阪急沿線七福神を巡る旅!第四弾「大黒天」を奉る『聖天宮西江寺』
ゴールデンウィーク真っ只中で体もなまり、心も怠けてしまい間が空いてしまいましたm(__)m。
今日は、阪急沿線七福神を巡る旅の第四弾「大黒天」を奉る『聖天宮西江寺』です。
「西江寺(さいこうじ)」は、大阪府箕面市箕面公園側にある高野山真言宗のお寺です(箕面公園の入り口辺りに成りますか?)。
聖天宮西江寺(しょうてんぐうさいこうじ)とも言われます。
阪急箕面駅を箕面滝に行く途中の右山側にあるのですが、箕面公園の中に入ってしまいますと、引き返さなくてはいけなくなるので、通り過ぎてしまわないように、注意です(#^.^#)。
駅前の箕面観光看板を見てから行かれると上手く廻れると思います。
地元では「みのおの聖天さん」と呼ばれ親しまれているようです。
其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみくださいね。




【役小角って誰?】寺伝によれば、658年に役小角(役行者)によって開山されたと言われています(役行者と言えば横山光輝さんの漫画を思い浮かべるのは、オジサン世代だけかな?)。
ある日、光の中から老翁に化身した大聖歓喜天が現れ(このパターンお決まりですね、笑)、役小角はこの箕面山を日本最初の歓喜天霊場にしたといわれています。
かつては、摂津国神宮寺と称されていましたが、明治時代末期に聖天宮西江寺と改称されました。
本堂には役行者作と伝承する大聖歓喜天像が祀られています(658年ですよ~大化の改新645年~(^^;!)。
また、室町時代中期に作られたと伝えられる大黒天も祀られています(今回の目的は此方ですね♪)。
【大黒さまって日本の神様じゃなかったの?】
大黒天(だいこくてん)ですが、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ(サンスクリット語:Mahaa-kaala、音写:摩訶迦羅など)のことです。
ヒンドゥー教のマハーカーラは、インド密教に取り入れられて少しずつ変化していきます。
“マハー”とは大(もしくは偉大なる)、“カーラ”とは時あるいは黒(暗黒)を意味するので大黒天と名づけられました。
時には、大暗黒天とも漢訳され、その名の通り、青黒い身体に憤怒相をした護法善神です。
つまり以下の通りです。
密教の大黒天 は、マハーカーラが元になり出来た神様です。
そして仏教の大黒天はといいますと、密教の大黒天が元になり出来た仏教の「天部」に属する神ということに成ります。
ちょっと復習ですが、仏教の仏さまの位については、以前にも何度か説明しましたね、如来(真理を悟りし者)・菩薩(如来目指して修行中)・明王(呪文の王者の意味をもち魔を調伏し、仏法を守る守護神とされます。大日如来の化現の一つとされ、教化しがたい衆生を折伏して救済しようとするためほとんどが、あの忿怒の顔なんです。)・天部(他の宗教からの移籍組)、の順番になっています(勿論、如来が最上位です。失礼な事ばかり書いて、罰当たりですが(^人^))。
更に神道の大黒天はといいますと、仏教と同じく、密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神様でですね。
【日本に伝わった大黒天】
密教の伝来とともに、日本に伝わって来た大黒天ですが仏教や神教の影響を受けて変化していきます。
大黒天は古代インドではマハーカーラという暗黒に住み死を司る神で、現在の福々しい姿とはずいぶんと異なるものでした。
仏教が伝わった時に神道の国造りの神である大国主命(おおくにぬしのみこと)と習合され、その後少しずつ変貌して古い時代には戦闘神、そして台所の神として信仰されていました(昔の家の造りは田の字型で、大黒柱の周り一角に台所が設けられていました。)。
日本で大黒天といえば一般的には神田明神の大黒天(大国天)像に代表されるように神道の大国主と神仏習合した日本独自の神をさすことが多ですね。
西江寺に祀られる大黒天は室町時代中期の作と伝えられ、頭に鳥帽子を冠して左肩に大袋を背負い右手に打ち出の小槌を持つ姿で、日本ではめずらしい立像大黒天です。
最後に、昨日我が家は菖蒲湯でした。
例年は実家に帰り鯉のぼりを上げて、菖蒲湯に入ります。
山の堤に菖蒲が自生しているので、それを使うのですが、今年は私の仕事の都合と父が腰を痛めてしまったので、神戸でスーパー調達の菖蒲湯に成りました(残念!)。
今日は、阪急沿線七福神を巡る旅の第四弾「大黒天」を奉る『聖天宮西江寺』です。
(お寺なのにド~ンと鳥居から始まります。聖天宮です。)
「西江寺(さいこうじ)」は、大阪府箕面市箕面公園側にある高野山真言宗のお寺です(箕面公園の入り口辺りに成りますか?)。
聖天宮西江寺(しょうてんぐうさいこうじ)とも言われます。
阪急箕面駅を箕面滝に行く途中の右山側にあるのですが、箕面公園の中に入ってしまいますと、引き返さなくてはいけなくなるので、通り過ぎてしまわないように、注意です(#^.^#)。
駅前の箕面観光看板を見てから行かれると上手く廻れると思います。
地元では「みのおの聖天さん」と呼ばれ親しまれているようです。
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【役小角って誰?】寺伝によれば、658年に役小角(役行者)によって開山されたと言われています(役行者と言えば横山光輝さんの漫画を思い浮かべるのは、オジサン世代だけかな?)。
ある日、光の中から老翁に化身した大聖歓喜天が現れ(このパターンお決まりですね、笑)、役小角はこの箕面山を日本最初の歓喜天霊場にしたといわれています。
かつては、摂津国神宮寺と称されていましたが、明治時代末期に聖天宮西江寺と改称されました。
本堂には役行者作と伝承する大聖歓喜天像が祀られています(658年ですよ~大化の改新645年~(^^;!)。
また、室町時代中期に作られたと伝えられる大黒天も祀られています(今回の目的は此方ですね♪)。
【大黒さまって日本の神様じゃなかったの?】
大黒天(だいこくてん)ですが、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ(サンスクリット語:Mahaa-kaala、音写:摩訶迦羅など)のことです。
ヒンドゥー教のマハーカーラは、インド密教に取り入れられて少しずつ変化していきます。
“マハー”とは大(もしくは偉大なる)、“カーラ”とは時あるいは黒(暗黒)を意味するので大黒天と名づけられました。
時には、大暗黒天とも漢訳され、その名の通り、青黒い身体に憤怒相をした護法善神です。
つまり以下の通りです。
密教の大黒天 は、マハーカーラが元になり出来た神様です。
そして仏教の大黒天はといいますと、密教の大黒天が元になり出来た仏教の「天部」に属する神ということに成ります。
ちょっと復習ですが、仏教の仏さまの位については、以前にも何度か説明しましたね、如来(真理を悟りし者)・菩薩(如来目指して修行中)・明王(呪文の王者の意味をもち魔を調伏し、仏法を守る守護神とされます。大日如来の化現の一つとされ、教化しがたい衆生を折伏して救済しようとするためほとんどが、あの忿怒の顔なんです。)・天部(他の宗教からの移籍組)、の順番になっています(勿論、如来が最上位です。失礼な事ばかり書いて、罰当たりですが(^人^))。
更に神道の大黒天はといいますと、仏教と同じく、密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神様でですね。
【日本に伝わった大黒天】
密教の伝来とともに、日本に伝わって来た大黒天ですが仏教や神教の影響を受けて変化していきます。
大黒天は古代インドではマハーカーラという暗黒に住み死を司る神で、現在の福々しい姿とはずいぶんと異なるものでした。
仏教が伝わった時に神道の国造りの神である大国主命(おおくにぬしのみこと)と習合され、その後少しずつ変貌して古い時代には戦闘神、そして台所の神として信仰されていました(昔の家の造りは田の字型で、大黒柱の周り一角に台所が設けられていました。)。
日本で大黒天といえば一般的には神田明神の大黒天(大国天)像に代表されるように神道の大国主と神仏習合した日本独自の神をさすことが多ですね。
西江寺に祀られる大黒天は室町時代中期の作と伝えられ、頭に鳥帽子を冠して左肩に大袋を背負い右手に打ち出の小槌を持つ姿で、日本ではめずらしい立像大黒天です。
最後に、昨日我が家は菖蒲湯でした。
例年は実家に帰り鯉のぼりを上げて、菖蒲湯に入ります。
山の堤に菖蒲が自生しているので、それを使うのですが、今年は私の仕事の都合と父が腰を痛めてしまったので、神戸でスーパー調達の菖蒲湯に成りました(残念!)。
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