奇岩に祈願する?謎に次ぐ謎!「阿陀萱神社」
出雲から少し離れた、取鳥県米子市の、「阿陀萱神社」に行ってきました。
古事記によりますと、大国主命は因幡の白兎を助けた縁で八上姫と結ばれ、出雲の直江で多岐喜姫が生まれます。
事情により(笑)因幡の国に里帰りする途中、榎原郷橋本邑の榎の俣に指を挟まれ此処にとどまります。
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米子市内から行くと、石井郵便局の信号を左に曲がって、保育園横の畑に沿って、山の方に細い坂道があります。その道を上がっていくと、高い樹木に囲まれた、切通の何かありげな道をさらに歩くと、光のあたる開けた場所に出ます。
そこが、阿陀萱神社へと続く石段のある参道になります。
鳥居の前には大きな石があり、しめ縄が飾り付けられていました。
天から降ってきた石だとか?
言い伝えには「昔、宝石天より降りて一夜に出現す、降りし三宝石(三つも?)は村中に二つ、神社に一つそれ故に宝石山と称す」とあります。
つまり隕石?この大きさなら、キロメートルサイズのクレーターが開くなと思いつつも、お祀りしようと後由緒を読んでおりますと、自転車に乗ったオジサン~(^^;
良くいらっしゃるんですよね、お話がしたくてしょうがない方!(笑)
いえいえけして迷惑ではありませんよ~地元の知らない情報とかも教えていただけますし、楽しみにしています。
一見古事記とは関係ない石のようですが、米子の民話散歩道では以下のように書かれています。
「神代の昔、宝石天降り一夜の中に(石が)出現せしゆえ、この山を宝石山と称す。
この石社伝秘訣あり。
異名石にて側に小社を建て、産石神社と崇敬す。」
この石を産石神と崇めたことからわかるように、安産祈願の石として拝まれてきました。
なぜ産石といわれるようになったのかは、「社伝秘訣」で語られていませんが、ある人は大国主命伝説にあると説かれます。
大国主命は、兄神たちに妨害されながらも美女八上姫を得ましたが、八上姫は大国主の正妻スセリ姫のしっとにいたたまれず、娘阿陀萱奴志喜岐姫を連れて、因幡に帰ることになりました。
帰路、橋本を通られた時、娘の姫が榎の枝に手の指を挟まれて抜けなくなりました。
そこで娘の姫は「私はこの地で住むから、お母さんは因幡に帰って」といわれました。
その娘姫の住居が阿陀萱神社で、この阿陀萱姫はまことに安産で生まれられたので、それでこの石を産石というのだそうです。
(米子の民話散歩道から引用させていただきました。)

(左手残り桜です。いい日よりでした。)

(時代を感じる拝殿です。)
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そこが、阿陀萱神社へと続く石段のある参道になります。
鳥居の前には大きな石があり、しめ縄が飾り付けられていました。
天から降ってきた石だとか?
言い伝えには「昔、宝石天より降りて一夜に出現す、降りし三宝石(三つも?)は村中に二つ、神社に一つそれ故に宝石山と称す」とあります。
つまり隕石?この大きさなら、キロメートルサイズのクレーターが開くなと思いつつも、お祀りしようと後由緒を読んでおりますと、自転車に乗ったオジサン~(^^;
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一見古事記とは関係ない石のようですが、米子の民話散歩道では以下のように書かれています。
「神代の昔、宝石天降り一夜の中に(石が)出現せしゆえ、この山を宝石山と称す。
この石社伝秘訣あり。
異名石にて側に小社を建て、産石神社と崇敬す。」
この石を産石神と崇めたことからわかるように、安産祈願の石として拝まれてきました。
なぜ産石といわれるようになったのかは、「社伝秘訣」で語られていませんが、ある人は大国主命伝説にあると説かれます。
大国主命は、兄神たちに妨害されながらも美女八上姫を得ましたが、八上姫は大国主の正妻スセリ姫のしっとにいたたまれず、娘阿陀萱奴志喜岐姫を連れて、因幡に帰ることになりました。
帰路、橋本を通られた時、娘の姫が榎の枝に手の指を挟まれて抜けなくなりました。
そこで娘の姫は「私はこの地で住むから、お母さんは因幡に帰って」といわれました。
その娘姫の住居が阿陀萱神社で、この阿陀萱姫はまことに安産で生まれられたので、それでこの石を産石というのだそうです。
(米子の民話散歩道から引用させていただきました。)

(左手残り桜です。いい日よりでした。)

(時代を感じる拝殿です。)
阿陀萱神社は、大国主命と結ばれた八上姫との間に生まれた多岐喜姫が、因幡の国への里帰りの途中に指を挟まれここにとどまり、鎮守神になったとされる神社といわれています。
多岐喜姫はやはり木俣神ということに成るようです!
皆さんもよろしければ、ぜひ行ってみてはいかがですか?
多岐喜姫はやはり木俣神ということに成るようです!
皆さんもよろしければ、ぜひ行ってみてはいかがですか?
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