「天日槍」の玄孫『田道間守』の墓に涙が止まらない!
「お詫び5月24日」
今回のブログの内容ですが、私(市郎右衛門)大きな勘違いをしておりました~m(__)m。
歴史好きの片方はもうお分かりだと思いますが、垂仁天皇陵墓と崇神天皇陵墓を勘違いしております。
まことにお恥ずかしいかぎりですが、何分歴史素人の歴史好きゆえの勘違い、どうかお許し下さい(^人^)。
お詫びの後の本文です。
間違いは素直に認めさせていただきまして訂正いたしました。
長い間のお休み失礼しました。
実は、「言い訳ですが(笑)」取材旅行で4日ほど出かけておりました。
場所は奈良で~す。
Facebookでお友達の皆さんは(報告していたので)ご存知だと思いますが、何分あの暑さ、熱中症にかかったのか?帰宅後熱を出して寝込んでしまい、月曜日はお仕事もお休みして病院に通院した上に、こちらも疲れのせいなのか、歯茎まで炎症を起こして歯科医院ヘ!散々な昨日に成ってしまった市郎右衛門です。
今日は元気になりました~(笑、頭はまだだったようです。)、さて本題に戻りますが、以前に実家の兵庫県豊岡市に有る、「お菓子の神様」『田道 間守の中島神社』をブログで御紹介しました。
当時心残りだったのは、垂仁天皇に忠義を尽くして亡くなった「田道間守」の墓(伝、垂仁天皇陵墓側)を御紹介できなかった事でした。
今回の旅行で目的地「田道間守の墓」の取材が出来たと勘違いして、御紹介致してしまいました(^人^)。
其では、久しぶりのm(__)m『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみくださいね。




今回のブログの内容ですが、私(市郎右衛門)大きな勘違いをしておりました~m(__)m。
歴史好きの片方はもうお分かりだと思いますが、垂仁天皇陵墓と崇神天皇陵墓を勘違いしております。
まことにお恥ずかしいかぎりですが、何分歴史素人の歴史好きゆえの勘違い、どうかお許し下さい(^人^)。
お詫びの後の本文です。
間違いは素直に認めさせていただきまして訂正いたしました。
長い間のお休み失礼しました。
実は、「言い訳ですが(笑)」取材旅行で4日ほど出かけておりました。
場所は奈良で~す。
Facebookでお友達の皆さんは(報告していたので)ご存知だと思いますが、何分あの暑さ、熱中症にかかったのか?帰宅後熱を出して寝込んでしまい、月曜日はお仕事もお休みして病院に通院した上に、こちらも疲れのせいなのか、歯茎まで炎症を起こして歯科医院ヘ!散々な昨日に成ってしまった市郎右衛門です。
今日は元気になりました~(笑、頭はまだだったようです。)、さて本題に戻りますが、以前に実家の兵庫県豊岡市に有る、「お菓子の神様」『田道 間守の中島神社』をブログで御紹介しました。
当時心残りだったのは、垂仁天皇に忠義を尽くして亡くなった「田道間守」の墓(伝、垂仁天皇陵墓側)を御紹介できなかった事でした。
今回の旅行で目的地「田道間守の墓」の取材が出来たと勘違いして、御紹介致してしまいました(^人^)。
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|o´艸)。oO(Thank you)。
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【お菓子の神社なんて有るの?】
先ずは、但馬の神社をご紹介しましょう。
子供たちが大好きな?お菓子の神社「中島神社」です。
『中嶋神社(なかしまじんじゃ)』は、兵庫県豊岡市にある神社です。
「菓祖・菓子の神」として製菓業者の崇敬を受けています。
祭神田道間守命祀しています(此処だけかもしれない?)。
田道間守命は天日槍命(但馬一宮出石神社に祀られています)の5代後(一説には玄孫・孫とも)の子孫で、『日本書紀』に記される所によると、垂仁天皇の命により常世の国から「非時香果(ときじくのかぐのみ)」(橘のことといわれています。)を持ち返ったとされる人物です。
橘は菓子の最上級品とされたことから、菓子の神・菓祖として崇敬されています。
神社の歴史は、『国司文書』によれば、推古天皇15年(606年)、田道間守命の7代の子孫の三宅吉士が、祖神として田道間守命を祀ったのに創まるといい、「中嶋」という社名は、田道間守命の墓が垂仁天皇陵の池の中に島のように浮かんでいるからだそうです(このイメージが私の思い込みを生んだ原因です。)。
【田道間守って誰?】
田道間守の生まれについて、『日本書紀』では垂仁天皇3年条で天日槍(新羅からの伝承上の渡来人)の玄孫で、清彦の子とされています。
一方『古事記』応神天皇段では、天之日矛(天日槍)の玄孫は同じながら多遅摩比那良岐(但馬日楢杵)の子とし、清日子(清彦)は弟とされていますね。
『日本書紀』垂仁天皇紀によれば、垂仁天皇90年2月1日に田道間守は天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」すなわちタチバナ(橘当初は何なのか分からなかったと思いますが)を求めに常世国に派遣されました。
苦労に苦労を重ねてやっと見つけた果物を天皇に届けに帰途に着きます。
翌年(景行天皇元年)3月12日、田道間守は非時香菓8竿8縵(やほこやかげ:竿・縵は助数詞で、葉をとった8枝・葉のついた8枝の意味)を持って常世国から帰ってきましたが、前年垂仁天皇99年7月1日に天皇は田道間守の帰りを待たずして、崩御されてしまいます。
天皇がすでに崩御したことを聞き、垂仁天皇陵墓の前で泣き叫んで、そのまま亡くなった田道間守を 当時の人々が不憫に思い、天皇のお傍に墓を作って、永遠に仕えていただく事にしたといわれます。
涙無くしては語れないお話ですね~!(その涙が私の思い込みで台無しですが( ノД`)…)。
(此方の地図は本当の垂仁天皇陵墓です、拡大したときに、田道間守命墓位置が、少し違う?と思って気が付きました~(;゜∇゜))
以前にもお話しましたが、田道間守が垂仁天皇の命をうけて、 不老不死の木の実「非時香菓(ときじくのかくのみ)」を探しに出掛るお話、秦の始皇帝と徐福伝説に何か似ているような気がするのは私だけでしょうか?
そちらから伝わって来たお話の再編成かもしれませんね~(;^_^A。
いつか必ず本物を御紹介する事をお約束するとともに、私の勘違いについても検証してみたいと思います。
いつも応援、ありがとうございます(^人^)。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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先ずは、但馬の神社をご紹介しましょう。
子供たちが大好きな?お菓子の神社「中島神社」です。
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「菓祖・菓子の神」として製菓業者の崇敬を受けています。
祭神田道間守命祀しています(此処だけかもしれない?)。
田道間守命は天日槍命(但馬一宮出石神社に祀られています)の5代後(一説には玄孫・孫とも)の子孫で、『日本書紀』に記される所によると、垂仁天皇の命により常世の国から「非時香果(ときじくのかぐのみ)」(橘のことといわれています。)を持ち返ったとされる人物です。
橘は菓子の最上級品とされたことから、菓子の神・菓祖として崇敬されています。
神社の歴史は、『国司文書』によれば、推古天皇15年(606年)、田道間守命の7代の子孫の三宅吉士が、祖神として田道間守命を祀ったのに創まるといい、「中嶋」という社名は、田道間守命の墓が垂仁天皇陵の池の中に島のように浮かんでいるからだそうです(このイメージが私の思い込みを生んだ原因です。)。
【田道間守って誰?】
田道間守の生まれについて、『日本書紀』では垂仁天皇3年条で天日槍(新羅からの伝承上の渡来人)の玄孫で、清彦の子とされています。
一方『古事記』応神天皇段では、天之日矛(天日槍)の玄孫は同じながら多遅摩比那良岐(但馬日楢杵)の子とし、清日子(清彦)は弟とされていますね。
『日本書紀』垂仁天皇紀によれば、垂仁天皇90年2月1日に田道間守は天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」すなわちタチバナ(橘当初は何なのか分からなかったと思いますが)を求めに常世国に派遣されました。
苦労に苦労を重ねてやっと見つけた果物を天皇に届けに帰途に着きます。
翌年(景行天皇元年)3月12日、田道間守は非時香菓8竿8縵(やほこやかげ:竿・縵は助数詞で、葉をとった8枝・葉のついた8枝の意味)を持って常世国から帰ってきましたが、前年垂仁天皇99年7月1日に天皇は田道間守の帰りを待たずして、崩御されてしまいます。
天皇がすでに崩御したことを聞き、垂仁天皇陵墓の前で泣き叫んで、そのまま亡くなった田道間守を 当時の人々が不憫に思い、天皇のお傍に墓を作って、永遠に仕えていただく事にしたといわれます。
涙無くしては語れないお話ですね~!(その涙が私の思い込みで台無しですが( ノД`)…)。
(此方の地図は本当の垂仁天皇陵墓です、拡大したときに、田道間守命墓位置が、少し違う?と思って気が付きました~(;゜∇゜))
以前にもお話しましたが、田道間守が垂仁天皇の命をうけて、 不老不死の木の実「非時香菓(ときじくのかくのみ)」を探しに出掛るお話、秦の始皇帝と徐福伝説に何か似ているような気がするのは私だけでしょうか?
そちらから伝わって来たお話の再編成かもしれませんね~(;^_^A。
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