養父神社の狛狼と「戦国大名越前朝倉氏・但馬四天王八木氏」の系譜を訪ねる!
最初から話がずれていると思われるかも知れませんが、皆さん朝倉山椒知ってますよね~(^^;♪
「但馬の朝倉山椒は日本の絶品にて・・・この山椒は毎年幕府に進献するの例なりしか(校補但馬考)。」
トゲのない山椒として知られている朝倉山椒は、八鹿朝倉村の豪族朝倉氏とその地名から朝倉山椒の名がついたと言われます。
現在の兵庫県養父市八鹿町朝倉で取れる、スーパーブランド山椒なんですよね。
先日、この朝倉山椒を使ったショコラ食べました(絶品!o(^o^)o)(あの「es koyama」の小山シェフもショコラに使われていたと思います♪)!
今日御紹介するのは、狼伝説と鎌倉時代~戦国武将です!
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山椒の話では無いので、話題を狼に戻しましょう。
お正月は、「養父神社」に初詣に行かれた但馬の方も多いのではないでしょうか(昨年私も詣りいたしました)?
氏子総代が中学の恩師で、亡き母とも同僚だった「小島 勝 先生」でした(昨年時)。
小島先生は絵が凄くお上手で、養父神社の絵葉書だけでなく、養父市「道の駅」の休息ルームや、朝来市和田山の「OX(オックス)」という喫茶店に絵が飾られています(又、思い出話に成ってました~(^^;)!
さて、養父神社の拝殿の前に、尻尾を高く上げた狼の石像があることをご存じでしょうか。
二対の狛犬が並んでいるように見えますが、一対は明治26年(1893)に建立された狼の石像です。
口を開けているのが雌で、閉じているのが雄です。
日本狼は明治38年(1905)に絶滅しましたが、養父神社には石像として残っています。
田畑を荒らす猪や鹿から作物を守る益獣として、狼を守り神にしています。
話は変わりますが、徳川家康の旗本になった朝倉氏(戦国大名越前守護の朝倉氏末裔)と八木氏(但馬守護山名氏の下で、但馬四天王の一氏末裔)が、江戸幕府に提出した系図が残っています。
そこに「朝倉高清」と養父神社の係わりが書かれています。
鎌倉時代の関東に、大きくなると210cmを越える白猪が暴れていました。
源頼朝は、朝倉高清(朝倉氏二代と成りますか?)にこの白猪退治を命じました。
そこで但馬に帰って7日間、養父神社にこもって祈願し、神前から鏑矢(かぶらや)をもらいました。
この矢で白猪を退治して、源頼朝の家来になれたという話です。
【ここで朝倉氏の系図について少しお話させて頂きます。】
但馬には、 開化天皇の後裔とも孝徳天皇の後裔とも伝わる日下部氏が、平安時代から大武士団を形成し栄えていました。
朝倉氏は、この日下部氏の流れをくむ氏族のひとつです。
朝倉氏の本貫は但馬国養父郡朝倉(兵庫県養父市八鹿町朝倉)です。
但馬朝倉氏から分かれ越前に移った系統が越前朝倉氏と成りますね。
越前朝倉氏は、越前国守護の斯波氏に仕えて、甲斐氏、織田氏に次ぐ斯波三守護代の第三席となり、後に朝倉氏自体が守護に任命されるようになって自立し、越前国を支配する戦国大名になりました。
日下部氏の流れをくむ氏族は、越前戦国大名朝倉氏(前出武家)土佐朝倉氏(武家)溝江氏(武家)又、山陰最大の守護大名・山名氏の家老職である但馬四天王の太田垣氏(竹田城主)・八木氏(前出・八木城主)などがあります。
【但馬朝倉氏】
平安時代末期に日下部宗高が但馬国養父郡朝倉に住し、はじめて朝倉氏を称したとされます。
伝説では、宗高の子・朝倉高清は平家に与したことで鎌倉時代に領地を没収されましたが、関東で誰も退治できなかった白猪を射て退治した功績によって、源頼朝より領地の安堵と木瓜紋(三つ盛木瓜)を賜ったとされます。
その後、朝倉氏は朝倉城を築き、代々この城に拠ったと言われます。
通し字は「高」。
高清の長男・安高は八木氏を興し、次男の信高が朝倉氏を継ぎましたが、承久の乱で信高は敗れた後鳥羽上皇側に付いたため朝倉氏は衰退してしまいます。
このため八木安高の孫・高実が朝倉氏を継ぐ事になります。
室町時代には但馬守護の山名氏に仕えましたが、戦国時代に織田信長(羽柴秀吉)に敗れて、但馬朝倉氏の名前はみられなくなりなります。
【越前朝倉氏】
越前朝倉氏は、南北朝時代に足利氏の一族である斯波氏に仕えた朝倉広景から始まります。
通し字は「景」。
近年、但馬で発見されたとされる「桜井八木系図」と「粟鹿社系図」によれば、朝倉信高の兄安高(弟ともいわれます。)が八木氏を名乗り、信高-高吉-高実(安高の孫、養子として朝倉本家を次いでいます。)-高景-高資-広信と続き、その跡を継いだのが広景です。
「朝倉始末記」によれば、正慶2年(1333年)4月下旬に足利尊氏が丹波国篠村に着陣したときに、朝倉広景は尊氏のもとに馳せ参じ、その後足利一族の斯波高経に属して越前に転戦したとされますが、これはあくまで通説と成っています。
次代の朝倉高景(但馬時代の高景とは別人です。)は斯波高経に仕えて高経が守護に任じられた越前国に所領を与えられますが、高経が室町幕府によって越前守護を奪われて討伐された貞治の変の際には、幕府軍に寝返って所領を安堵されています(朝倉氏「機を見るに敏」ですね、最後の?朝倉義景のみ残念でした。)。
その後、外来の武士ながら越前国に定着して勢力を築き、斯波氏が越前守護に復帰すると帰参しますが、既に越前に勢力を築いていた朝倉氏の存在を斯波氏も無視する事は出来ず、室町時代に入ると、甲斐氏・織田氏とともに守護代に任ぜられるようになりました。
室町時代後期に入ると、朝倉孝景は守護代甲斐常治とともに主である斯波義敏と対立して長禄合戦を引き起こしておきながら、足利将軍家の家督争いなどから発展した応仁の乱では山名宗全率いる西軍から細川勝元率いる東軍に属し、越前から甲斐氏を追い払います。
戦国時代には越前支配のみならず、隣国若狭、近江にも進攻し、領土を広げたが、尾張国の織田信長と対立し、1573年(天正元年)、戦国大名としての勢力を失ってしまうのは、皆さんもご存知の通りです。
最初の鎌倉時代に400年さかのぼって、朝倉高清は、暴れまわる白猪を、狼が守る養父神社から授かった矢の霊力によって退治することができました。
狼は、養父神社では今も田畑の作物を猪や鹿から守る良い獣なのです。
養父神社の摂末社、山野口神社は「狼の社」(おおかみのやしろ)と言われ、病気平癒を祈願する神社です。
童話に出てくる狼は、主人公わをたべてしまう悪役な事が多いですが、養父神社の狼は人を助ける神様の使いなのです。
養父市には宿南にも、狼にまつわる伝説があります。
掃部狼婦(かもんろうふ)物語という狼伝説です。
此方のお話は又次の機会に致します(^人^)
時代が400年間にも及び、説明がわかりにくかったと思いますが、養父神社の狼の狛犬?が戦国大名朝倉義景の滅亡にまで影響を与えたと考えると、この栄枯盛衰は平家物語に匹敵するお話かもしれませんね(言いすぎました。笑!)。
いつも応援、ありがとうございますm(__)m。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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「但馬の朝倉山椒は日本の絶品にて・・・この山椒は毎年幕府に進献するの例なりしか(校補但馬考)。」
トゲのない山椒として知られている朝倉山椒は、八鹿朝倉村の豪族朝倉氏とその地名から朝倉山椒の名がついたと言われます。
現在の兵庫県養父市八鹿町朝倉で取れる、スーパーブランド山椒なんですよね。
先日、この朝倉山椒を使ったショコラ食べました(絶品!o(^o^)o)(あの「es koyama」の小山シェフもショコラに使われていたと思います♪)!
今日御紹介するのは、狼伝説と鎌倉時代~戦国武将です!
「市郎右衛門」の日本歴史ブログをお楽しみください。




山椒の話では無いので、話題を狼に戻しましょう。
お正月は、「養父神社」に初詣に行かれた但馬の方も多いのではないでしょうか(昨年私も詣りいたしました)?
氏子総代が中学の恩師で、亡き母とも同僚だった「小島 勝 先生」でした(昨年時)。
小島先生は絵が凄くお上手で、養父神社の絵葉書だけでなく、養父市「道の駅」の休息ルームや、朝来市和田山の「OX(オックス)」という喫茶店に絵が飾られています(又、思い出話に成ってました~(^^;)!
さて、養父神社の拝殿の前に、尻尾を高く上げた狼の石像があることをご存じでしょうか。
二対の狛犬が並んでいるように見えますが、一対は明治26年(1893)に建立された狼の石像です。
口を開けているのが雌で、閉じているのが雄です。
日本狼は明治38年(1905)に絶滅しましたが、養父神社には石像として残っています。
田畑を荒らす猪や鹿から作物を守る益獣として、狼を守り神にしています。
話は変わりますが、徳川家康の旗本になった朝倉氏(戦国大名越前守護の朝倉氏末裔)と八木氏(但馬守護山名氏の下で、但馬四天王の一氏末裔)が、江戸幕府に提出した系図が残っています。
そこに「朝倉高清」と養父神社の係わりが書かれています。
鎌倉時代の関東に、大きくなると210cmを越える白猪が暴れていました。
源頼朝は、朝倉高清(朝倉氏二代と成りますか?)にこの白猪退治を命じました。
そこで但馬に帰って7日間、養父神社にこもって祈願し、神前から鏑矢(かぶらや)をもらいました。
この矢で白猪を退治して、源頼朝の家来になれたという話です。
【ここで朝倉氏の系図について少しお話させて頂きます。】
但馬には、 開化天皇の後裔とも孝徳天皇の後裔とも伝わる日下部氏が、平安時代から大武士団を形成し栄えていました。
朝倉氏は、この日下部氏の流れをくむ氏族のひとつです。
朝倉氏の本貫は但馬国養父郡朝倉(兵庫県養父市八鹿町朝倉)です。
但馬朝倉氏から分かれ越前に移った系統が越前朝倉氏と成りますね。
越前朝倉氏は、越前国守護の斯波氏に仕えて、甲斐氏、織田氏に次ぐ斯波三守護代の第三席となり、後に朝倉氏自体が守護に任命されるようになって自立し、越前国を支配する戦国大名になりました。
日下部氏の流れをくむ氏族は、越前戦国大名朝倉氏(前出武家)土佐朝倉氏(武家)溝江氏(武家)又、山陰最大の守護大名・山名氏の家老職である但馬四天王の太田垣氏(竹田城主)・八木氏(前出・八木城主)などがあります。
【但馬朝倉氏】
平安時代末期に日下部宗高が但馬国養父郡朝倉に住し、はじめて朝倉氏を称したとされます。
伝説では、宗高の子・朝倉高清は平家に与したことで鎌倉時代に領地を没収されましたが、関東で誰も退治できなかった白猪を射て退治した功績によって、源頼朝より領地の安堵と木瓜紋(三つ盛木瓜)を賜ったとされます。
その後、朝倉氏は朝倉城を築き、代々この城に拠ったと言われます。
通し字は「高」。
高清の長男・安高は八木氏を興し、次男の信高が朝倉氏を継ぎましたが、承久の乱で信高は敗れた後鳥羽上皇側に付いたため朝倉氏は衰退してしまいます。
このため八木安高の孫・高実が朝倉氏を継ぐ事になります。
室町時代には但馬守護の山名氏に仕えましたが、戦国時代に織田信長(羽柴秀吉)に敗れて、但馬朝倉氏の名前はみられなくなりなります。
【越前朝倉氏】
越前朝倉氏は、南北朝時代に足利氏の一族である斯波氏に仕えた朝倉広景から始まります。
通し字は「景」。
近年、但馬で発見されたとされる「桜井八木系図」と「粟鹿社系図」によれば、朝倉信高の兄安高(弟ともいわれます。)が八木氏を名乗り、信高-高吉-高実(安高の孫、養子として朝倉本家を次いでいます。)-高景-高資-広信と続き、その跡を継いだのが広景です。
「朝倉始末記」によれば、正慶2年(1333年)4月下旬に足利尊氏が丹波国篠村に着陣したときに、朝倉広景は尊氏のもとに馳せ参じ、その後足利一族の斯波高経に属して越前に転戦したとされますが、これはあくまで通説と成っています。
次代の朝倉高景(但馬時代の高景とは別人です。)は斯波高経に仕えて高経が守護に任じられた越前国に所領を与えられますが、高経が室町幕府によって越前守護を奪われて討伐された貞治の変の際には、幕府軍に寝返って所領を安堵されています(朝倉氏「機を見るに敏」ですね、最後の?朝倉義景のみ残念でした。)。
その後、外来の武士ながら越前国に定着して勢力を築き、斯波氏が越前守護に復帰すると帰参しますが、既に越前に勢力を築いていた朝倉氏の存在を斯波氏も無視する事は出来ず、室町時代に入ると、甲斐氏・織田氏とともに守護代に任ぜられるようになりました。
室町時代後期に入ると、朝倉孝景は守護代甲斐常治とともに主である斯波義敏と対立して長禄合戦を引き起こしておきながら、足利将軍家の家督争いなどから発展した応仁の乱では山名宗全率いる西軍から細川勝元率いる東軍に属し、越前から甲斐氏を追い払います。
戦国時代には越前支配のみならず、隣国若狭、近江にも進攻し、領土を広げたが、尾張国の織田信長と対立し、1573年(天正元年)、戦国大名としての勢力を失ってしまうのは、皆さんもご存知の通りです。
最初の鎌倉時代に400年さかのぼって、朝倉高清は、暴れまわる白猪を、狼が守る養父神社から授かった矢の霊力によって退治することができました。
狼は、養父神社では今も田畑の作物を猪や鹿から守る良い獣なのです。
養父神社の摂末社、山野口神社は「狼の社」(おおかみのやしろ)と言われ、病気平癒を祈願する神社です。
童話に出てくる狼は、主人公わをたべてしまう悪役な事が多いですが、養父神社の狼は人を助ける神様の使いなのです。
養父市には宿南にも、狼にまつわる伝説があります。
掃部狼婦(かもんろうふ)物語という狼伝説です。
此方のお話は又次の機会に致します(^人^)
時代が400年間にも及び、説明がわかりにくかったと思いますが、養父神社の狼の狛犬?が戦国大名朝倉義景の滅亡にまで影響を与えたと考えると、この栄枯盛衰は平家物語に匹敵するお話かもしれませんね(言いすぎました。笑!)。
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