苔に座る地蔵に禅宗の真髄を見た!出雲『瑞塔山 雲樹寺』
ブログランキング、
の『出雲部門』で一位に成ってました~(^^;
出雲好きで良かったです(笑)
という事で、久しぶりに出雲?に帰って来ました!
出雲神仏霊場第十二番札所の『雲樹寺』を御紹介します。
南北朝の姿を今に残す臨済宗の古刹、雲樹寺は、古くから鉄の積み出しで栄えた安来港から伯太川(安来市伯太町)を遡ったところにあり、冬には白鳥が飛来する能儀平野の一画に位置します。
出雲神仏霊場第十二番札所
中国観音霊場第二十七番札所
「市郎右衛門」の日本歴史ブログをお楽しみください。



👆 絶賛ランキング参加中!四つのバナータグを「 ぽちっと」クイックして応援お願いします(^人^)。
瑞塔山 雲樹寺(ずいとうさん うんじゅじ)臨済宗妙心寺派
所在地は、島根県安来市清井町281
元亨2年(1322年)、孤峰覚明(三光国師)によって創建された禅寺で、出雲地方では最古の禅寺の一つです。
後醍醐天皇・後村上天皇、南北両朝の勅願寺にもなっています。
四脚門や朝鮮銅鐘など多数の文化財を有し、方丈裏は1万坪の枯山水の庭園があります。
最初に見える季節の花に彩られた、松並木の参道中程にある四脚門(大門、国重文)は1300年代当時のままの姿で参拝者をむかえています。
境内に入ると大きな山門、説明板によれば、元禄8年(1695)の再建で、掲げられている勅額は後醍醐天皇の御親筆とのことです(凄い!後醍醐天皇フアンの私としては是非訪れたかった寺院の一つです(^_^)v)。
さらに歩いて石門を抜けると左に広がる境内に山門・仏殿・方丈と伽藍が一直線に並んでいます。
五山十刹に多く見られる禅宗様式の構えで、地方寺院にしては珍しい貴重なたたずまいは凛とした閑けさに包まれていました。
その他「酒断ち地蔵」の祠、中国観音霊場第二十七番札所になっている観音堂には、「子授け・子育て観音」が祀られており、所願成就と供に、古来より多くの信仰を集めています。
また、仏殿に祀られているご本尊は拈華微笑佛(ねんげみしょうぶつ)で、家内和楽のご利益があるそうです。
拝観コースでは、県下でも数少ない高麗梵鐘(朝鮮鐘・国重要文化財)を見ることができきます。
日本最古といわれる新羅時代の鐘と伝わります(こちらに在るいわれが知りたいですが?)。
【狐峰禅師について少し説明しますね】
狐峰禅師は南北朝時代の名僧で、応長元年(1311)唐に渡り天台山で学び、帰国後雲樹寺を創建します。
元弘の役で伯耆に行幸した後醍醐天皇は、船上山に師を招いて戒を受け、その後「建武の新政」以後国「済国師の号」と「天長雲樹興聖禅寺」の頼願を下賜しました。
禅師は後に後村上天皇より「三光国師号」を加賜され、勅詔あって和泉高石に「大雄寺」を建て隠棲した、「二祖国師号」を持つ稀代の名僧です。
こうした名僧知識の法を嗣いだ雲樹寺は、次第に寺運も発展し、塔頭二十余院を含む大伽藍となったが、もとは千歳(せんざい)の沼を囲む鬱蒼とした森であった。
狐峰禅師はこの沼を干拓し、参道の一部を造営しました。
この偉業は後世に伝えられ、今も地名に残っています。
天文年間から元禄にかけて伽藍の大修理が行われ、参道の松の植栽や方丈の背面の山には、禅宗枯山水形式の庭が整備されました。
元禄時代整備されたこの庭には、斜面を利用して植えられたツツジが打ち寄せる波のように重なりあい咲きほこり、静寂な境内は禅寺としての厳しい面持ちが見られますが、5月に咲き誇る数百株のツツジは圧巻らしいです(またその時期に行ってみよ)。
見ごろは4月~6月で、次々と花を咲かせるそうです。
文政3年不慮の天災で堂塔のほとんどが焼失しましたが、大門、山門、薬師堂、庭園はかろうじて難を逃れました。
江戸末期より仏殿、方丈、開山堂を再建し、往時の姿を取り戻しています。
凛とした、禅宗らしい気持ちの良いお寺でした。
実は我が家の宗派は日蓮宗なのですが、昨年から兵庫県三田市の曹洞宗「永澤寺」で座禅をやろうと通い始めたのですが、これが辛いのです。
足にもろに体重が係るので痛いのなんのって(笑)どうにかダイエットせなば、仏の声も聞こえてこない市郎右衛門なのでした。
いつも応援、ありがとうございますm(__)m。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナーを「ポチッと」クリックして頂きましたら嬉しいです。
👇👇👇 👇👇👇 👇👇👇 👇👇👇




出雲好きで良かったです(笑)
という事で、久しぶりに出雲?に帰って来ました!
出雲神仏霊場第十二番札所の『雲樹寺』を御紹介します。
南北朝の姿を今に残す臨済宗の古刹、雲樹寺は、古くから鉄の積み出しで栄えた安来港から伯太川(安来市伯太町)を遡ったところにあり、冬には白鳥が飛来する能儀平野の一画に位置します。
出雲神仏霊場第十二番札所
中国観音霊場第二十七番札所
「市郎右衛門」の日本歴史ブログをお楽しみください。




瑞塔山 雲樹寺(ずいとうさん うんじゅじ)臨済宗妙心寺派
所在地は、島根県安来市清井町281
元亨2年(1322年)、孤峰覚明(三光国師)によって創建された禅寺で、出雲地方では最古の禅寺の一つです。
後醍醐天皇・後村上天皇、南北両朝の勅願寺にもなっています。
四脚門や朝鮮銅鐘など多数の文化財を有し、方丈裏は1万坪の枯山水の庭園があります。
最初に見える季節の花に彩られた、松並木の参道中程にある四脚門(大門、国重文)は1300年代当時のままの姿で参拝者をむかえています。
境内に入ると大きな山門、説明板によれば、元禄8年(1695)の再建で、掲げられている勅額は後醍醐天皇の御親筆とのことです(凄い!後醍醐天皇フアンの私としては是非訪れたかった寺院の一つです(^_^)v)。
さらに歩いて石門を抜けると左に広がる境内に山門・仏殿・方丈と伽藍が一直線に並んでいます。
五山十刹に多く見られる禅宗様式の構えで、地方寺院にしては珍しい貴重なたたずまいは凛とした閑けさに包まれていました。
その他「酒断ち地蔵」の祠、中国観音霊場第二十七番札所になっている観音堂には、「子授け・子育て観音」が祀られており、所願成就と供に、古来より多くの信仰を集めています。
また、仏殿に祀られているご本尊は拈華微笑佛(ねんげみしょうぶつ)で、家内和楽のご利益があるそうです。
拝観コースでは、県下でも数少ない高麗梵鐘(朝鮮鐘・国重要文化財)を見ることができきます。
日本最古といわれる新羅時代の鐘と伝わります(こちらに在るいわれが知りたいですが?)。
【狐峰禅師について少し説明しますね】
狐峰禅師は南北朝時代の名僧で、応長元年(1311)唐に渡り天台山で学び、帰国後雲樹寺を創建します。
元弘の役で伯耆に行幸した後醍醐天皇は、船上山に師を招いて戒を受け、その後「建武の新政」以後国「済国師の号」と「天長雲樹興聖禅寺」の頼願を下賜しました。
禅師は後に後村上天皇より「三光国師号」を加賜され、勅詔あって和泉高石に「大雄寺」を建て隠棲した、「二祖国師号」を持つ稀代の名僧です。
こうした名僧知識の法を嗣いだ雲樹寺は、次第に寺運も発展し、塔頭二十余院を含む大伽藍となったが、もとは千歳(せんざい)の沼を囲む鬱蒼とした森であった。
狐峰禅師はこの沼を干拓し、参道の一部を造営しました。
この偉業は後世に伝えられ、今も地名に残っています。
天文年間から元禄にかけて伽藍の大修理が行われ、参道の松の植栽や方丈の背面の山には、禅宗枯山水形式の庭が整備されました。
元禄時代整備されたこの庭には、斜面を利用して植えられたツツジが打ち寄せる波のように重なりあい咲きほこり、静寂な境内は禅寺としての厳しい面持ちが見られますが、5月に咲き誇る数百株のツツジは圧巻らしいです(またその時期に行ってみよ)。
見ごろは4月~6月で、次々と花を咲かせるそうです。
文政3年不慮の天災で堂塔のほとんどが焼失しましたが、大門、山門、薬師堂、庭園はかろうじて難を逃れました。
江戸末期より仏殿、方丈、開山堂を再建し、往時の姿を取り戻しています。
凛とした、禅宗らしい気持ちの良いお寺でした。
実は我が家の宗派は日蓮宗なのですが、昨年から兵庫県三田市の曹洞宗「永澤寺」で座禅をやろうと通い始めたのですが、これが辛いのです。
足にもろに体重が係るので痛いのなんのって(笑)どうにかダイエットせなば、仏の声も聞こえてこない市郎右衛門なのでした。
いつも応援、ありがとうございますm(__)m。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナーを「ポチッと」クリックして頂きましたら嬉しいです。
👇👇👇 👇👇👇 👇👇👇 👇👇👇




- 関連記事
-
-
国分寺サミット企画する?出雲国『国分寺』を紹介します。
-
神々を訪ねて『出雲大社・荒垣外摂社』を歩く!「スクープ&祓社」vol⑧
-
誓約によって生まれし天照大御神の三男と五男をお祀りする。「 生田裔神八社」『八宮神社』『合祀六宮神社』
-
稲佐の浜で八百の神々に出会った!「出雲大社・神迎え神事」
-
阪急沿線七福神を巡る旅!第四弾「大黒天」を奉る『聖天宮西江寺』
-
神様以外に誰が投げ入れられる?「三徳山三仏寺」『投げ入れ堂』
-
日本三景「天橋立」を見ながら、西国三十三所第28番札所『成相寺』を訪ねよう。
-
神々を訪ねて『出雲大社・荒垣外摂社』を歩く!一気に三社「勿論、天照大御神もお祀り・纏向遺跡も新事実!」vol④
-
コメント