「夜の敵から日本をを守る」天照大御神の神託の神社『日御碕神社』 - 「高天原の縁側日記」
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2016/08/06

「夜の敵から日本をを守る」天照大御神の神託の神社『日御碕神社』

一部不適切な事象が在りました事をお詫びいたします~(笑)。
皆さんあんまりご覧にならなかったと思いますが、下書きを間違えてUPしてしまいました。

ご紹介するのは、島根半島の西端に位置する。『日御碕神社』です。



下の本社(日沈の宮・日沉の宮、ひしずみのみや)は天暦2年(948年)、村上天皇勅命により祀り、上の本社(神の宮)は安寧天皇13年(紀元前536年、2500年前)、勅命により祀られ、総称して日御碕大神宮とされています。

出雲國神仏霊場20番。

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(綺麗ですね~竜宮城のようです。)

神の宮に素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日沈宮に天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りしています。 
素盞鳴尊の奇魂と、日の神・天照大御神の和魂の御霊威をいただいた御神徳は「邪心を払い給う神」「厄除けの神」「産びの神」「縁結び、夫婦円満、家運繁栄の神」「交通安全の神」「殖産興業、安産の神」です。

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(ご由緒、徳川家光が作っていますね~東照宮の参考かな?権現造り!)
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(入り口からしてこれですから、修理中なのが残念!)
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(松の緑と朱が生えますね。)
CIMG2300.jpg(狛犬さん木造です、どこかで見たような?)
CIMG2299.jpg(奈良の東大寺の狛犬もこんなだったような気がしますが?)

さて、神話の物語はこうです。
出雲の国造りを終えた須佐之男は、根の国の熊成峰(出雲熊野大社の南東3キロにある天狗山)から柏の葉を投げて自らの魂を鎮める場所を占いました。
その葉の落ちた場所が日御碕の「隠ヶ丘」でその前に須佐之男を祀る神の宮を建てたのだそうです。

日沈宮と呼ばれる日御碕神社は天照大御神の「伊勢大神宮は昼の守り」「出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建てて、夜を守る」との神託を受けて建られたそうです。
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(千木と鰹木が男神なんですよね?)
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(日沈宮は天照大御神なのにな~?)
CIMG2304.jpg(神の宮に祀られいるのは須佐之男です。)
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(千木が女神~?)
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(神官の方に聞いたところ、通説ですべてに当てはまるわけでは無いとの事でした。(;´・ω・))

伊勢神宮を建てたのは、持統天皇で699年に正式改装され、成立が記録されていますし。
日本書紀では垂仁天皇(紀元前69年-70年)の皇女倭姫命が天照大御神を鎮座する地を求め旅をしたとされています。
つまり天照大御神の神託を後に受け取った人物の発案で造られたという事ですね~。

さてその人物は誰だったのか(安寧天皇、紀元前536年は苦しいかな)?また天照大御神と須佐之男の神力を使っても撃退しなければならない宵闇に紛れて来る海からの敵とは何者だったのでしょう?

現在の建物は、桃山時代(家光でしょ?、自分で書いていて資料が不思議、笑)の豪壮華麗な雰囲気を漂わせています。

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