阪急沿線七福神を巡る旅!第五弾「弁財天」を奉る『瀧安寺』
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始めのうちはアクセスが自分だけ、なんて日が一ケ月は続いたでしょうか(笑)?
今も決して多いPVポイントでは有りませんが、Bloggerのお友達も出来てオフ会を開催したりして楽しんでいます。
これもひとえに、応援して下さった皆様のお陰です。
此れからも、より良い記事を追及しながら、頑張っていきたいと思いますので、宜しくお願い致します(^人^)。
さて本題、ゴールデンウィークも終わり、仕事に復帰しましたが、なまった身体は痛いやら怠いやら、仕事から逃げて帰りたかった市郎右衛門です(本題ちゃうやん(^_^;))。
さて今日の御紹介は、阪急沿線西国七福神の続編、「弁財天」を祀る『瀧安寺(りゅうあんじ)』です。
大阪府箕面市箕面公園にある本山修験宗(修験道の一派)の寺院です。
山号は「箕面山(みのおさん!そのものやん)」。
箕面公園を大滝へ向かって歩いて行くと、箕面昆虫館の直ぐ先に有ります。
宝くじの原型「富くじ」の発祥の地としても有名です。
其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみくださいね。




【瀧安寺の歴史は?】
歴史ですが、寺伝によれば658年(一説には650年)に役小角が箕面滝の下に堂を建設し、本尊の弁財天像を安置し、「箕面寺」と命名したのが始まりとされます。
平安時代に後白河天皇が編纂したとされる「梁塵秘抄」には「聖のすみかは何処何処ぞ、箕面よ勝尾よ」と歌われています(勝尾寺「西国三十三観音霊場」へも山伝いに行けますね。)。
後醍醐天皇が隠岐に島流しになった際には、護良親王が箕面寺に帰還祈祷を依頼したといわれます(史実では無事帰還されているので、霊験あらたかですね。)。
その後「瀧安寺」という寺号を賜ったとされます。
そのほかにも、山岳霊場として栄え、「空海」や「日蓮」や「蓮如」(凄い面々ですね(#^.^#))が修行したほか、現在も護摩法要が行われています。
室町時代末期に織田信長によって焼失し(またか信長さん!)、江戸時代になって後水尾天皇の援助によって現在地に再建されました。
また、天正年間に日本で初めて宝くじの発祥である富くじを始めた寺院としても伝わっています。
弁財天を祀っている所から、芸能の寺としても知られ、近松門左衛門、坂田藤十郎ら上方歌舞伎関係者が大般若経を奉納しています。
【弁財天ってどんな神様?】
七福神の中で、唯一の紅一点で、元はインドヒンドゥー教の河(水)の神サラスヴァティーでしたが、やがて音楽の神、言語の神となり日本に伝わりました。
伝来当初は、弁才天と呼ばれていたようです。
その後、財宝・芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収され弁財天といわれるようになり、財宝を授けてくださる神へとなりました。
知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれています。
更に、仏教に取り入れられ、音楽・弁才・財福・知恵の徳のある天女となり七福神の一柱「弁財天」となりました。
【富くじって今の宝くじと同じ?】
宝くじの発祥とされる富くじはこの寺院から発祥したとされます。
富くじ発祥の年は1575年(天正3年)に始まる「富会」であり、その行事は地元民により受け継がれ、江戸時代に最盛期を迎えます。
番号が入った富札を発売し、それを同じ番号の木札に授け、期日に箱から札を選び、幸せを授けるというもので、明治時代まで続きました。
これが「宝くじ」の発祥だと主張する地元方々もおられるようですが、現在も定かではないそうです。
藤原兼隆の歌によると、約950年前以前から富くじはあったとされ、この寺院の富くじは箕面富と呼ばれていました。
富くじで当選した者は、お守り「大福御守」が授けられたといわれます。
しかしながら、江戸幕府により富くじ禁止令の発令により富くじは中止される事に成りますが、「瀧安寺」の富くじだけは特別に許されたそうです(金銭や商品では無かったからかな?)。
【美しい建物御紹介】
山門は光格天皇が1809年(文化6年)に京都御所から移築したものだそうです。
今日の本題、弁財天本堂(弁天堂)は後水尾天皇の勅命により1656年(明暦2年)に建てられました。
この「弁財天」は日本四弁財天に数えられています。
奥殿と拝殿から成る神社形式になっています。
本尊に弁財天、脇尊に毘沙門天と大黒天が安置されています。
行者堂(開山堂)は本堂同様に、奥殿と拝殿から成っています。
主尊に役小角、脇尊に不動明王と蔵王権現が安置されます。
観音堂は2002年再建されました(ぴかぴかです)。
中央に如意輪観音(重要文化財)、左右に阿弥陀如来、弘法大師が安置されてます。
通路側にある鳳凰閣は昭和時代初期の建築物だそうです(とても風情があります。)。
箕面といえばお猿さん、私は何度か大滝迄行っていますが、一度も猿は見たことは有りません。
一度、日本カモシカ見ましたけど(驚)、猿に悪戯去れないように、お供え物についての注意書きがありました。
以前に箕面大滝は御紹介したと思いますので、今回は瀧安寺で引き返しました(新緑が最高だったのですが取材がまだあったのでね~残念!)。
西国七福神巡りもあと二つ、どうか皆様にご利益がありますようにお願いして巡ります。
いつも応援、ありがとうございます(^人^)。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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【瀧安寺の歴史は?】
歴史ですが、寺伝によれば658年(一説には650年)に役小角が箕面滝の下に堂を建設し、本尊の弁財天像を安置し、「箕面寺」と命名したのが始まりとされます。
平安時代に後白河天皇が編纂したとされる「梁塵秘抄」には「聖のすみかは何処何処ぞ、箕面よ勝尾よ」と歌われています(勝尾寺「西国三十三観音霊場」へも山伝いに行けますね。)。
後醍醐天皇が隠岐に島流しになった際には、護良親王が箕面寺に帰還祈祷を依頼したといわれます(史実では無事帰還されているので、霊験あらたかですね。)。
その後「瀧安寺」という寺号を賜ったとされます。
そのほかにも、山岳霊場として栄え、「空海」や「日蓮」や「蓮如」(凄い面々ですね(#^.^#))が修行したほか、現在も護摩法要が行われています。
室町時代末期に織田信長によって焼失し(またか信長さん!)、江戸時代になって後水尾天皇の援助によって現在地に再建されました。
また、天正年間に日本で初めて宝くじの発祥である富くじを始めた寺院としても伝わっています。
弁財天を祀っている所から、芸能の寺としても知られ、近松門左衛門、坂田藤十郎ら上方歌舞伎関係者が大般若経を奉納しています。
【弁財天ってどんな神様?】
七福神の中で、唯一の紅一点で、元はインドヒンドゥー教の河(水)の神サラスヴァティーでしたが、やがて音楽の神、言語の神となり日本に伝わりました。
伝来当初は、弁才天と呼ばれていたようです。
その後、財宝・芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収され弁財天といわれるようになり、財宝を授けてくださる神へとなりました。
知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれています。
更に、仏教に取り入れられ、音楽・弁才・財福・知恵の徳のある天女となり七福神の一柱「弁財天」となりました。
【富くじって今の宝くじと同じ?】
宝くじの発祥とされる富くじはこの寺院から発祥したとされます。
富くじ発祥の年は1575年(天正3年)に始まる「富会」であり、その行事は地元民により受け継がれ、江戸時代に最盛期を迎えます。
番号が入った富札を発売し、それを同じ番号の木札に授け、期日に箱から札を選び、幸せを授けるというもので、明治時代まで続きました。
これが「宝くじ」の発祥だと主張する地元方々もおられるようですが、現在も定かではないそうです。
藤原兼隆の歌によると、約950年前以前から富くじはあったとされ、この寺院の富くじは箕面富と呼ばれていました。
富くじで当選した者は、お守り「大福御守」が授けられたといわれます。
しかしながら、江戸幕府により富くじ禁止令の発令により富くじは中止される事に成りますが、「瀧安寺」の富くじだけは特別に許されたそうです(金銭や商品では無かったからかな?)。
【美しい建物御紹介】
山門は光格天皇が1809年(文化6年)に京都御所から移築したものだそうです。
今日の本題、弁財天本堂(弁天堂)は後水尾天皇の勅命により1656年(明暦2年)に建てられました。
この「弁財天」は日本四弁財天に数えられています。
奥殿と拝殿から成る神社形式になっています。
本尊に弁財天、脇尊に毘沙門天と大黒天が安置されています。
行者堂(開山堂)は本堂同様に、奥殿と拝殿から成っています。
主尊に役小角、脇尊に不動明王と蔵王権現が安置されます。
観音堂は2002年再建されました(ぴかぴかです)。
中央に如意輪観音(重要文化財)、左右に阿弥陀如来、弘法大師が安置されてます。
通路側にある鳳凰閣は昭和時代初期の建築物だそうです(とても風情があります。)。
箕面といえばお猿さん、私は何度か大滝迄行っていますが、一度も猿は見たことは有りません。
一度、日本カモシカ見ましたけど(驚)、猿に悪戯去れないように、お供え物についての注意書きがありました。
以前に箕面大滝は御紹介したと思いますので、今回は瀧安寺で引き返しました(新緑が最高だったのですが取材がまだあったのでね~残念!)。
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