お菓子の神社「中嶋神社」
今回は少し間が空いてしまいましたね~。
実家の地区がお祭りで但馬に帰省したので、但馬の神社をご紹介しましょう。
子供たちが大好きな?お菓子の神社「中島神社」です。
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『中嶋神社(なかしまじんじゃ)』は、兵庫県豊岡市にある神社です。
式内社で、旧社格は県社。
「菓祖・菓子の神」として製菓業者の崇敬を受け、日本各地に分社を持ちます。
祭神田道間守命を主祭神とし、天湯河棚神(あめのゆかわたなのかみ)を配祀しています。
田道間守命は天日槍命(但馬一宮出石神社に祀られています)の5世(一説には孫とも)の子孫で、『日本書紀』に記される垂仁天皇の命により常世の国から「非時香果(ときじくのかぐのみ)」(橘のことといわれています。)を持ち返ったとされる人物です。
橘は菓子の最上級品とされたことから、菓子の神・菓祖として崇敬されています。
また、現鎮座地に居を構えて当地を開墾し、人々に養蚕を奨励したと伝えられることから、養蚕の神ともいわれます。
田道間守は垂仁天皇の命をうけて、 不老不死の木の実「非時香菓(ときじくのかくのみ)」を探しに出掛け、苦労してやっと見つけた果物を天皇に届けるのですが、天皇はすでにお亡くなりになっており、垂仁天皇陵墓の前で泣き叫んで、そのまま亡くなった田道間守を 当時の人々が不憫に思い、天皇のお傍に墓を作って、永遠に仕えていただく事にしたといわれます(私まだ垂仁天皇御陵を訪れていませんので、地図を拡大して御陵の堀内をみてください。)。
涙無くしては語れないお話ですね~!
配祀されている、天湯河棚神は中古に合祀された安美神社の祭神で、鳥取連(ととりのむらじ)の祖神です。
『日本書紀』によれば、垂仁天皇の命により皇子誉津別命(30歳になっても口をきかなかったが,クグイ(白鳥)がとぶのをみてはじめて声を発せられたので、天皇がクグイを捕まえるように命じましたとさ。)の為に鵠(くぐい。白鳥のこと)を捕えた人物で(鳥を捕まえて鳥取って安直じゃないかな?)、一説には、『古事記』に記される鵠を捕らえた地、和那美之水門(わなみのみなと)の近くに祀られたものであるとされます。
和那美之水門(わなみのみなと)ってどこ?まさかの鳥取県じゃないよね!(まさかね~まさかね!)
神社の歴史は、『国司文書』によれば、推古天皇15年(606年)、田道間守命の7世の子孫である三宅吉士が、祖神として田道間守命を祀ったのに創まるといい、「中嶋」という社名は、田道間守命の墓が垂仁天皇陵の池の中に島のように浮かんでいるらだそうです。
古代に、安美郷内の4社(有庫神社・阿牟加神社・安美神社・香住神社)を合祀し「五社大明神」とも称されましたが、後に安美神社(天湯河棚神)以外は分離して各地に分散しています。
祭礼は4月第3日曜日に行われ、菓子祭とも橘花祭(きっかさい)とも呼ばれ、全国の製菓業者が多数参列し、業界の繁栄を祈願します。
以前にもお話しましたが、田道間守が垂仁天皇の命をうけて、 不老不死の木の実「非時香菓(ときじくのかくのみ)」を探しに出掛るお話、秦の始皇帝と徐福伝説に何か似ているような気がするのは私だけでしょうか?
いつも応援、本当にありがとうございますm(__)m。
今後もランキングには拘って良い記事を発信したいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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祭神田道間守命を主祭神とし、天湯河棚神(あめのゆかわたなのかみ)を配祀しています。
田道間守命は天日槍命(但馬一宮出石神社に祀られています)の5世(一説には孫とも)の子孫で、『日本書紀』に記される垂仁天皇の命により常世の国から「非時香果(ときじくのかぐのみ)」(橘のことといわれています。)を持ち返ったとされる人物です。
橘は菓子の最上級品とされたことから、菓子の神・菓祖として崇敬されています。
また、現鎮座地に居を構えて当地を開墾し、人々に養蚕を奨励したと伝えられることから、養蚕の神ともいわれます。
田道間守は垂仁天皇の命をうけて、 不老不死の木の実「非時香菓(ときじくのかくのみ)」を探しに出掛け、苦労してやっと見つけた果物を天皇に届けるのですが、天皇はすでにお亡くなりになっており、垂仁天皇陵墓の前で泣き叫んで、そのまま亡くなった田道間守を 当時の人々が不憫に思い、天皇のお傍に墓を作って、永遠に仕えていただく事にしたといわれます(私まだ垂仁天皇御陵を訪れていませんので、地図を拡大して御陵の堀内をみてください。)。
涙無くしては語れないお話ですね~!
配祀されている、天湯河棚神は中古に合祀された安美神社の祭神で、鳥取連(ととりのむらじ)の祖神です。
『日本書紀』によれば、垂仁天皇の命により皇子誉津別命(30歳になっても口をきかなかったが,クグイ(白鳥)がとぶのをみてはじめて声を発せられたので、天皇がクグイを捕まえるように命じましたとさ。)の為に鵠(くぐい。白鳥のこと)を捕えた人物で(鳥を捕まえて鳥取って安直じゃないかな?)、一説には、『古事記』に記される鵠を捕らえた地、和那美之水門(わなみのみなと)の近くに祀られたものであるとされます。
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神社の歴史は、『国司文書』によれば、推古天皇15年(606年)、田道間守命の7世の子孫である三宅吉士が、祖神として田道間守命を祀ったのに創まるといい、「中嶋」という社名は、田道間守命の墓が垂仁天皇陵の池の中に島のように浮かんでいるらだそうです。
古代に、安美郷内の4社(有庫神社・阿牟加神社・安美神社・香住神社)を合祀し「五社大明神」とも称されましたが、後に安美神社(天湯河棚神)以外は分離して各地に分散しています。
祭礼は4月第3日曜日に行われ、菓子祭とも橘花祭(きっかさい)とも呼ばれ、全国の製菓業者が多数参列し、業界の繁栄を祈願します。
以前にもお話しましたが、田道間守が垂仁天皇の命をうけて、 不老不死の木の実「非時香菓(ときじくのかくのみ)」を探しに出掛るお話、秦の始皇帝と徐福伝説に何か似ているような気がするのは私だけでしょうか?
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