『天下分け目の天王山』京都符乙訓郡大山崎町「おじ散歩」② - 「高天原の縁側日記」
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2016/10/30

『天下分け目の天王山』京都符乙訓郡大山崎町「おじ散歩」②

気持ちの良い秋の日曜日京都と大阪のちょうど間あたり、大山崎町を散策してみましょう。

京都符乙訓郡大山崎町、JR 山崎駅近辺の史跡を訪ねる「おじさんと散歩」です。

今回ご紹介するのは「妙喜庵」です。

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CIMG3253.jpg(天下切れてますね、天下分け目の天王山、山登りも含めて一日楽しめます。)

JR山崎駅のすぐ前(本当に駅前バス停留所の前です)に妙喜庵が在ります。



CIMG3254.jpg
(妙喜庵入り口!駅の前です。)
CIMG3256.jpg(こんなところにね~!)
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(国宝と重要文化財)
CIMG3257.jpg
(やはり名席、座ってみたいですね。)

妙喜庵は臨済宗東福寺派の末寺であり、室町時代の明応年間(1492年~1501年)の創建です。
開山は東福寺開山聖一国師の法嗣、春嶽士芳禅師が寺に改めました。
「妙喜庵」の寺号は、宋の大慧禅師の庵号からつけられたもので、連歌の祖である山崎宗鑑の隠棲地であると伝えられます。 

三世功叔士紡和尚の時、世に名高い「天下分け目の天王山」の合戦が起こりました。
天正10(1582)年6月13日に勃発した山崎合戦で勝利した羽柴秀吉は天王山一帯に城を築き、戦後も羽柴秀吉はしばらくの間山崎を本拠として屋敷を構えて住み、千利休を時として招いていたとのことです。
この功叔和尚は利休の弟子といわれており、秀吉が山崎にて茶会を催した折には利休の手伝いをしていたようです。
山崎の地は古より油の販売でにぎわったところでしたが、江戸時代になる頃には次第にさびれてきて行きましたが、妙喜庵は昔の面影を残しています。

妙喜庵を訪問するためには、写真にもありますように、予約が必要で、しかも電話やメール不可で、往復はがきで1ヶ月前から希望時間を送らないといけません。
午前中限定で、高校生以下の方は入れないという厳しさです。
私はまだ伺ったことはありません、いつか伺いたいと思っています。

CIMG3258.jpg
(厳しすぎる~でも護るということはこういう事ですかね~!)

妙喜庵には国宝の茶室「待庵」があります。
「待庵」は、愛知県犬山市の如庵・京都市大徳寺の密庵とともに国宝三茶室に数えられています。

taiann.jpg
(勿論、撮影などは出来ませんから、写真集から参考資料です)

利休屋敷に設けられた小間の茶室は後、親交のあった妙喜庵功叔士紡に譲られ伝わることになったと思われます。
数寄屋作りの原点と言われ最初ににじり口が設けられた茶室と言われます。
たった二畳しか在りません、究極のおもてなし空間ですね。

千利休が唯一残した茶室であるといわれ、細部に利休の非凡さがうかがえる国宝建造物中極小の建物です。

CIMG3261.jpg(最後に写真でご紹介するのは、線路です。)

このカーブ、鉄道フアンには、すごく有名らしいです。
山崎のサントリーに因んでサントリーカーブと呼ばれる鉄道フアンの聖地らしいです。
電車の写真が綺麗に取れるとか?
「鉄ちゃん」でない私には理解できませんが、この日も数人が高そうなカメラを構えていました。

さて次回は天王山に登ってみますか~?

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