千年前?の日本最古古民家「箱木千年屋」
本日御紹介致しますのは、日本最古の民家 「箱木家住宅」です。
箱木家住宅(はこぎけじゅうたく)は、兵庫県神戸市北区山田町衝原(つくはら)にある歴史的建造物です。
国の重要文化財(1967年6月15日指定)。
「箱木千年家」(はこぎせんねんけ/せんねんや)の通称で広く知られる日本最古と推定される民家の一つです。
私はこの民家?に少し思い入れが有りますので、恥ずかしながら、そちらも一緒にお話したいと思います。
其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみくださいねm(__)m。



母屋所在地(現在):兵庫県神戸市北区山田町衝原字道南1-4
旧所在地 :兵庫県神戸市北区山田町つくはら湖底(つまりダム建築で沈んだって事ですね)
類型:民家形式・構造木造、入母屋造、茅葺建築年:室町時代
文化財国の重要文化財に指定されています。
【私の思い入れ話】
もう七年半位前に成りますが、仕事のストレス?から心の病気に成り、3ヶ月程入院致しました。
心が砕けておりまして、毎日どうしたら死ねるのか?と本気で悩み考えておりました(重い話で申し訳ありません)。
体もぼろぼろで、全てを捨て去ってやり直すつもりで、入院致しました。
病院では体力作りのために一月に一度この衝原湖の周回コース10キロを歩く遠足?が有り、その主発点が千年家でした。
その時は、近くの駐車場からの出発でしたので、古民家は見ていなかったのですが、一月ごとに少しずつ体力が回復に向かっているのを感じ、まだまだ行ける「頑張れ俺!」と念じながら、湖畔を歩いた思い出の地です。
幸い、全てとは言えませんが、体力・気力共に全快に近づきつつ有ります?。
そんな、千年家に七年半ぶりに行ってみました(笑)。
【移築住宅の概要】
室町時代建立の主屋(「おもや」)、江戸時代建立の「離れ」(「はなれ」)の2棟が重要文化財に指定され、他に築山、中庭、納屋、土蔵等が遺存しています。
現在は、重文の「おもや」「はなれ」は隣接している資料館と共に公開されています。
見学料金 300円
おじいちゃん(勿論箱木さん)がお店番されてました。
良い小遣いに成るか?「昭和までは住んどったからな」と教えてくださいました。
【教育委員会解説から千年家の歴史】
箱木家は地元の豪族・別所氏に仕えたとされ、後に庄屋となった一族です。
『摂津名所図会』などの近世の記録によれば、この住宅は、806年(大同元年)に建てられたとされており、近世初期から「千年家」と呼ばれていたようです。
1967年(昭和42年)に国の重要文化財に指定され、1977年(昭和52年)までは実際に住居として使用されていましたが、呑吐ダムの建設により旧所在地が水没するため、1977年から1979年(昭和54年)に掛けて現在地に移築されました。
通称「千年家」とは「古い家」の意で、実際の建立年代は不明でしたが、移築時の解体調査の結果、次のようなことが明らかになりました。
「おもや」の建設は室町時代と推定されました。
長年の間に多くの部材が取り換えられていましたが、柱などの根幹材には当初の部材が残存していました。
当初からの部材で残っているのは柱6本のほか、桁、梁、貫などの一部です。
江戸時代中期に「おもや」に隣接して「はなれ」が建設されます。
江戸時代末期に母屋と離れを連結し、屋根を広げて一つの家屋にしたようです。
ですから、「おもや」と「はなれ」は、移築以前は1棟の建物でしたが、解体修理時に、建築当初の姿に近づけるように復元され、現在は「おもや」と「はなれ」が別棟として建てられています。
2005年に当初材の松の柱6本の放射性炭素年代測定を行った結果、年輪の最も外側の炭素濃度から、1283~1307年(鎌倉時代後期)に伐採された木が使われていることがわかったという(千年家ではなくて、七百年家だった訳ですねφ(..))。
【構造】
当初建てられた「おもや」、江戸時代中期に建てられた「はなれ」(ともに入母屋造、茅葺)と「くら」から成ります。
先ずは「おもや」です。
「おもや」の内部は東半部(正面から見て右側)が「にわ(土間)」、西半部が床上部に成っています。
床上部は3室に分かれ、表側が「おもて(客間)」、裏手は土間に面した部分が「だいどこ(台所)」、奥が「なんど(納戸)」です。
「おもや」(主屋)は、最も古い建築で入母屋造茅葺きです。
屋根が非常に巨大、かつ、軒が極端に低いため遠くから見ると縄文時代~弥生時代の竪穴住居を思わせるような形態に見えます。
また、屋根を支えるために壁が多く窓などの開口部が極端に少ないのも特徴的です。
建設当初から残る柱などには鉋が発明される前まで使われた大工道具・手斧(ちょうな)での仕上げがよい状態で残っています。
軸部は柱間を足固貫、飛貫、桁で繋ぎ、後世の民家のような、曲りのある材を用いた梁は用いていません。
小屋組は古式の「おだち鳥居組」(垂木構造)です。
土間には竈(かまど)と厩(うまや)が併設されていたため、実際に人間が起居していたのは「おもて」「だいどこ」「なんど」の3部屋のみですね。
【訪れた微笑ましい夫婦】
私は基本は、取材?は一人で行くことにしています。
かなりの強行軍に成りますので、家族に構って居られ無いのです。
子供達のわがまま?で予定が遅れたりすると折角の取材が無駄に成るので一人で行く様にしています。
この日も一人で二場所目の取材でしたが、時間が早すぎ(個人の持ち物で家族で経営されていました)、少し待つことに成りました。
9:00~の公開でしたが、門が空いたのは9:20分でした。
私が一通り見終わった頃にご夫婦が見学に来られました。
私より少し年輩ですかね?因みに、私気持ちが若いので(笑)大体私より年輩等と思うと、年下な事が多いのです。
奥様「千年家っていうのだから、千年立ってるんだよね~!」
{私心の声:いえいえ移築されてますから此処には40年ほどですよ}
夫君「そおやな~千年ゆうたら鎌倉時代か!」
{私心の声:え?1000年前は平安時代ですから~!}
夫君「いい国作ろう鎌倉幕府ゆうやろが!1192年やったな。」
{私心の声:1192年~2017年、830年ほどで、とても1000年には足りませんよ、それに今の教科書は「いい箱作ろう鎌倉幕府」って1185年に成ってます。}
奥様「そんな昔からこんな湖の側にあるんだ!」
{私心の声:ですから移築されたんですって!}
夫君「そおや、足利尊氏が幕府鎌倉に開いたときやな。」
{私心の声:え~!鎌倉幕府開いたの、源頼朝ですよ~~~!}
皆さん私が作ったと思っているでしょう~(笑)本当にあったんですって!
だから歴史って面白い?
いつも応援、ありがとうございます(^人^)。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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国の重要文化財(1967年6月15日指定)。
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【箱木千年家ってな~に?】
箱木家住宅
(箱木千年家)
簡単に言えば、日本で一番古い古民家です。
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箱木家住宅
(箱木千年家)
簡単に言えば、日本で一番古い古民家です。
母屋所在地(現在):兵庫県神戸市北区山田町衝原字道南1-4
旧所在地 :兵庫県神戸市北区山田町つくはら湖底(つまりダム建築で沈んだって事ですね)
類型:民家形式・構造木造、入母屋造、茅葺建築年:室町時代
文化財国の重要文化財に指定されています。
【私の思い入れ話】
もう七年半位前に成りますが、仕事のストレス?から心の病気に成り、3ヶ月程入院致しました。
心が砕けておりまして、毎日どうしたら死ねるのか?と本気で悩み考えておりました(重い話で申し訳ありません)。
体もぼろぼろで、全てを捨て去ってやり直すつもりで、入院致しました。
病院では体力作りのために一月に一度この衝原湖の周回コース10キロを歩く遠足?が有り、その主発点が千年家でした。
その時は、近くの駐車場からの出発でしたので、古民家は見ていなかったのですが、一月ごとに少しずつ体力が回復に向かっているのを感じ、まだまだ行ける「頑張れ俺!」と念じながら、湖畔を歩いた思い出の地です。
幸い、全てとは言えませんが、体力・気力共に全快に近づきつつ有ります?。
そんな、千年家に七年半ぶりに行ってみました(笑)。
【移築住宅の概要】
室町時代建立の主屋(「おもや」)、江戸時代建立の「離れ」(「はなれ」)の2棟が重要文化財に指定され、他に築山、中庭、納屋、土蔵等が遺存しています。
現在は、重文の「おもや」「はなれ」は隣接している資料館と共に公開されています。
見学料金 300円
おじいちゃん(勿論箱木さん)がお店番されてました。
良い小遣いに成るか?「昭和までは住んどったからな」と教えてくださいました。
【教育委員会解説から千年家の歴史】
箱木家は地元の豪族・別所氏に仕えたとされ、後に庄屋となった一族です。
『摂津名所図会』などの近世の記録によれば、この住宅は、806年(大同元年)に建てられたとされており、近世初期から「千年家」と呼ばれていたようです。
1967年(昭和42年)に国の重要文化財に指定され、1977年(昭和52年)までは実際に住居として使用されていましたが、呑吐ダムの建設により旧所在地が水没するため、1977年から1979年(昭和54年)に掛けて現在地に移築されました。
通称「千年家」とは「古い家」の意で、実際の建立年代は不明でしたが、移築時の解体調査の結果、次のようなことが明らかになりました。
「おもや」の建設は室町時代と推定されました。
長年の間に多くの部材が取り換えられていましたが、柱などの根幹材には当初の部材が残存していました。
当初からの部材で残っているのは柱6本のほか、桁、梁、貫などの一部です。
江戸時代中期に「おもや」に隣接して「はなれ」が建設されます。
江戸時代末期に母屋と離れを連結し、屋根を広げて一つの家屋にしたようです。
ですから、「おもや」と「はなれ」は、移築以前は1棟の建物でしたが、解体修理時に、建築当初の姿に近づけるように復元され、現在は「おもや」と「はなれ」が別棟として建てられています。
2005年に当初材の松の柱6本の放射性炭素年代測定を行った結果、年輪の最も外側の炭素濃度から、1283~1307年(鎌倉時代後期)に伐採された木が使われていることがわかったという(千年家ではなくて、七百年家だった訳ですねφ(..))。
【構造】
当初建てられた「おもや」、江戸時代中期に建てられた「はなれ」(ともに入母屋造、茅葺)と「くら」から成ります。
先ずは「おもや」です。
「おもや」の内部は東半部(正面から見て右側)が「にわ(土間)」、西半部が床上部に成っています。
床上部は3室に分かれ、表側が「おもて(客間)」、裏手は土間に面した部分が「だいどこ(台所)」、奥が「なんど(納戸)」です。
また、建設当初は畳が敷かれていなかったことも分りました。
移築された今も無いですが(笑)、床板も手斧(ちょうな)削りですし、部屋を仕切るのも柱のほぞに板をはめ込んで土壁ではありません。
移築された今も無いですが(笑)、床板も手斧(ちょうな)削りですし、部屋を仕切るのも柱のほぞに板をはめ込んで土壁ではありません。
「おもや」内部。
「にわ(土間)」から床上部を見ます。
一番左の部屋が「おもて」、次の部屋が「だいどこ」、その奥が「なんど」です。
写真では3本の柱が見えますがが、うち左の2本は建築当初のものです。
「にわ(土間)」から床上部を見ます。
一番左の部屋が「おもて」、次の部屋が「だいどこ」、その奥が「なんど」です。
写真では3本の柱が見えますがが、うち左の2本は建築当初のものです。
「おもや」(主屋)は、最も古い建築で入母屋造茅葺きです。
屋根が非常に巨大、かつ、軒が極端に低いため遠くから見ると縄文時代~弥生時代の竪穴住居を思わせるような形態に見えます。
また、屋根を支えるために壁が多く窓などの開口部が極端に少ないのも特徴的です。
建設当初から残る柱などには鉋が発明される前まで使われた大工道具・手斧(ちょうな)での仕上げがよい状態で残っています。
軸部は柱間を足固貫、飛貫、桁で繋ぎ、後世の民家のような、曲りのある材を用いた梁は用いていません。
小屋組は古式の「おだち鳥居組」(垂木構造)です。
土間には竈(かまど)と厩(うまや)が併設されていたため、実際に人間が起居していたのは「おもて」「だいどこ」「なんど」の3部屋のみですね。
【訪れた微笑ましい夫婦】
私は基本は、取材?は一人で行くことにしています。
かなりの強行軍に成りますので、家族に構って居られ無いのです。
子供達のわがまま?で予定が遅れたりすると折角の取材が無駄に成るので一人で行く様にしています。
この日も一人で二場所目の取材でしたが、時間が早すぎ(個人の持ち物で家族で経営されていました)、少し待つことに成りました。
9:00~の公開でしたが、門が空いたのは9:20分でした。
私が一通り見終わった頃にご夫婦が見学に来られました。
私より少し年輩ですかね?因みに、私気持ちが若いので(笑)大体私より年輩等と思うと、年下な事が多いのです。
奥様「千年家っていうのだから、千年立ってるんだよね~!」
{私心の声:いえいえ移築されてますから此処には40年ほどですよ}
夫君「そおやな~千年ゆうたら鎌倉時代か!」
{私心の声:え?1000年前は平安時代ですから~!}
夫君「いい国作ろう鎌倉幕府ゆうやろが!1192年やったな。」
{私心の声:1192年~2017年、830年ほどで、とても1000年には足りませんよ、それに今の教科書は「いい箱作ろう鎌倉幕府」って1185年に成ってます。}
奥様「そんな昔からこんな湖の側にあるんだ!」
{私心の声:ですから移築されたんですって!}
夫君「そおや、足利尊氏が幕府鎌倉に開いたときやな。」
{私心の声:え~!鎌倉幕府開いたの、源頼朝ですよ~~~!}
皆さん私が作ったと思っているでしょう~(笑)本当にあったんですって!
だから歴史って面白い?
いつも応援、ありがとうございます(^人^)。
歴史って本当に面白いですよね~!
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