初詣の最期は子供達の合格祈願!『三田天満神社』
元日行けなかったので、二日に御近所の神社に初詣に出掛けた「私の初詣第三段」です。
兵庫県三田市の『三田天満神社』にお詣り致しました!
関東の方々は「みた」と思われるかも知れませんが、「さんだ」です。
「サンダクロースの町」と覚えてと市長も言っているのです(本当ですよ~でも、ちょっとキツくないか?笑)。
本年も「市郎右衛門」の日本歴史ブログをお楽しみください。



『三田天満神社』御由緒では!
【主祭神】
菅原道真、大歳大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大己貴命、少彦名命。
大歳大神とは?毎年正月に各家にやってくる来方神(大年大神と同じ神様と考えるとこうです。別の神様と考えると五穀豊穣の神様と成るようです。)。
建速須佐之男命と神大市比売の間に生まれた年を司る神様です。
江戸時代は三田藩主九鬼氏(以前岡に上がった海賊で取り上げましたね♪)の祈願所でした。
また、隣接する天神公園は桜の名所で、三田八景の一つに成っています(他の七つは調べて下さいm(__)m)。
三田天満神社はおよそ千数百年以前、三田神祠(じんじ)と号して、大歳大神(おおとしのおおかみ)をお祀りしてまいりました。
三田という地名も和銅六年(713)風土記編纂の折(摂津国風土記かな)、大歳大神の御領田(みけだ)の意味で三田と書かれたところから来ていると古書に記されており、延喜式以前の神社です。
三田天満神社はその昔、菅原道真公の神輿のお休み処であったという、ゆかりの深い所と言い伝えられています。
明治四年南区より大歳宮を合祀
明治四年西区より熊野宮を合祀
明治四二年寺村区より山王宮を合祀
併せて祀り、全国に一万二千ある天神様のうちの二十五社天神の一つとして京都・北野天満宮、大阪の天満天神と並び称せられる神社です(三田天満神社伝)。
全国二十五社天神に当社の名前が入っていない事について三田天満神社では「当社の略歴を見ましても、何時、誰が言った事なのか、記録が無いため詳細はわかりません。」とコメントしています。
Wikipediaの菅公聖蹟二十五拝には入っていませんね~(^^;
2014年に、三田天満神社の秋祭り中に練り回しをしていただんじりが、境内の手水舎(てみずしゃ)に衝突して屋根が崩落し、見物客ら17人が死傷した(一人がお亡くなりに成りました。)事故が有ったことを、記憶されておられる方も居られるでしょう。
お亡くなりになったのは耳に障害の有った方だと記憶しています。
音が聞こえなかったことで、対応が遅れてしまったのかもしれません、残念な出来事でした。
お祭りが主で、神様に対する感謝の念が従に成ってしまっては本末転倒です。
神様が過激な祭を求められるとも思えませんから、お祭りは感謝の気持ちが有ればそれで良いと思いますね。
いつも応援、ありがとうございます。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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兵庫県三田市の『三田天満神社』にお詣り致しました!
関東の方々は「みた」と思われるかも知れませんが、「さんだ」です。
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京都の「北野天満宮」へ昨年11月に出掛けて御守りも頂いていたので、三田まで出掛けるか?(30分程度の距離ですが!)迷いましたが、やはり今年の正月は学問の神様に御願いをしておかなければと(子供二人が受験です!Σ(×_×;)!)出掛けました。
合格祈願と申しましても、神社は本来感謝の気持ちを伝える為にお詣りする所と、以前申し上げたと思います。
ですから「家の子供達も頑張りますし、私達親も協力して頑張りますので、見守って下さい(^人^)」の気持ちでお詣りさせて頂きました♪
京都の「北野天満宮」へ昨年11月に出掛けて御守りも頂いていたので、三田まで出掛けるか?(30分程度の距離ですが!)迷いましたが、やはり今年の正月は学問の神様に御願いをしておかなければと(子供二人が受験です!Σ(×_×;)!)出掛けました。
合格祈願と申しましても、神社は本来感謝の気持ちを伝える為にお詣りする所と、以前申し上げたと思います。
ですから「家の子供達も頑張りますし、私達親も協力して頑張りますので、見守って下さい(^人^)」の気持ちでお詣りさせて頂きました♪
『三田天満神社』御由緒では!
【主祭神】
菅原道真、大歳大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大己貴命、少彦名命。
大歳大神とは?毎年正月に各家にやってくる来方神(大年大神と同じ神様と考えるとこうです。別の神様と考えると五穀豊穣の神様と成るようです。)。
建速須佐之男命と神大市比売の間に生まれた年を司る神様です。
江戸時代は三田藩主九鬼氏(以前岡に上がった海賊で取り上げましたね♪)の祈願所でした。
また、隣接する天神公園は桜の名所で、三田八景の一つに成っています(他の七つは調べて下さいm(__)m)。
三田天満神社はおよそ千数百年以前、三田神祠(じんじ)と号して、大歳大神(おおとしのおおかみ)をお祀りしてまいりました。
三田という地名も和銅六年(713)風土記編纂の折(摂津国風土記かな)、大歳大神の御領田(みけだ)の意味で三田と書かれたところから来ていると古書に記されており、延喜式以前の神社です。
三田天満神社はその昔、菅原道真公の神輿のお休み処であったという、ゆかりの深い所と言い伝えられています。
明治四年南区より大歳宮を合祀
明治四年西区より熊野宮を合祀
明治四二年寺村区より山王宮を合祀
併せて祀り、全国に一万二千ある天神様のうちの二十五社天神の一つとして京都・北野天満宮、大阪の天満天神と並び称せられる神社です(三田天満神社伝)。
全国二十五社天神に当社の名前が入っていない事について三田天満神社では「当社の略歴を見ましても、何時、誰が言った事なのか、記録が無いため詳細はわかりません。」とコメントしています。
Wikipediaの菅公聖蹟二十五拝には入っていませんね~(^^;
2014年に、三田天満神社の秋祭り中に練り回しをしていただんじりが、境内の手水舎(てみずしゃ)に衝突して屋根が崩落し、見物客ら17人が死傷した(一人がお亡くなりに成りました。)事故が有ったことを、記憶されておられる方も居られるでしょう。
お亡くなりになったのは耳に障害の有った方だと記憶しています。
音が聞こえなかったことで、対応が遅れてしまったのかもしれません、残念な出来事でした。
お祭りが主で、神様に対する感謝の念が従に成ってしまっては本末転倒です。
神様が過激な祭を求められるとも思えませんから、お祭りは感謝の気持ちが有ればそれで良いと思いますね。
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2017-01-06 23:57 編集