伯耆大山にも木枯らしまじか。 出雲國神仏霊場「第九番」 冷たい風に身も引き締まる『大神山神社奥宮』
前回の写真は米子市内に在る出雲國神仏霊場「第九番」『大神山神社』でした。
今日はお約束の、出雲國神仏霊場「第九番」の『大神山神社奥宮』をご紹介しましょう。
紹介文は写真をご紹介したくて同じ部分も多くなっておりますことご勘弁ください。
「市郎右衛門」の日本歴史ブログをお楽しみください。




大神山神社には“後向き門”と呼ばれる神門があります。これは扉が開かないようにするための閂(かんぬき)が外側についているので「逆門」とも言われ、もともと大山寺本坊西楽院の表門(宮家のお成門)にあったのが1875年寺から神社に引き渡され、この奥宮の門に移転されました。
その時そのまま移転したので後向きなのだそうです。
出雲國神仏霊場[第九番]
大神山神社の奥宮の御祀神は大己貴神(大国主神)様で、大国主神のお若いときのお名前です。
御祭神大己貴神(大国主神)は古事記、日本書紀、出雲風土記等の神話・伝説に多く示すように数々の御神徳をお持ちです。
特に国造りをなされたことから産業発展、五穀豊穣、牛馬畜産、医薬療法、邪気退散の神として有名です 。
伯耆大山は中国地方屈指の霊峰であり、四季を通じて観光の中心地であり、多くの老若男女の集う山です。
出雲と言っても、大山は伯耆富士と呼ばれるように、伯耆の国に有ります。
何故、出雲國神仏霊場?大目に見てください(笑)
出雲風土記でも出雲の国を作る杭は大山ですから。
大神山神社は出雲國神仏霊場では、大山中腹に在る大神山神社奥の宮と同じ「第九番」に成りますので、足腰に自信の無い方は、米子市内の大神山神社にお詣りされて「御朱印」を頂かれたら良いと思います。
「足腰に自信」っと行っても大山に登山する事を考えれば、大したこと無いのですがね(笑)
大山は古代から奈良県の大峰山(おおみねやま)や愛媛県の石槌山(いしづちやま)、岐阜県の白山(はくさん)などに並ぶ原始山岳信仰の中心であったようです。
古くから山岳信仰の聖地とされ女人禁制の山となっていました。
また、大山は江戸時代に大山寺の寺領とされ、一般人の入山も禁止されていました。
そのため、明治の中ごろまでは一般の人々の入山も禁止されていました。
入山規制が解かれたのは明治22年のことで、昭和11年に国立公園に制定されたことにより、ようやく大山は広く知られる山になったようです。
女性登山の流れについては、殆どの神社や仏閣に関しての女人禁制の地が解除された、明治5年3月27日の太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス」により解除が行われた事の関連処置だと思います
現在も大山の登山道には女人禁制の碑が残っています。
大神山神社本社でも奥宮でも同じく出雲神仏霊場第九番の御朱印が頂けるのは先にお話した通りです。
先日の鳥取中部地震の被害について 、10月21日に発生した鳥取中部地震において、奥宮の神門下の参道石垣が一部崩れたようですが、比較的広い場所でしたので参拝には支障は無いようです。
ただ降雨等によりさらに崩れる恐れもありますので、崩れた部分には近づかないよう注意してご通行くださいとのことです。
江戸時代伯耆国は因幡と同じく、鳥取池田家 の領地で池田家は幕府との繋がりが大きく、江戸時代最後の当主池田慶徳は、水戸中納言徳川斉昭の五男五郎麿です。
異腹の弟七郎麿は徳川幕府最後の将軍慶喜に当たります。
奥宮には(奥宮からの大山登山道もありますので。)何度もお詣りさせていただいておりますが、お詣りするたびに新たな自分に生まれ変わるような、清々しさを味わえます。
皆様も是非お出かけください。
いつも応援、ありがとうございますm(__)m。
歴史って本当に面白いですよね~!
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今日はお約束の、出雲國神仏霊場「第九番」の『大神山神社奥宮』をご紹介しましょう。
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『大神山神社奥宮』
奥宮 鳥取県西伯郡大山町大山に在ります。
石畳の参道の果てに立つ全国最大規模の権現造りは僧兵修験の舞台がはじまりといわれます。大山寺から石畳の参道をあがったところに大神山神社奥宮があり、社殿は全国最大級の壮大な権現造り。
もともとは僧が修験のために大山に登り、その道場として簡単な遥拝所を設けるようになったのが始まりとされていますが、創建・開創は出雲風土記、延喜式などに記載あるものの不明とされています。
神仏習合の中で大山寺と大神山神社奥宮は勢力を拡大し、寺院僧坊が多数存在し、寺側の勢いが大きいものの祭事はすべて神職により執り行われてきました。
明治初等の神仏分離令により大智明大権現の社殿を大山寺から分離し現在の大神山神社奥宮に至ります。
これらの歴史を背景として大神山神社奥宮には三つの「日本一」があります。
1番目は、大神山神社に続く道を自然石を敷きつめた参道の長さが約700mで我が国最長らしいです。
2番目は、社殿が国指定の重要文化財かつ国内最大の権現造りです。
3番目は、奥の宮幣殿にある白檀の漆塗りが日本一規模が大きくて美しいこと(本当に美しいです)。更に西日本最大級の神輿もあります。
『大神山神社奥宮』
奥宮 鳥取県西伯郡大山町大山に在ります。
石畳の参道の果てに立つ全国最大規模の権現造りは僧兵修験の舞台がはじまりといわれます。大山寺から石畳の参道をあがったところに大神山神社奥宮があり、社殿は全国最大級の壮大な権現造り。
もともとは僧が修験のために大山に登り、その道場として簡単な遥拝所を設けるようになったのが始まりとされていますが、創建・開創は出雲風土記、延喜式などに記載あるものの不明とされています。
神仏習合の中で大山寺と大神山神社奥宮は勢力を拡大し、寺院僧坊が多数存在し、寺側の勢いが大きいものの祭事はすべて神職により執り行われてきました。
明治初等の神仏分離令により大智明大権現の社殿を大山寺から分離し現在の大神山神社奥宮に至ります。
これらの歴史を背景として大神山神社奥宮には三つの「日本一」があります。
1番目は、大神山神社に続く道を自然石を敷きつめた参道の長さが約700mで我が国最長らしいです。
2番目は、社殿が国指定の重要文化財かつ国内最大の権現造りです。
3番目は、奥の宮幣殿にある白檀の漆塗りが日本一規模が大きくて美しいこと(本当に美しいです)。更に西日本最大級の神輿もあります。
大神山神社には“後向き門”と呼ばれる神門があります。これは扉が開かないようにするための閂(かんぬき)が外側についているので「逆門」とも言われ、もともと大山寺本坊西楽院の表門(宮家のお成門)にあったのが1875年寺から神社に引き渡され、この奥宮の門に移転されました。
その時そのまま移転したので後向きなのだそうです。
出雲國神仏霊場[第九番]
大神山神社の奥宮の御祀神は大己貴神(大国主神)様で、大国主神のお若いときのお名前です。
御祭神大己貴神(大国主神)は古事記、日本書紀、出雲風土記等の神話・伝説に多く示すように数々の御神徳をお持ちです。
特に国造りをなされたことから産業発展、五穀豊穣、牛馬畜産、医薬療法、邪気退散の神として有名です 。
伯耆大山は中国地方屈指の霊峰であり、四季を通じて観光の中心地であり、多くの老若男女の集う山です。
出雲と言っても、大山は伯耆富士と呼ばれるように、伯耆の国に有ります。
何故、出雲國神仏霊場?大目に見てください(笑)
出雲風土記でも出雲の国を作る杭は大山ですから。
大神山神社は出雲國神仏霊場では、大山中腹に在る大神山神社奥の宮と同じ「第九番」に成りますので、足腰に自信の無い方は、米子市内の大神山神社にお詣りされて「御朱印」を頂かれたら良いと思います。
「足腰に自信」っと行っても大山に登山する事を考えれば、大したこと無いのですがね(笑)
大山は古代から奈良県の大峰山(おおみねやま)や愛媛県の石槌山(いしづちやま)、岐阜県の白山(はくさん)などに並ぶ原始山岳信仰の中心であったようです。
古くから山岳信仰の聖地とされ女人禁制の山となっていました。
また、大山は江戸時代に大山寺の寺領とされ、一般人の入山も禁止されていました。
そのため、明治の中ごろまでは一般の人々の入山も禁止されていました。
入山規制が解かれたのは明治22年のことで、昭和11年に国立公園に制定されたことにより、ようやく大山は広く知られる山になったようです。
女性登山の流れについては、殆どの神社や仏閣に関しての女人禁制の地が解除された、明治5年3月27日の太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス」により解除が行われた事の関連処置だと思います
現在も大山の登山道には女人禁制の碑が残っています。
大神山神社本社でも奥宮でも同じく出雲神仏霊場第九番の御朱印が頂けるのは先にお話した通りです。
先日の鳥取中部地震の被害について 、10月21日に発生した鳥取中部地震において、奥宮の神門下の参道石垣が一部崩れたようですが、比較的広い場所でしたので参拝には支障は無いようです。
ただ降雨等によりさらに崩れる恐れもありますので、崩れた部分には近づかないよう注意してご通行くださいとのことです。
江戸時代伯耆国は因幡と同じく、鳥取池田家 の領地で池田家は幕府との繋がりが大きく、江戸時代最後の当主池田慶徳は、水戸中納言徳川斉昭の五男五郎麿です。
異腹の弟七郎麿は徳川幕府最後の将軍慶喜に当たります。
奥宮には(奥宮からの大山登山道もありますので。)何度もお詣りさせていただいておりますが、お詣りするたびに新たな自分に生まれ変わるような、清々しさを味わえます。
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