)。

【末社紹介】

猿田彦神社・神田神社・祓戸神社、境外に恵比須神社が有ります。

【少し想像力で楽しもう】

素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの十握剣が何故岡山県に有ったのでしょう。
「鳥髪山神山(船上山)」標高1,142mへおりたった素盞嗚尊、斐伊川を上流方向へ行きます(岡山県方向なんです)。

又、「古事記」では神武天皇の舟軍は、吉備国の高島宮で8年過ごしています。
当時の交通網は基本的に船ですね、陸地を戦闘するために多くの軍人?が移動することは現在とは違い無理と考えます。
戦闘が起こりうるケースは隣合わせの地域か、又は船で移動して襲うかのパターンしか有り得ないと考えます。
吉備に8年!隣国の出雲と凌ぎを削ったと、思いませんか?戦いに勝った神武天皇軍は出雲を従えて、古代ヤマト勢力を撃ち破り、橿原の宮で即位します(私の勝手な妄想ですよ~)。
石上布都魂神社の「布都御魂剣」「草薙剣」が神話だけでなく、活躍したのかもしれません。

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歴史って本当に面白いですよね~!

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