松江城の鬼門を守る!龍翔山『華蔵寺』
出雲ですが、神話の旅ではありません。
出雲神仏霊場の旅!と行きましょう。
龍翔山『華蔵寺』
出雲神仏霊場第七番
臨済宗南禅寺派の末寺で、標高456mの枕木山の頂上に位置する禅宗の古刹です。
(地図を見ると景色が綺麗なのもわかると思います!)
魅力はお寺には申し訳無いのですが?素晴らしい景色です。
参道を登るとまず仁王門に行きつきます。ここの金剛力士像は運慶の作といわれ、祭礼の時には二歳児の無事成長を祈る「またくぐり」の習わしがあるそうです。
さらに進むと石造りでは大きさ日本一(確かに大きいですが、厚みに欠けるのが残念!)といわれる不動明王像が聳え、その先には亀山法皇のご病気を癒したという杉井の霊水が岩間から湧き出しています。
薬師堂前の第一展望台から、眼下に大根島を浮かべた中海、弓ヶ浜、遠くに大山を望む景観は雄大で、山陰一の絶景で間違いないかも知れません。
(中央の山が大山、煙が見えるのが弓ヶ浜・境港、中海には大根島が見えます~。クリックして大きな画面で全体をどうぞ~!)
そして樹齢数百年の大杉並木や多くの老樹の中に、山門、開山堂、本堂などが建立されています。
今から約千二百年前、桓武天皇の延暦年間に天台宗の僧、智元上人が開基。その後、南禅寺派の御開基の亀山法皇の時代に禅宗に改め、南禅寺の末寺となります。
以来、皇室の尊信、国主の帰依、庇護を受け、枕木十二坊と称し隆盛を極めましたが、戦国時代には、毛利VS尼子の兵火に遭ってことごとく焼失し、寺も衰退してしまいます。
堀尾吉晴の松江築城にあたり、城の鬼門として当寺は祈願所となり復興します。
明暦三年(1657)に松平直政の時代に至り再興なり、歴代松平家当主の帰依も篤く庇護を受けて伽藍も再興されました(と言っても場所柄もあり栄えているとはいいがたいです。素晴らしい景色もありますのに残念ですね~)。
本尊は釈迦牟尼佛で、薬師堂には重要文化財の薬師如来像を奉安し、両脇侍には、開基智元上人が岩窟にてはじめて礼拝されたと伝わる霊像・日光菩薩、月光菩薩が安置されています。
本堂西の第二展望台からは、はるか隠岐の島が望まれます(この日は霞みがかかっていて残念でした。)。
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魅力はお寺には申し訳無いのですが?素晴らしい景色です。
参道を登るとまず仁王門に行きつきます。ここの金剛力士像は運慶の作といわれ、祭礼の時には二歳児の無事成長を祈る「またくぐり」の習わしがあるそうです。
さらに進むと石造りでは大きさ日本一(確かに大きいですが、厚みに欠けるのが残念!)といわれる不動明王像が聳え、その先には亀山法皇のご病気を癒したという杉井の霊水が岩間から湧き出しています。
薬師堂前の第一展望台から、眼下に大根島を浮かべた中海、弓ヶ浜、遠くに大山を望む景観は雄大で、山陰一の絶景で間違いないかも知れません。

(中央の山が大山、煙が見えるのが弓ヶ浜・境港、中海には大根島が見えます~。クリックして大きな画面で全体をどうぞ~!)
そして樹齢数百年の大杉並木や多くの老樹の中に、山門、開山堂、本堂などが建立されています。
今から約千二百年前、桓武天皇の延暦年間に天台宗の僧、智元上人が開基。その後、南禅寺派の御開基の亀山法皇の時代に禅宗に改め、南禅寺の末寺となります。
以来、皇室の尊信、国主の帰依、庇護を受け、枕木十二坊と称し隆盛を極めましたが、戦国時代には、毛利VS尼子の兵火に遭ってことごとく焼失し、寺も衰退してしまいます。
堀尾吉晴の松江築城にあたり、城の鬼門として当寺は祈願所となり復興します。
明暦三年(1657)に松平直政の時代に至り再興なり、歴代松平家当主の帰依も篤く庇護を受けて伽藍も再興されました(と言っても場所柄もあり栄えているとはいいがたいです。素晴らしい景色もありますのに残念ですね~)。
本尊は釈迦牟尼佛で、薬師堂には重要文化財の薬師如来像を奉安し、両脇侍には、開基智元上人が岩窟にてはじめて礼拝されたと伝わる霊像・日光菩薩、月光菩薩が安置されています。
本堂西の第二展望台からは、はるか隠岐の島が望まれます(この日は霞みがかかっていて残念でした。)。
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