阪急沿線七福神を巡る旅!第二弾「寿老人」を奉る『中山寺』 - 「高天原の縁側日記」
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2017/05/01

阪急沿線七福神を巡る旅!第二弾「寿老人」を奉る『中山寺』

ご紹介するのは『中山寺』です。
中山寺は、兵庫県宝塚市にある真言宗中山寺派の大本山寺院です。
西国三十三観音霊場として、一度御紹介しましたので、今回は阪急沿線七福神巡りの「寿老人」を奉る寺として御紹介させて頂きます。

P4290023.jpg(吽像の仁王様、草履を供えるみたいですね。インパクト考えてこの写真にしました~(;^_^A)

その前にと、前回も御紹介致しましたが、新しくお友達に成って頂いた、Bloggerの「ちょび(しみゆう)」さんを御紹介します。
奥様の「ビー玉」さんは可愛い感じでの方したが、御夫君は細マッチョ系のイケメンでした~(^^;
ブログは、IEsakuー初めてでも失敗しない!建築士の家づくりブログです。
此方も応援宜しくお願い致します(^人^)
御二人共に二本ずつブログを書かれてまして(凄!)、ちょびさんも愛い猫のブログをお書きなので、そちらも機会を見て御紹介しますね。

其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみくださいね。 
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前回御紹介したときには、何回もお詣りしているので、「写真も一杯有るのだろう」位に思っていたのですが、以外と撮して無くて失礼してしまったので、昨日お詣りして撮影してきました(^人^)。

P4290003.jpg(久しぶりの中山寺です。)
P4290015.jpg(山門も立派な造りです。)
P4290024.jpg
(あれ~~~?なんか見たことが無い塔が立っていますね。)

『中山寺』は、山号は紫雲山
本尊は十一面観音
西国三十三所第24番札所ですね。



御本尊の十一面観世音菩薩は、インドの勝鬘夫人勝鬘夫人(「しょうまんぶにん、シュリーマーラー」は、古代インドの在家仏教徒で、シリーマーラーとは「素晴らしい花輪」という意味で、勝鬘はそれを漢訳したもの)の姿を写した三国伝来の尊像と伝えられます(私見ですが、御本尊の十一面観世音菩薩、西国三十三観音霊場の御本尊の中で一番艶やかなお姿をされていると思います)。
左右の脇侍も十一面観世音菩薩で、本尊と脇侍をあわせて三十三面となり、西国観音を総摂すると共に法華経に説く、観音の三十三権変化身を表象し、真の三十三所巡拝と同じ功徳がえられるという便利な(お得な)?お寺です。
普段は秘仏となっていますが、毎月18日に開扉されますので、是非チャンスを逃さないで下さいねヽ(´ー` )ノね。

CIMG9478.jpg
(こちら以前にもご紹介した。書写山圓教寺に在る中山寺の十一面観音菩薩のレプリカ像です。艶っぽいですね。)

地元では「中山さん」と親しみを込めて呼ばれていますし、「中山か~んの~ん♪」のメロディーのTVコマーシャルは関西では?誰もが耳にしているはずです(^^;。

寺伝では聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場といわれます。
「極楽中心仲山寺」と称されていたようですね。
現在の本堂(慶長8年・1603年再建)や阿弥陀堂は豊臣秀頼が片桐且元に命じて再建された物のようです。
羅漢堂に約800体の羅漢像が並ぶ姿は正に荘厳です。

P4290027.jpg(五百羅漢堂なのですが八百体?増えたのかな?圧倒されます。)
P4290068.jpg(本堂へ、エスカレーター付きです。都会のお寺だからなのかな?少し残念な気もしますが?)
P4290075.jpg(秀頼が作らせた本堂です。)
DSC_0057.jpg(全体はこんな感じです。)

【ここで少しうんちく!】

西国三十三観音霊場は、大和国の長谷寺の開基である徳道上人が62歳のとき、病のために亡くなるが冥土の入口で閻魔大王に会ったことが始まりと言われます。
上人と弟子たちは三十三所巡礼を人々に説きましたが、世間の信用が得られずあまり普及しなかったため、機が熟すのを待つこととし、閻魔大王から授かった宝印を中山寺の「石の唐戸」に封印します。
250年後に中興の祖といわれる花山法皇は、988年(永延2年)観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという伝承があった「中山寺」で宝印を探し出し、播磨国書写山圓教寺の性空上人の勧めにより、河内国石川寺(叡福寺)の仏眼上人を先達として紀伊国熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼し修行に勤め、大きな法力を身につけたといわれます。
このことにより、やがて観音霊場を巡る西国三十三所という信仰となり、西国三十三所は日本最古にして、巡礼の元祖となりました。

P4290062.jpg(何やら古墳のようです。)
P4290066.jpg(これが宝印が封印された、石の唐戸なのでしょうか?)

【中山寺の七福神】

『寿老人』

P4290044.jpg(今回の目的、西国七福神の寿老人堂の説明版です)
P4290040.jpg(寿老人堂?何故寿老人を撮影しなかったのでしょう?笑!)

さて今回の本題、中山寺の阪急沿線七福神巡りの寿老人は、福禄寿と同じく道教の神で南極星の化身で南極老人(南極老人ってのも凄いですが、笑!)です。
にこやかな微笑みをたたえ、手には巻物を括り付けた杖、そして団扇や桃などを持ち、鹿を従えた姿が一般的に知られています。
団扇は難を払い、桃は長寿のしるしで、鹿もまた長寿の象徴です。
長寿延命、富貴長寿の神として信仰されています。
日本の七福神の一人としては白鬚明神とされることもあるようですね。

【久しぶりにお参りした中山寺は凄かった!】

P4290106.jpg
(前回行ってびっくりした新しい大願塔、こんなものが出来ていてびっくりしたにも関わらず、今回は~!)
P4290088.jpg
(五重の塔「青龍」驚!)
P4290083.jpg(大師堂も新築~~~!昨年完成だそうです。)

中山寺の御紹介、安産祈願の霊場として皇室源頼朝など武家、庶民より深く信仰を集めます。
豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったともいわれています。
また、幕末には中山一位局明治天皇を出産する時に、安産祈願して無事出産したことから、日本唯一の明治天皇勅願所となり、安産の寺として知られています。

我が家でも、三人の子供達の安産祈願を此方中山寺で行いました。
いぬ帯を持っての御礼参りを行うのですが、三人目の次女だけ行きそびれて、10年掛かって御礼参りに行かせて頂きました(罰当たりな事です。)。

毎月の戌(いぬ)の日は、安産祈祷会があり、安産を願い、また、鐘の緒(かねのお)(祈祷を受けた腹帯)の授与を求めて、日本各地から多くの参詣者が訪れます(この日も多くの人々が御参りに来られてました。)。

勿論、御朱印を頂きましたが、中山寺では御朱印が全部で九つ有ります。
寿老人も二つ有りますので、「西国の阪急の...」と言って頂きますと書いて頂けます。

因みに、宝印は現存しませんが、宝印を押し、徳道上人の筆によるとされる掛け軸が中山寺には残っています。
同寺の村主康瑞(すぐりこうずい)元老は「中山寺は観音霊場の発祥で西国巡礼の1番だった。これが御朱印の始まりという可能性がある」と説明されています(御朱印ブームも中山寺から始まったのか?)。

    
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