『天下分け目の天王山』を旅する。大山崎町「おじさんと登山」① - 「高天原の縁側日記」
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2016/11/03

『天下分け目の天王山』を旅する。大山崎町「おじさんと登山」①

気持ちの良い秋の日、京都と大阪のちょうど間あたり、大山崎町を散策してみてはどうでしょう。

京都符乙訓郡大山崎町、JR 山崎駅から天王山の史跡を訪ねる「おじさんと登山」です。

今日は本気で登山「天下分け目の天王山」です。

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古来、大山先は軍事、交通上の要衝として歴史上重要な役割を果たしてきました。
その要の位置をしめている山が標高二七〇・四メートルの「天王山」です。



天王山は摂津国山城国の境をなし、また西国と東国を結ぶ重要なポイントであり、山と川との間は最も狭い部分で200メートルたらずしかなくここを通らずして西へも東へも行けないという位置にあります。

古代、この山には名はなく、中世になって山崎山、そして山頂近くに酒解(さかとけ)神社が建立されて牛頭(ごず)天王を祭ったためそれから天王山の名が生まれました。
しかしこの名が知られるようになるのは室町時代の応仁・文明の乱の時からで、地域的な重要性から天王山に城が築かれ、たびたび合戦が行われました。
「山崎の戦い」は天王山と鴨川水系を挟んだこの狭い地域で行われました(当時は湿地で大きな沼もあり街道以外は取れないほどでした)。
明智光秀はこの狭い地域の出口に鶴翼の陣を張り、狭い西国街道を通過した部隊を各個撃破する戦法を採ったようです。

さてその天王山に登って見ましょう。
JR山崎駅を北へ少し行って線路を渡ると、登山道が見えます。

CIMG3263.jpg
(線路を渡るとすぐに登山道登り口の石碑)
CIMG3262.jpg(古地図山崎宿、街道沿いの狭い地域でしか戦闘が出来ないのがわかりますね。)
CIMG3266.jpg(天王山の名所旧跡ですがすべては回れません、(;´・ω・))
CIMG3268.jpg
(本能寺の変当時の織田家の領地です。)
CIMG6742.jpg
(このように秀吉の道として説明板が作ってあります。)

天王山ハイキングコースの八合目付近、ちょうど酒解神社の鳥居近くに旗立松があります。
山崎でおこった羽柴秀吉と明智光秀による天王山の戦いの際、秀吉軍が自軍の指揮を高めるため、老松の樹上高くに旗印を掲げました.。

CIMG6745.jpg(旗立松の説明板ですが本当に旗立てて見えたかな?)
CIMG6746.jpg
(もう五代目だそうです。400年以上前だからね~。)
CIMG6744.jpg
(だそうです、笑)
CIMG6743.jpg(これは大阪方面だな~???)

すぐ隣には、山頂側に展望台があり風景は、「京都の自然二百選」に選ばれていて、そこから明智軍と秀吉軍が布陣していたとされる山崎の古戦場跡も確認できます。

CIMG6747.jpg(布陣図です。沼も書いてありますね~。)

 
今日は時間が無くてここまでです。
ごめんなさい~。
やぶ蚊が多くて、軽装で登山した子供たちは大変だったみたいですが、良い経験になったはずです。

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