さあ、出かけよう。 出雲國神仏霊場「第九番」 お山に心洗われる!『大神山神社』
いや~!久々に帰って来ました出雲國神仏霊場(出雲と言っても大山は伯耆なんですけどね。)。
今日は、出雲國神仏霊場「第九番」の『大神山神社』をご紹介します。
「市郎右衛門」の日本歴史ブログをお楽しみください。




大山は古代から奈良県の大峰山(おおみねやま)や愛媛県の石槌山(いしづちやま)、岐阜県の白山(はくさん)などに並ぶ原始山岳信仰の中心であったようです。
古くから山岳信仰の聖地とされ女人禁制の山となっていました。
また、大山は江戸時代に大山寺の寺領とされ、一般人の入山も禁止されていました。
そのため、明治の中ごろまでは一般の人々の入山も禁止されていました。
入山規制が解かれたのは明治22年のことで、昭和11年に国立公園に制定されたことにより、ようやく大山は広く知られる山になったようです。
女性登山の流れについては、殆どの神社や仏閣に関しての女人禁制の地が解除された、明治5年3月27日の太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス」により解除が行われた事の関連処置だと思います
現在も大山の登山道には女人禁制の碑が残っています。
さて大山神社ですが、伯耆大山の中腹に鎮座する大神山神社奥宮は、全国最大級の壮大な権現造りです。
麓に鎮座する大神山神社本社は、平野の中に六千坪の境内と湧水、神苑を持ち、いずれもその神徳により多くの方々に崇敬されてきました。
なお、自動車の安全祈願を希望される方は奥宮には自動車は入れませんので、 本社へ詣る事に成りますね。
また奥宮へは約700mの自然石で出来た参道が続きます。
足や体のお悪い方も本社へのお詣りが良いと思います。
大神山神社本社でも奥宮でも同じく出雲神仏霊場第九番の御朱印が頂けるのは先にお話した通りです。
先日の鳥取中部地震の被害について 、10月21日に発生した鳥取中部地震において、奥宮の神門下の参道石垣が一部崩れたようですが、比較的広い場所でしたので参拝には支障は無いようです。
ただ降雨等によりさらに崩れる恐れもありますので、崩れた部分には近づかないよう注意してご通行くださいとのことです。
江戸時代伯耆国は因幡と同じく、鳥取池田家 の領地で池田家は幕府との繋がりが大きく、江戸時代最後の当主池田慶徳は、水戸中納言徳川斉昭の五男五郎麿です。
異腹の弟七郎麿は徳川幕府最後の将軍慶喜に当たります。
大神山神社は奥の宮も含めて何度もお詣りさせていただいておりますが、お詣りするたびに新しい発見と心が洗われるような気持にさせられます。
皆様も是非お出かけください。
次回は奥の宮の写真をお店できればと思っております。
いつも応援、ありがとうございますm(__)m。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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『大神山神社』
本社 〒689-3514 鳥取県米子市尾高1025
出雲國神仏霊場[第九番]
大神山神社の御祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)、奥宮あるいは大穴牟遅神(おおなむぢのかみ・本社)様で、大国主神のお若いときのお名前です。
御祭神大己貴神(大国主神)は古事記、日本書紀、出雲風土記等の神話・伝説に多く示すように数々の御神徳をお持ちです。
特に国造りをなされたことから産業発展、五穀豊穣、牛馬畜産、医薬療法、邪気退散の神として有名です 。
伯耆大山は中国地方屈指の霊峰であり、四季を通じて観光の中心地であり、多くの老若男女の集う山です。
出雲と言っても、大山は伯耆富士と呼ばれるように、伯耆の国に有ります。
何故、出雲國神仏霊場?大目に見てください(笑)
出雲風土記でも出雲の国を作る杭は大山ですから。
大神山神社は出雲國神仏霊場では、大山中腹に在る大神山神社奥の宮と同じ「第九番」に成りますので、足腰に自信の無い方は、米子市内の大神山神社にお詣りされて「御朱印」を頂かれたら良いと思います。
「足腰に自信」っと行っても大山に登山する事を考えれば、大したこと無いのですがね(笑)
『大神山神社』
本社 〒689-3514 鳥取県米子市尾高1025
出雲國神仏霊場[第九番]
大神山神社の御祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)、奥宮あるいは大穴牟遅神(おおなむぢのかみ・本社)様で、大国主神のお若いときのお名前です。
御祭神大己貴神(大国主神)は古事記、日本書紀、出雲風土記等の神話・伝説に多く示すように数々の御神徳をお持ちです。
特に国造りをなされたことから産業発展、五穀豊穣、牛馬畜産、医薬療法、邪気退散の神として有名です 。
伯耆大山は中国地方屈指の霊峰であり、四季を通じて観光の中心地であり、多くの老若男女の集う山です。
出雲と言っても、大山は伯耆富士と呼ばれるように、伯耆の国に有ります。
何故、出雲國神仏霊場?大目に見てください(笑)
出雲風土記でも出雲の国を作る杭は大山ですから。
大神山神社は出雲國神仏霊場では、大山中腹に在る大神山神社奥の宮と同じ「第九番」に成りますので、足腰に自信の無い方は、米子市内の大神山神社にお詣りされて「御朱印」を頂かれたら良いと思います。
「足腰に自信」っと行っても大山に登山する事を考えれば、大したこと無いのですがね(笑)
大山は古代から奈良県の大峰山(おおみねやま)や愛媛県の石槌山(いしづちやま)、岐阜県の白山(はくさん)などに並ぶ原始山岳信仰の中心であったようです。
古くから山岳信仰の聖地とされ女人禁制の山となっていました。
また、大山は江戸時代に大山寺の寺領とされ、一般人の入山も禁止されていました。
そのため、明治の中ごろまでは一般の人々の入山も禁止されていました。
入山規制が解かれたのは明治22年のことで、昭和11年に国立公園に制定されたことにより、ようやく大山は広く知られる山になったようです。
女性登山の流れについては、殆どの神社や仏閣に関しての女人禁制の地が解除された、明治5年3月27日の太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス」により解除が行われた事の関連処置だと思います
現在も大山の登山道には女人禁制の碑が残っています。
さて大山神社ですが、伯耆大山の中腹に鎮座する大神山神社奥宮は、全国最大級の壮大な権現造りです。
麓に鎮座する大神山神社本社は、平野の中に六千坪の境内と湧水、神苑を持ち、いずれもその神徳により多くの方々に崇敬されてきました。
なお、自動車の安全祈願を希望される方は奥宮には自動車は入れませんので、 本社へ詣る事に成りますね。
また奥宮へは約700mの自然石で出来た参道が続きます。
足や体のお悪い方も本社へのお詣りが良いと思います。
大神山神社本社でも奥宮でも同じく出雲神仏霊場第九番の御朱印が頂けるのは先にお話した通りです。
先日の鳥取中部地震の被害について 、10月21日に発生した鳥取中部地震において、奥宮の神門下の参道石垣が一部崩れたようですが、比較的広い場所でしたので参拝には支障は無いようです。
ただ降雨等によりさらに崩れる恐れもありますので、崩れた部分には近づかないよう注意してご通行くださいとのことです。
江戸時代伯耆国は因幡と同じく、鳥取池田家 の領地で池田家は幕府との繋がりが大きく、江戸時代最後の当主池田慶徳は、水戸中納言徳川斉昭の五男五郎麿です。
異腹の弟七郎麿は徳川幕府最後の将軍慶喜に当たります。
大神山神社は奥の宮も含めて何度もお詣りさせていただいておりますが、お詣りするたびに新しい発見と心が洗われるような気持にさせられます。
皆様も是非お出かけください。
次回は奥の宮の写真をお店できればと思っております。
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