『生田神社』伝説知ってますか?
先日、久々に神戸三宮に食事に行きました。
私はいつも東急ハンズハンズのすぐ裏手『生田神社』の駐車場を利用します。
確か駐車券に参拝代金と書かれていたと思うので、駐車する度に生田神社にお詣りしたこととなり、有りがたい気持ちに成れます。
現在は普通の駐車券に変わってしまいました。
残念ですね。
そこで以前『生田神社』の歴史遺跡をご紹介するといっていたのを思い出しましたので。
今日はそれをご紹介しましょう。
「市郎右衛門」の日本歴史ブログをお楽しみください。




私はいつも東急ハンズハンズのすぐ裏手『生田神社』の駐車場を利用します。
確か駐車券に参拝代金と書かれていたと思うので、駐車する度に生田神社にお詣りしたこととなり、有りがたい気持ちに成れます。
現在は普通の駐車券に変わってしまいました。
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兵庫県神戸市中央区下山手通一丁目にある神社です(勿論ご存知ですよね)。
式内社(名神大)で、旧社格は官幣中社。
同じ兵庫県内の廣田神社・長田神社とともに神功皇后以来の歴史を有します。
かつて、現在の神戸市中央区の一帯が社領であり、これが「神戸」という地名の語源となりました。
地元では「生田さん」として親しまれており、初詣時期(兵庫一番の人出!)にはもちろん、それ以外の時期にも参拝客が絶えません。
祭神は『稚日女尊(わかひるめのみこと』「稚く瑞々しい日の女神」を意味し、我国における最高神太陽神と崇められ伊勢神宮内宮にお祀りされる、天照大神の幼名とも妹とも和魂(荒魂と相対するもので、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れです。 )であるともいわれています。
稚くみずみずしい日の女神様であり、物を生み育て万物の成長を御加護する神様です。
生田神社の御創建は神功皇后(じんぐうこうごう)元年(西暦201年)と日本書紀に記されており、『日本書紀』神功皇后条巻第9(神功皇后摂政元年2月)」に下記のように記されています。
「吾は活田長峡国(いくたながをのくに)に居らむとす」とのたまふ。
因りて海上五十狭茅(うなかみのいさち)を以て祭(いわ)はしむ。
『神功皇后』が海外外征の帰途、今の神戸港にてお船が進まなくなったために神占を行ったところ、稚日女尊が現れられ、 「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ。(=私は“いくた”の“ながさの国”におりたいのです。“うなかみのいそさち”に命じて生田の土地に祀らせてほしい)。」との神託があったので、海上五十狭茅という者を神主として祀られたと、日本書紀に記されています。
同じくこの時に、大阪の住吉大神と総称され海の神として信仰される、底筒男命・中筒男命・表筒男命が住吉神社に、天照大神の荒魂が西宮市の広田神社(阪神タイガースフアンはご存知ですよね。)に、事代主神が神戸市長田区の長田神社にお祀りされたと伝えられています。
当初は、現在の新神戸駅の奥にある布引山「砂山(いさごやま)」に祀られていた。799年(延暦18年)4月9日の大洪水により砂山の麓が崩れ、山全体が崩壊するおそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から御神体を持ち帰り、その8日後に現在地にある生田の森に移転したといわれています。
平城天皇の806年(大同元年)には「生田の神封四十四戸」と古書には記され、現在の神戸市中央区の一帯が社領であった所から、神地神戸(かんべ)の神戸(かんべ)がこの地の呼称となり中世には紺戸(こんべ)、近年に神戸(こうべ)と呼ばれるようになりました。
生田神社は珍しいことに、元旦には門松は立てず杉飾りを立てるそうです。
それは、延暦18年の大洪水の際、社の周囲には松の木が植えられていたそうですが、全く洪水を防ぐ役割を果たさなかったので、その故事から、今でも生田の森には1本も松の木は植えられていません。
また過去には能舞台の鏡板にも杉の絵が描かれいたという徹底ぶりです。
さて今回は神社内の歴史遺産をご紹介しましょう。
まずはその生田の森です。「枕の草子」の一一五段に「森は大あらきの森…信田の森生田森…」とあり平安の昔から多くの歌に詠まれています。
神なびの森での月や花の名所です。
弁慶の竹社殿によれば、武蔵坊弁慶が義経の代拝として社参の時、奉納した竹と言われています。
箙の梅 寿永三年源平合戦の時、梶原源太景季が境内に咲いている梅の一枝を箙(矢を入れる筒)にさして奮戦したことでこの名前がついています(戦場でも粋を忘れないなんて「花の慶次」のようです。笑)。
梶原源太景季が水を飲んだといわれる井戸「けふもまた生田の神の恵かやふたたび匂う森の梅が香」の歌が在ります。
生田池(多くの歌の題材に成っています)。
神功皇后釣り竿の竹(確認できず)。
敦盛の萩
八丁の梅(八丁先まで匂うそうですが時期的に確認できませんでした。笑)。
小学校の卒業文集に歴史学者に成りたいと書きました。
今、本当にそう思いますね~笑。
いつも応援、ありがとうございますm(__)m。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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兵庫県神戸市中央区下山手通一丁目にある神社です(勿論ご存知ですよね)。
式内社(名神大)で、旧社格は官幣中社。
同じ兵庫県内の廣田神社・長田神社とともに神功皇后以来の歴史を有します。
かつて、現在の神戸市中央区の一帯が社領であり、これが「神戸」という地名の語源となりました。
地元では「生田さん」として親しまれており、初詣時期(兵庫一番の人出!)にはもちろん、それ以外の時期にも参拝客が絶えません。
祭神は『稚日女尊(わかひるめのみこと』「稚く瑞々しい日の女神」を意味し、我国における最高神太陽神と崇められ伊勢神宮内宮にお祀りされる、天照大神の幼名とも妹とも和魂(荒魂と相対するもので、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れです。 )であるともいわれています。
稚くみずみずしい日の女神様であり、物を生み育て万物の成長を御加護する神様です。
生田神社の御創建は神功皇后(じんぐうこうごう)元年(西暦201年)と日本書紀に記されており、『日本書紀』神功皇后条巻第9(神功皇后摂政元年2月)」に下記のように記されています。
「吾は活田長峡国(いくたながをのくに)に居らむとす」とのたまふ。
因りて海上五十狭茅(うなかみのいさち)を以て祭(いわ)はしむ。
『神功皇后』が海外外征の帰途、今の神戸港にてお船が進まなくなったために神占を行ったところ、稚日女尊が現れられ、 「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ。(=私は“いくた”の“ながさの国”におりたいのです。“うなかみのいそさち”に命じて生田の土地に祀らせてほしい)。」との神託があったので、海上五十狭茅という者を神主として祀られたと、日本書紀に記されています。
同じくこの時に、大阪の住吉大神と総称され海の神として信仰される、底筒男命・中筒男命・表筒男命が住吉神社に、天照大神の荒魂が西宮市の広田神社(阪神タイガースフアンはご存知ですよね。)に、事代主神が神戸市長田区の長田神社にお祀りされたと伝えられています。
当初は、現在の新神戸駅の奥にある布引山「砂山(いさごやま)」に祀られていた。799年(延暦18年)4月9日の大洪水により砂山の麓が崩れ、山全体が崩壊するおそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から御神体を持ち帰り、その8日後に現在地にある生田の森に移転したといわれています。
平城天皇の806年(大同元年)には「生田の神封四十四戸」と古書には記され、現在の神戸市中央区の一帯が社領であった所から、神地神戸(かんべ)の神戸(かんべ)がこの地の呼称となり中世には紺戸(こんべ)、近年に神戸(こうべ)と呼ばれるようになりました。
生田神社は珍しいことに、元旦には門松は立てず杉飾りを立てるそうです。
それは、延暦18年の大洪水の際、社の周囲には松の木が植えられていたそうですが、全く洪水を防ぐ役割を果たさなかったので、その故事から、今でも生田の森には1本も松の木は植えられていません。
また過去には能舞台の鏡板にも杉の絵が描かれいたという徹底ぶりです。
さて今回は神社内の歴史遺産をご紹介しましょう。
まずはその生田の森です。「枕の草子」の一一五段に「森は大あらきの森…信田の森生田森…」とあり平安の昔から多くの歌に詠まれています。
神なびの森での月や花の名所です。
弁慶の竹社殿によれば、武蔵坊弁慶が義経の代拝として社参の時、奉納した竹と言われています。
箙の梅 寿永三年源平合戦の時、梶原源太景季が境内に咲いている梅の一枝を箙(矢を入れる筒)にさして奮戦したことでこの名前がついています(戦場でも粋を忘れないなんて「花の慶次」のようです。笑)。
梶原源太景季が水を飲んだといわれる井戸「けふもまた生田の神の恵かやふたたび匂う森の梅が香」の歌が在ります。
生田池(多くの歌の題材に成っています)。
神功皇后釣り竿の竹(確認できず)。
敦盛の萩
八丁の梅(八丁先まで匂うそうですが時期的に確認できませんでした。笑)。
小学校の卒業文集に歴史学者に成りたいと書きました。
今、本当にそう思いますね~笑。
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