柳田國男の生家に行ったら「天狗にもに出会った!」
前回、柳田國男さんの実家(移築されているのですが)の近くの公園の池に河童が出現する情報を御紹介しました。
実は隠していたのですが、出没するのは河童だけでは有りませんでした。
なんとこんな物まで~(^^;
人を集めるって大変ですよね~(;^_^A
私の様な二流Bloggerには、ご苦労が本当に良くわかります(笑)。
以前何かのセミナーで、「いかに良い商品を開発するかは問題では無くて、どれだけ良いコマーシャルをするかだ」と言われて愕然(笑)
良いもの=売れるものと認識していたのですがf(^_^;
さて天狗はさておき、柳田國男の兄弟と福崎町立神崎郡歴史民俗資料館を紹介しましょう。
其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみくださいね。



【歴史と民族学と現地調査主義と私】
柳田國男は、『郷土生活の研究法』(1935年)において「在来の史学の方針に則り、今ある文書の限りによって郷土の過去を知ろうとすれば、最も平和幸福の保持のために努力した町村のみは無歴史となり、我邦の農民史は一揆と災害との連鎖であった如き、印象を与へずんば止まぬこととなるであろう」と述べています。
ここでは、文献史学においては典拠とする史料そのものに偏りが生まれるのは避けられないとしており、それゆえ公文書などに示された一揆や災害とかかわる民衆の姿をそこで確認できたとしても、その生活文化総体は決して見えてこないという國男独自の考えが示されています。
「常民」の生活文化史の解明を目的とする民俗学にとっては文献資料にのみ依拠することには限界と危険が伴うのであり、それゆえフィールドワークによる民俗資料の収集が重要だと論じています(私のブログも訪れた場所以外は記事にしない、又食べたもの、読んだ本以外は書かない信念で書いているんですよ~、エヘン( ̄^ ̄)柳田流フィールドワークの実践者なのですよ、笑・笑・笑・笑・笑)。
また、柳田は『日本民俗学』(1942年)において「民俗学は微細な事実の考証から出発する」とし、随筆や紀行文等との差異からも確なる学的立脚を求め、計画調査を重要視しました。
【柳田國男と歴史学】
和歌森太郎『柳田国男と歴史学』(NHKブックス)によれば、國男の問題意識と関心は、常に歴史学と歴史教育にあったことが記され、國男が長野県東筑摩郡教育会で「青年と学問」と題して講演した際に、「自分たちの一団が今熱中している学問は、目的においては、多くの歴史家と同じ。ただ方法だけが少し新しいのである」と述べたことが紹介されています。
そして「日本はこういうフォークロアに相当する新しい方法としての歴史研究をなすには、たいへんに恵まれたところである」と記しています。
たとえば、ヨーロッパでは1000年以上のキリスト教文明と民族大移動、そしてまた近代以降の産業革命の進展のためフォークロア(民間伝承、民俗資料)の多くが消滅ないし散逸してしまっているのに対し、日本ではそのようなことがなく現実のいたるところに往古の痕跡が残っているというのです(なんと素晴らしい事じゃないですか!)。
言い換えれば日本にはフォークロアを歴史資料として豊かに活用できる土壌があるということであり、柳田民俗学とはこのような民間伝承の歴史研究上の有効性を所与の条件として構築されたものということが言えますね。
また東北地方や沖縄を様々な観点から詳細に調査したことから、東北と沖縄こそが柳田民俗学の出発点であり、古き日本の神話や伝説が今も生きてそこに存在する、そういう地域共同体として発見した事も重要です。
【柳田國男の兄弟も凄い】
柳田國男の兄弟の銅像が設置されている生家の裏山の「学問の道」を散策してきました。
八人兄弟なのにも関わらず、銅像は五体でしたが…
今回柳田國男さんに出会えた事に加えて、私がブログにおいて行っている姿勢(フィールドワーク)が間違っていないことも確信し、とても有意義な休日を送ったのでした。
(昔の建物ってこれですよね~右のブロックもモダンな建物のお尻が、柳田國男・松岡家顕彰会記念館です。)
最後に、「餅麦麺」成る代物、もちもちで半端なく美味しいです。
是非皆さんも、柳田國男・松岡家顕彰会記念館、福崎町立神崎郡歴史民俗資料館+河童を御覧に成って下さいね。
いつも応援、ありがとうございます(^人^)。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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「自らの民俗学の原点」と評した生家は、兵庫県福崎町に建設された柳田國男・松岡家顕彰会記念館の西隣に、移築・保存されています。
福崎町立神崎郡歴史民俗資料館が隣接しています。
東京都世田谷区成城の自宅書斎[柳田國男の書屋]は、1989年に長野県飯田市の飯田市美術博物館内へ移築されているそうです(柳田家は旧飯田藩士)。
蔵書は成城大学に寄贈され、同大学の民俗学研究所「柳田文庫」として活用されていますし、2003年には成城大学民俗学研究所編『増補改訂版 柳田文庫蔵書目録』が刊行されました(初刊1967年)。
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福崎町立神崎郡歴史民俗資料館が隣接しています。
東京都世田谷区成城の自宅書斎[柳田國男の書屋]は、1989年に長野県飯田市の飯田市美術博物館内へ移築されているそうです(柳田家は旧飯田藩士)。
蔵書は成城大学に寄贈され、同大学の民俗学研究所「柳田文庫」として活用されていますし、2003年には成城大学民俗学研究所編『増補改訂版 柳田文庫蔵書目録』が刊行されました(初刊1967年)。
【歴史と民族学と現地調査主義と私】
柳田國男は、『郷土生活の研究法』(1935年)において「在来の史学の方針に則り、今ある文書の限りによって郷土の過去を知ろうとすれば、最も平和幸福の保持のために努力した町村のみは無歴史となり、我邦の農民史は一揆と災害との連鎖であった如き、印象を与へずんば止まぬこととなるであろう」と述べています。
ここでは、文献史学においては典拠とする史料そのものに偏りが生まれるのは避けられないとしており、それゆえ公文書などに示された一揆や災害とかかわる民衆の姿をそこで確認できたとしても、その生活文化総体は決して見えてこないという國男独自の考えが示されています。
「常民」の生活文化史の解明を目的とする民俗学にとっては文献資料にのみ依拠することには限界と危険が伴うのであり、それゆえフィールドワークによる民俗資料の収集が重要だと論じています(私のブログも訪れた場所以外は記事にしない、又食べたもの、読んだ本以外は書かない信念で書いているんですよ~、エヘン( ̄^ ̄)柳田流フィールドワークの実践者なのですよ、笑・笑・笑・笑・笑)。
また、柳田は『日本民俗学』(1942年)において「民俗学は微細な事実の考証から出発する」とし、随筆や紀行文等との差異からも確なる学的立脚を求め、計画調査を重要視しました。
【柳田國男と歴史学】
和歌森太郎『柳田国男と歴史学』(NHKブックス)によれば、國男の問題意識と関心は、常に歴史学と歴史教育にあったことが記され、國男が長野県東筑摩郡教育会で「青年と学問」と題して講演した際に、「自分たちの一団が今熱中している学問は、目的においては、多くの歴史家と同じ。ただ方法だけが少し新しいのである」と述べたことが紹介されています。
そして「日本はこういうフォークロアに相当する新しい方法としての歴史研究をなすには、たいへんに恵まれたところである」と記しています。
たとえば、ヨーロッパでは1000年以上のキリスト教文明と民族大移動、そしてまた近代以降の産業革命の進展のためフォークロア(民間伝承、民俗資料)の多くが消滅ないし散逸してしまっているのに対し、日本ではそのようなことがなく現実のいたるところに往古の痕跡が残っているというのです(なんと素晴らしい事じゃないですか!)。
言い換えれば日本にはフォークロアを歴史資料として豊かに活用できる土壌があるということであり、柳田民俗学とはこのような民間伝承の歴史研究上の有効性を所与の条件として構築されたものということが言えますね。
また東北地方や沖縄を様々な観点から詳細に調査したことから、東北と沖縄こそが柳田民俗学の出発点であり、古き日本の神話や伝説が今も生きてそこに存在する、そういう地域共同体として発見した事も重要です。
【柳田國男の兄弟も凄い】
柳田國男の兄弟の銅像が設置されている生家の裏山の「学問の道」を散策してきました。
八人兄弟なのにも関わらず、銅像は五体でしたが…
今回柳田國男さんに出会えた事に加えて、私がブログにおいて行っている姿勢(フィールドワーク)が間違っていないことも確信し、とても有意義な休日を送ったのでした。

最後に、「餅麦麺」成る代物、もちもちで半端なく美味しいです。
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コメント
こんにちは!
先日は当ブログにコメントを頂き、ありがとうございますm(__)m
私も歴史は好きなんですが、けっして詳しくはなく、前々からこちらのブログで楽しく勉強させていただいておりました♪
こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します。
2017-04-23 12:51 ビー玉 URL 編集
Re: こんにちは!
ビー玉さんコメントありがとうございました。
記事をUPするのが精一杯でまだまだ皆さんのブログにはかないませんが、応援してくださる方々に励まされて頑張っています。
テーマは尽きないのですが、自分で満足できるものを書きあげるのが駄目ですね。
色々ご指導くださいね(;^_^A
2017-04-27 22:59 市朗右衛門 URL 編集