武内宿禰の長寿の謎を解き明かせ!「平浜八幡宮・武内神社」
久しぶりに出雲の記事をUP出来ました。o(^o^)o
出雲神仏霊場第十三番
「平濱八幡宮・武内神社」の御紹介なのですが、出雲神仏霊場も残りが段々(そう言えば関係ないのですが「だんだん」は島根方言でありがとうの意味です。NHKの朝ドラマにも成りましたね。)と少なく成って参りました(記憶が正しければ後五つですが、難所「場所では無くて記載事項が満載」ばかり残っています)。
JR松江駅より東へ国道を走ること5㎞、ゆるやかな峠があります。
峠を下り右側の石段を登ると、正面が平濱八幡宮、その西(左)隣りが武内神社に成っています。
其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみくださいね。




八幡神としては「応神天皇」「仲哀天皇」「神功皇后」を祀っています。
歴史、創建年代は不明ですが、天永2年(1111年)、陰陽寮で当社の遷宮の日時を占ったという記録があり、それ以前には創建されていたことになります。
出雲国最古の八幡宮とされ、この地は京都の石清水八幡宮の社領であり、当時は「平浜別宮」と呼ばれ、石清水八幡宮の社家の支流が奉斎していました。
戦国時代には「亀井氏(尼子氏側近)」「尼子氏」「毛利氏」によって社殿が造営されています。
江戸時代には松江藩主が直轄し、昭和17年(1942年)に県社に列格しています。
境内社の『武内神社』(たけうちじんじゃ)は武内宿禰を祭神とし、「武内さん」の愛称で呼ばれ、武内宿禰が長命であったことから延命長寿の神として信仰を集めています。
『日本書紀』では「武内宿禰」、『古事記』では「建内宿禰」と記載されています。
他文献では「建内足尼」とも表記されます。
「宿禰」は尊称で、名称は「勇猛な、内廷の宿禰」の意だそうです。
景行天皇・成務天皇・仲哀天皇・応神天皇・仁徳天皇の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣ですね。
紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされます。
当然ですが、300歳(笑)で亡くなったといわれますが、実在の人物とは考えにくいですが、皇紀2600年を作り上げようとすると、300歳もしょうがないのかも知れませんね(また「宿禰」が尊称とすれば、建内一族かも知れませんね)。
けっして、皇紀が嘘などと申すつもりはありませんよ、2600年前と成ると、日本の歴史は縄文時代後期、若しくは弥生時代初期に成りますね、どちらにしても素晴らしい邑や数々の製品を造り上げる能力をすでに有していますし、その集団をまとめるカリスマリーダーが居たことは否定致しません(^^)d
そういえば、以前の真田丸取材で、大阪の「三光神社」にお詣りした時に、武内宿禰命が祀られておりました。
宮司は創建以来、武内宿禰の末裔武川家が神職として奉職しておられ、現在は86代目だそうです。
出雲神仏霊場第十三番
「平濱八幡宮・武内神社」の御紹介なのですが、出雲神仏霊場も残りが段々(そう言えば関係ないのですが「だんだん」は島根方言でありがとうの意味です。NHKの朝ドラマにも成りましたね。)と少なく成って参りました(記憶が正しければ後五つですが、難所「場所では無くて記載事項が満載」ばかり残っています)。
JR松江駅より東へ国道を走ること5㎞、ゆるやかな峠があります。
峠を下り右側の石段を登ると、正面が平濱八幡宮、その西(左)隣りが武内神社に成っています。
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『平濱八幡宮』(ひらはまはちまんぐう)は、島根県松江市にある神社です(出雲と申しましても、今の出雲市とは違いますよ)。
旧社格は県社です。
出雲國神仏霊場第13番札所。
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『平濱八幡宮』(ひらはまはちまんぐう)は、島根県松江市にある神社です(出雲と申しましても、今の出雲市とは違いますよ)。
旧社格は県社です。
出雲國神仏霊場第13番札所。
(車でお詣りすると、楽に階段を横から登ることが出来ます。)
八幡神としては「応神天皇」「仲哀天皇」「神功皇后」を祀っています。
歴史、創建年代は不明ですが、天永2年(1111年)、陰陽寮で当社の遷宮の日時を占ったという記録があり、それ以前には創建されていたことになります。
出雲国最古の八幡宮とされ、この地は京都の石清水八幡宮の社領であり、当時は「平浜別宮」と呼ばれ、石清水八幡宮の社家の支流が奉斎していました。
戦国時代には「亀井氏(尼子氏側近)」「尼子氏」「毛利氏」によって社殿が造営されています。
江戸時代には松江藩主が直轄し、昭和17年(1942年)に県社に列格しています。
境内社の『武内神社』(たけうちじんじゃ)は武内宿禰を祭神とし、「武内さん」の愛称で呼ばれ、武内宿禰が長命であったことから延命長寿の神として信仰を集めています。
(私の大好きな蛙さん!人も車も無事帰る~!良い事。)
『日本書紀』では「武内宿禰」、『古事記』では「建内宿禰」と記載されています。
他文献では「建内足尼」とも表記されます。
「宿禰」は尊称で、名称は「勇猛な、内廷の宿禰」の意だそうです。
景行天皇・成務天皇・仲哀天皇・応神天皇・仁徳天皇の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣ですね。
紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされます。
当然ですが、300歳(笑)で亡くなったといわれますが、実在の人物とは考えにくいですが、皇紀2600年を作り上げようとすると、300歳もしょうがないのかも知れませんね(また「宿禰」が尊称とすれば、建内一族かも知れませんね)。
けっして、皇紀が嘘などと申すつもりはありませんよ、2600年前と成ると、日本の歴史は縄文時代後期、若しくは弥生時代初期に成りますね、どちらにしても素晴らしい邑や数々の製品を造り上げる能力をすでに有していますし、その集団をまとめるカリスマリーダーが居たことは否定致しません(^^)d
そういえば、以前の真田丸取材で、大阪の「三光神社」にお詣りした時に、武内宿禰命が祀られておりました。
宮司は創建以来、武内宿禰の末裔武川家が神職として奉職しておられ、現在は86代目だそうです。
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