「古事記」「日本書紀」には記載されない、出雲「国引き神話」の主人公を祀る『長浜神社』 - 「高天原の縁側日記」
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2016/08/11

「古事記」「日本書紀」には記載されない、出雲「国引き神話」の主人公を祀る『長浜神社』

「長浜神社」を紹介する前に、日本の歴史を皆さんにご紹介するブログを書いているものとして、少しだけお話させて頂きます。

私は、今上天皇陛下の生前御退位での『お言葉』に思わず落涙してしまいました!

私は常日頃から、人それぞれに、色々な考え方が有り、その方々のお考えも無視してはいけないと考えておりますのでブログでもFacebookでも、余り政治的に偏ったUPはしないように心がけております。
また、公平に判断して?偏った発言や私と同じ考え方でも言葉使いが汚かったり、あまりに一方的なコメントには、「いいね」することも、控えております。

しかしながらこの度の「国民の安寧と平穏を願う」今上天皇陛下のお言葉には深く感銘を受けました。

私心を全く持たれない、陛下のお気持ちに触れ、改めて尊敬と敬愛の念を抱くと共に、日本という国に生まれた幸せを感じて、涙が止まりませんでした。
もし、御退位されましたら、是非京都の「大宮御所(現在は仙洞御所と大宮御所を合わせた邸宅の意味)」で、ゆっくりとお暮し頂きたいとおもいます。お住まいとしては何ら問題は無いそうです。

現在の御所は、江戸城跡ということで、日本国民の平和と安寧をお祈りされる、天皇陛下の住まいとしては、どうかと思っていました。
他所の国の王位に有る方々と違い「守り不要」のお住まいが、本来の「国民とともにある天皇」のあり方を良く表していると思うのです。

私ごときが勝手な考えを書いてしまいました。申し訳ありません。


さて、今回ご紹介するのは、今上天皇陛下から125第前の神武天皇以前の出雲の神話のお話の続きですね。

『長浜神社』「出雲国風土記」の冒頭を飾る「国引き神話」主人公「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」を主祭神として御祀りする神社です。



「長浜神社」は、杵築の岬(出雲市小津町から日御碕まで)を引っ張った綱、薗の長浜に在ります。

さてその神話部分ですが簡単に読み返してみましょう。

昔々、出雲の創造神、八束水臣津野命は出雲の国を見渡して「この国は、細長い布のように小さい国だ、どこかの国を縫いつけて大きくしよう」とお思いになりました。
そこで、どこかに余分な土地はないかと海の向こうを眺めると、朝鮮半島の新羅という国に余った土地がありました。
命は、幅の広い大きな鋤を使い、大きな魚を突き刺すように、ぐさりと土地に打ち込み、その魚の身を裂いて切り分けるように土地を掘り起こし、切り離しました。

そして三つ編みにした丈夫な綱をかけて、「国来、国来(くにこ、くにこ)」と言いながら力一杯引っ張ると、その土地は川船がそろりそろりと動くようにゆっくりと動いてきて出雲の国にくっつきました。
こうして合わさった国は、杵築のみさき(出雲市小津町から日御碕まで)になりました。
その時、引っ張った綱をかけた杭が佐比売山(現在の三瓶山)で、その綱は薗の長浜になりました。

その後も、ミコトは北の方の国から同じように狭田の国(小津から東の鹿島町佐陀まで)と、闇見の国(松江市島根町のあたり)を引っ張ってきてつなぎ、最後に北陸地方の高志の国から引っ張ってきた国が三穂の埼(松江市美保関町のあたり)になりました。
この時、ミコトが引っ張った綱をかけた杭は伯耆の国の火の神岳(現在の大山)で、持って引っ張った綱は夜見の島(弓ヶ浜)になりました。

そして命は「国を引くのが終わった」とおっしゃって、杖をおつきになって「おえ。」と言われたので、その地を意宇というようになりました。

というのが「出雲風土記」の国引き神話です。

三瓶山からの眺望(稲佐の浜を望む)
(佐比売山、現三瓶山山頂から薗の長浜を望む!地図と見比べてもらうと場所がわかると思います。引き綱に見えますか?)
CIMG2323.jpg(また階段~汗!今回は本殿横まで車で行かせていただきました~!)
CIMG2333.jpg
(横着したので鳥居は無し、社門からです。)
CIMG2329.jpg
(ご由緒)
CIMG2330.jpg
(金持神社行かなきゃですね。)

【御祭神】 八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)
       布帝耳命(ふてみみのみこと)
       淤美豆奴命(おみずぬのみこと)

出雲神仏霊場19番札所

【妙見信仰】
北極星や北斗七星に祈る信仰で国家鎮護や武運長久などの御加護で知られます。
戦国時代の大内、尼子、毛利の各武将や豊臣秀吉から、当社は社領寄進や安堵を受け、江戸時代の延宝三年(一六七五年)の火災の復興は松江松平家、松平綱近が藩費を以て造営に当り、武家の崇敬を集めました。

【百日祈願と弓掛けの松】
豊臣秀吉の唐入り(朝鮮出兵)の際に百日祈願がありました。加藤清正や片桐且元、福島正則といった名だたる武将の参拝があり、その折の「弓掛(ゆみかけ)の松」が境内にあります。
緒戦の連勝連勝に太閤いたく喜び、桐の神紋をはじめ恩賞を授かっています。
使いの片桐且元が弓矢をかけた弓掛けの松は、昭和四十八年枯れ死するも根本が残存しています(写真写してたつもりだったんですが?)。

【神庭桃(かみわもも)】
当社境内の一本の桃の木より当地での桃の栽培が広まり、江戸時代には妙見桃の石州行きとまで称された特産品と成りました。

CIMG2325.jpg(真ん中が要石、右はサイノカミですか?)

【要石・夫婦石】
八束水臣津野命は、国引き終了の時に杖をたてられ、その後も杖を打って歩かれました。これが島根半島に点在する要石(かなめいし)です。要石は土地鎮めの石で、土地占有の標でした。
夫婦石(めおといし)は、子授け、安産の石として知られています。過去数多の夫婦が子を授かったと聞き及びます。写真の左が男石、右が女石です。
境内の一番奥まった場所に祀られています。

CIMG2335.jpg
(拝殿です。出雲はどこもしめ縄が大きいですね。)
CIMG2340.jpg(綺麗に整備されていました。)
CIMG2341.jpg (神殿!千木は外削り、鰹木三本、男神様間違いがありません。)
CIMG2338.jpg
(私的にはこれが一番面白かったです。なんだこの変なものは?失礼ですね~笑。)CIMG2337.jpg(出雲が厳藻かけから来ているとは思いもしませんでした。)

出雲は厳藻だったとはね~!ビックリでした。


面白いのは要石のほかに出雲には帆莚石岩船石も在ります。
八束水臣津野命が韓国へ航海した時の帆や船が石になったものだそうです。
以前同じようなお話ししましたよね~?
そう須佐之男命です。

歴史って本当に面白いと思われませんか?


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