阪急沿線七福神を巡る旅「満願」!第七弾「毘沙門天」を奉る『東光院』 - 「高天原の縁側日記」
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2017/05/13

阪急沿線七福神を巡る旅「満願」!第七弾「毘沙門天」を奉る『東光院』

さて今回の七福神巡りも今日で満願と成りました。
長々とお付き合いありがとうございました(^人^)。
皆様に少しでも御利益がございます様にお祈り申し上げます。

P4290539.jpg(最初の写真はインパクト!かわいらしい水かけ地蔵様、水をかけながら写真に写したのですが、ひしゃくが入らなかった。)

阪急沿線西国七福神の最後を飾りますのは、「毘沙門天」を奉る、「萩の寺」こと、『東光院』です。

西国七福神は阪急宝塚線沿いに、それぞれ由緒ある各社寺に古くから祀られている神々です。
一年の福徳を願って、集印めぐりをいたしましょう。

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【西国七福神巡りおさらい!】

P4290495.jpg
(一番霊場はこちらですが、完全に逆打ちに成ってしまいました。うるう年じゃ無かったですね?)
P4290558.jpg(こちらが大人?用の満願金杯です。300円ずつ払って印鑑を集めていきます。)

古来より七福神は、民衆の間で厚く信仰され、室町時代から盛んになりました。
神仏の数が七つに決められた経緯は諸説あるようですが、仁王般若経「七難即滅、七福即生」の出典によるというのが有力といわれています。
この七福神をそれぞれおまつりした七つの社寺を巡拝するのが「七福神巡り」ですね。
現在、今日の毘沙門天(東光院)を一番札所(巡りましたのは最後に成りました。
逆打ちに成りましたね~笑!、大阪基準かな?)とし、福禄寿(圓満寺)、大黒天(西江寺)、弁財天(瀧安寺)、恵比寿神(呉服神社)、寿老人(中山寺)、布袋尊(清荒神)が阪急宝塚線沿線の要所々々に鎮座して、多くの参拝者が訪れています。

【毘沙門天てどんな神様?】
元はインドのヒンドゥー教のクベーラ神と言われています。
戦いの神でしたが、仏教に取り入れられてから、福徳増進の神としてしだいに民衆に信仰される様に成りました。
日本では毘沙門天(ヴァイシュラヴァナ)と呼ばれます。

P4290490.jpg(萩の寺毘沙門天王略縁起です。)
P4290562.jpg(顔が欠けているのが残念ですが毘沙門天ですね~!)


毘沙門天(びしゃもんてん、梵名: ヴァイシュラヴァナ、梵: वैश्रवण, Vaiśravaṇa)は、仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされます(知らんかった~(^^;、一人だと毘沙門天なんですね !)。
また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方があります。

戦国武将の上杉謙信(上杉謙信は、自分のことを毘沙門天の生まれ変わりだと信じていました。軍旗にも「毘」の一字をとって使っています。更には、上杉謙信公、毘沙門天の御利益か生涯一度も敗北しなかったのです、凄!)が信仰していた事でも知られていますね。

つまり、福の神・力の神・抜苦与楽の神・として知られる毘沙門天、その御利益はといいますと、出世開運、家内安全、受験合格、病魔退散、常勝祈願、商売繁盛、良縁成就、交通安全と何でもこい状態です(笑)。

東光寺の毘沙門天王は、大阪最古の「西国七福神霊場」御本尊として、多くの人々に出世開運、福徳を授け、才能を与え、その誓願を守護する福神様です。

皆様の願い事が叶いますように、毘沙門天王の福徳ご集印にお参り下さい。

阪急七福神巡りの問い合せ、阪急電鉄交通ご案内センター TEL06-6133-3473
朱印受付時間のお問い合せ七福神会事務局 萩の寺 TEL06-6852-3002

【東光院ってどんなお寺なの?】


「東光院萩の寺」は、天平7年(735)行基開創による曹洞宗別格地寺院です。

P4290422.jpg(東光院の札、大阪に近づくとお寺の看板?もお洒落に成ります。)
P4290525.jpg(萩は秋の花、今は育成中でお庭に入れません。)
P4290474.jpg(多くの歌人の句碑がありました。一番有名な正岡子規「ほろほろと 石にこぼれぬ 萩の露」。)
P4290476.jpg
(雅号の子規はといえば不如帰の異称で、結核を病み喀血した自分を、血を吐くまで鳴くといわれる不如帰にたとえたと言われます。)
P4290455.jpg(多くの歌碑や句碑と青葉の萩の中にお寺が…)


もとは大坂豊崎の里(摂津国西成郡豊崎村下三番、現在の北区中津)にあって、境内に萩多く、通称「萩の寺」として親しまれ、「南の四天王寺、北の東光院」と並び称された格式ある古刹でした。

大正3年(1914)、阪急電車敷設により現在地に移転しました。

永い歴史の中には様々の変遷を経ておりますが、なかでも戦争にはばまれ、移転復興も中途の仮住まいを余儀なくされ、かつての名刹の偉容を知る人も少なくなって久しい時代もありました。
近年境内整備・堂宇再建も徐々に進み、その中で判明した史実も少なからずあります。
そうした点を、ふまえながら、当山の二百余年の歴史を略記します。

【萩の寺の略史】

P4290425.jpg(御由緒)
P4290428.jpg(医薬門、門構えも立派ですね。)
P4290437.jpg(門を入ってすぐにこんなものが在りました。)
P4290440.jpg
(魯山人観音!美味しんぼの世界です笑い。)
P4290449.jpg(折角の萩の寺なのですが、時期が違うので今の時期は牡丹です。また秋の東光院もご紹介できればです。)


奈良時代、行基菩薩による草創。
文化文政期の禅風による中興。
川崎東照宮の承継と道了大権現の再興。
隠岐島のあごなし地蔵尊の遷座。
阪急電車敷設による移転と沿線七福神(西国七福神)霊場の創設。
新西国霊場ご御本尊「こより十一面観音像」の復興。
スリランカ国「アヌラーダプラ仏舎利」迎聖。

さあ!西国七福神巡りいかがでしたか?
頑張れば、一日で満願できますが、無理をなされませんように、神様はお隠れにまりませんからね~。


いつも応援、ありがとうございます(^人^)。
歴史って本当に面白いですよね~!

今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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