「第六天魔王」神になる!『建勲神社』を訪ねて… - 「高天原の縁側日記」
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2016/11/27

「第六天魔王」神になる!『建勲神社』を訪ねて…

織田信長は生前「第六天魔王」と呼ばれ、自身でもこの呼び名を気に入っていたようです。

仏教の世界観では 三界といってこの世を大きく三つに分けます。
無色界 (欲も色も離れた精神のみの世界)
色界 (欲にはとらわれないが色「物質 肉体」のある世界)
欲界 (欲望にとらわれた世界)

欲界は地獄界や我々のいる人間界ですが、天界の下層6天(欲天)を含みます。
その欲天の最上天が他化自在天(第六天)で、
その他化自在天、つまり欲界を支配しているのが「第六天魔王」です。

この魔王は、元はヒンズー教のシヴァ派の神ですが、
仏教に取り入れられて第六天魔王になりました。
仏道修行者を色や欲で惑わし、天魔、天魔波旬とも呼ばれます。
つまり仏敵、欲界最強の魔王です

そして今日、ご紹介するのは「第六天魔王」こと織田信長をお祀りする、『建勲神社』です。

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(船岡山の神社全体図、横着して裏道からショートカットいたしました。)
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(ご由緒板)
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信長の異名「第六天魔王」、一向宗との争い、延暦寺焼き討ちの頃から、仏徒らにそう呼称されたようです。
しかし信長自身この呼び名を嫌ってなかったようで、信玄からの書状の天台座主沙門、に対抗して自ら第六天魔王、と自称したといわれています。
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(紅葉が綺麗でよかったです。)
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(たけいさおじんじゃが正式名です。)
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(信長といえば敦盛ですよね~どうにかしてこれ踊れるようにならないものか。)
建勲神社は、明治2年(1869)、明治天皇の御下命により「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」「戦国時代を天下統一、朝儀復興などを進めた織田信長を賛える」ため、健織田社(たけしおりたのやしろ)として創建された織田信長公をお祀りする神社です。

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(狛犬さんも力強そうです)
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(狛犬の最初はエジプトのスフィンクスらしいですよ~ホント?)
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(上に神楽殿があるようですね?)
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(次女と弟がお詣りしています。)
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(何か絵が奉納されているようですね。)
明治3年10月17日(1870年11月10日)、信長の子孫で天童藩知事・織田信敏の邸内(東京)と織田家旧領地の山形県天童市に建勲社が造営されました
。明治8年(1875年)4月24日に別格官幣社に列格しています。

現在地の船岡山は平安京の四神相応の玄武に位置し、豊臣秀吉によって信長の廟所と定められた地でした。
その船岡山に神社を移すことになり、明治13年(1880年)9月、社殿が竣工して東京より遷座しました。
なお、この時は現在表参道を少し登ったところにある「大平和敬神」の石碑が建っている場所に本殿があった様です。
明治14年(1881年)に長男織田信忠が合祀されます。
明治43年(1910年)に社殿が現在の山頂部分に移建され現在に至っています。

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(本能寺の変で同じく亡くなった信忠公も祀られています。)
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(本殿です。)
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(織田家といえば木瓜ですね!)
私が知る限り「建勲神社」は全国に3か所?しか在りません。
まずこの場所ですね。
それから、信長の次男、織田信雄子孫が「天童織田家」によって祀られた、山形県天童市の「建勲神社」
もう一つは兵庫県篠山に織田信雄の五男・織田高長から始まる大和宇陀から織田信休が、2万石で柏原(柏原)に入部したことにより、柏江に一時存在した織田家によって祀られたものです。

明治8年(1875)に別格官幣社に列せられ、京都の船岡山に社地を賜りました。明治13年(1880)、新たに社殿を造営し、御嫡子織田信忠卿を配祀し、明治43年(1910)に山麓から山頂へ社殿を移建し現在に至っています。

船岡山は玄武の小山として平安京造営の際に北の基点になったとされる小高い丘で、緑豊かな建勲神社の境内からは比叡山や大文字山(如意ヶ嶽)など東山三十六峰の眺望も楽しめます。
正式には「たけいさおじんじゃ」といいますが、一般には「けんくんじんじゃ」「けんくんさん」として親しまれています。

戦国フアンなら誰もが憧れ、「もし本能寺の変が起こらなかったら、中国や東南アジアも日本だった?」なんて思うのは私だけではないはずです。
良く「当時の全世界の鉄砲の半分が日本に存在」した?はあながち嘘では無いかも?と思う市郎右衛門です。


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