九州交流路を証明か?出雲国の力を鼓舞する「石馬」『天神垣神社』
先日ブログ仲間で食事する機会があり、ものグラムさんのブログ「続、ものグラムな生活。(ラーメン編)」と、リンク共有していただけることになりました。
私が書く歴史とはジャンルが違うのですが、ブログは素晴らしいですし、若い皆さんの熱気にタジタジになりながらも、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。
さて本題、先日最古級の硯片が「伊都国」王都糸島市の「三雲・井原遺跡」から出土しました。この硯と同様な破片が島根県松江市の「田和山遺跡」からも見つかっているのです(全国で二例目です)。
これからご紹介する「天神垣神社」よりも200年ほど古いのですが、大陸・北九州・出雲(山陰)のつながりは興味が尽きませんね!
米子市淀江町福岡の上淀地区、上淀白鳳の丘展示館から「上淀廃寺跡」に向かって行く道の途中、右手の斜面に「天神垣神社」はあります。
『てんじんがきじんじゃ』と読んでしまいそうですが、正しくは『あめのかみがきじんじゃ』と読みます。
天神垣神社社殿は、千百年以上の歴史をもつと伝えられており、元天神、または天満宮と言われていましたが、明治元年に今の神社名に改まりました。
祭神は「少彦名命」ほか四神が祀られています。
この神社の主神である「少彦名命」は手間天神(てまてんじん)と通称されていたので、社も天神の名がついたということです。
境内には、国の重要文化財で、本州では唯一の馬の形をした石「石馬(いしうま)」があり、昔から「石馬大明神」として地元の方に大切に保存されています。
この石馬が実は山陰~九州間の地域間交流がうかがえる全国でも数例という貴重な文化財であることがわかり、現在は神社宝物殿に収蔵されています。
大山から産出される角閃石安山岩の一石から馬全体をけずりだして作られた石製の馬です。体長は約150センチメートル、高さは約90センチメートルだそうです。
前脚は失われ、胴体と後脚は補修接合されていますが、たてがみや面長な顔などの馬の特徴や、鞍(くら)や手綱(たづな)、鐙(あぶみ)などの馬具が装着されている様子が、彫刻によって細かく表現されています。また、体の一部には赤い顔料の痕跡がみられ、過去には馬全体が赤色に塗られていた可能性も指摘されています。
石馬は、以前は上淀集落の山裾にある石馬谷古墳のそばに立てられ、江戸時代には「石馬大明神」として崇拝されていたといわれています。
向山古墳群として国史跡に指定されている石馬谷古墳は、全長約61メートルの前方後円墳で、向山古墳群を造営した歴代豪族リーダーの墓の一つと考えられています。石馬は、もとはこの古墳の上に立てられていたと推定されていて、製作年代は石馬谷古墳が造られた6世紀後半、古墳時代後期と考えられています。
大山の石で造られた石馬!時代は九州の八女地方で起こった磐井の乱と同じ古墳後期(石馬は九州でも八女地方だけです)!の関係が在るのでしょうか?大和軍の一部として出兵したのかもしれません。
古事記神話的には、国譲りが終わり、倭国に吸収合併されたか?同盟国と成ったが故の前方後円墳ですね。出雲は四角の隅が飛び出る、四隅突出墓が多いですから!
石馬が保管されている蔵の近くには石馬の記念碑が置かれています。
また、石段を上がっていくと鳥居の近くには「サイノカミ」もあります。
サイノカミは古事記にも記載があり、旅や足、縁結びの神として各地で信仰されてきました(全国的には正月終?に行うどんど焼き・とんど等の神様と成っているようです。)。
淀江町は約80体の男女対の石像が点在する西日本有数の「サイノカミスポット」。
その大半が縁結びの神としてさんづけで親しまれていることから、淀江の新しい魅力に「縁結び」を加えようと取り組みを進めているようです(出雲だけでは無く伯耆の国でも縁結びですか~)。
そして、この神社と関係の深い行事として、無形民俗文化財である『上淀の八朔(はっさく)』があります(私も実家地区では八朔にお寺で子供相撲や餅撒きがあったので、仏教の式典だと思ってました?)。
神社の境内に祀られている荒神さんの祭りで、稲わらを綯ってクチナワサンと呼ばれる大蛇を作り、綱引きをするのが大きな特色です。その『上淀の八朔』は、毎年9月の第1日曜日に行なわれるもので、綱引きをするところは全国的に例がない貴重なものとなっています。
一番大事な事をわすれていました。「スクナヒコナ」の帰郷?跳んでいなくなるのですが、によって大国主は国の運営を一人で行う事に成ります。独り立ち~!
いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
ランキングを競わせていただいています。お立ちより記念に「ぽちっと」バナークリックをお願いいたします。
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私が書く歴史とはジャンルが違うのですが、ブログは素晴らしいですし、若い皆さんの熱気にタジタジになりながらも、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。
さて本題、先日最古級の硯片が「伊都国」王都糸島市の「三雲・井原遺跡」から出土しました。この硯と同様な破片が島根県松江市の「田和山遺跡」からも見つかっているのです(全国で二例目です)。
これからご紹介する「天神垣神社」よりも200年ほど古いのですが、大陸・北九州・出雲(山陰)のつながりは興味が尽きませんね!
米子市淀江町福岡の上淀地区、上淀白鳳の丘展示館から「上淀廃寺跡」に向かって行く道の途中、右手の斜面に「天神垣神社」はあります。
『てんじんがきじんじゃ』と読んでしまいそうですが、正しくは『あめのかみがきじんじゃ』と読みます。
天神垣神社社殿は、千百年以上の歴史をもつと伝えられており、元天神、または天満宮と言われていましたが、明治元年に今の神社名に改まりました。
祭神は「少彦名命」ほか四神が祀られています。
この神社の主神である「少彦名命」は手間天神(てまてんじん)と通称されていたので、社も天神の名がついたということです。
境内には、国の重要文化財で、本州では唯一の馬の形をした石「石馬(いしうま)」があり、昔から「石馬大明神」として地元の方に大切に保存されています。
この石馬が実は山陰~九州間の地域間交流がうかがえる全国でも数例という貴重な文化財であることがわかり、現在は神社宝物殿に収蔵されています。
大山から産出される角閃石安山岩の一石から馬全体をけずりだして作られた石製の馬です。体長は約150センチメートル、高さは約90センチメートルだそうです。
前脚は失われ、胴体と後脚は補修接合されていますが、たてがみや面長な顔などの馬の特徴や、鞍(くら)や手綱(たづな)、鐙(あぶみ)などの馬具が装着されている様子が、彫刻によって細かく表現されています。また、体の一部には赤い顔料の痕跡がみられ、過去には馬全体が赤色に塗られていた可能性も指摘されています。
石馬は、以前は上淀集落の山裾にある石馬谷古墳のそばに立てられ、江戸時代には「石馬大明神」として崇拝されていたといわれています。
向山古墳群として国史跡に指定されている石馬谷古墳は、全長約61メートルの前方後円墳で、向山古墳群を造営した歴代豪族リーダーの墓の一つと考えられています。石馬は、もとはこの古墳の上に立てられていたと推定されていて、製作年代は石馬谷古墳が造られた6世紀後半、古墳時代後期と考えられています。
大山の石で造られた石馬!時代は九州の八女地方で起こった磐井の乱と同じ古墳後期(石馬は九州でも八女地方だけです)!の関係が在るのでしょうか?大和軍の一部として出兵したのかもしれません。
古事記神話的には、国譲りが終わり、倭国に吸収合併されたか?同盟国と成ったが故の前方後円墳ですね。出雲は四角の隅が飛び出る、四隅突出墓が多いですから!
石馬が保管されている蔵の近くには石馬の記念碑が置かれています。
また、石段を上がっていくと鳥居の近くには「サイノカミ」もあります。
サイノカミは古事記にも記載があり、旅や足、縁結びの神として各地で信仰されてきました(全国的には正月終?に行うどんど焼き・とんど等の神様と成っているようです。)。
淀江町は約80体の男女対の石像が点在する西日本有数の「サイノカミスポット」。
その大半が縁結びの神としてさんづけで親しまれていることから、淀江の新しい魅力に「縁結び」を加えようと取り組みを進めているようです(出雲だけでは無く伯耆の国でも縁結びですか~)。
そして、この神社と関係の深い行事として、無形民俗文化財である『上淀の八朔(はっさく)』があります(私も実家地区では八朔にお寺で子供相撲や餅撒きがあったので、仏教の式典だと思ってました?)。
神社の境内に祀られている荒神さんの祭りで、稲わらを綯ってクチナワサンと呼ばれる大蛇を作り、綱引きをするのが大きな特色です。その『上淀の八朔』は、毎年9月の第1日曜日に行なわれるもので、綱引きをするところは全国的に例がない貴重なものとなっています。
一番大事な事をわすれていました。「スクナヒコナ」の帰郷?跳んでいなくなるのですが、によって大国主は国の運営を一人で行う事に成ります。独り立ち~!
いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
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コメント
No title
ご縁とはいつどういう時に来るか、本当にわからないものですね。
先日は本当に楽しくも、色々考えさせられる、刺激的な時間を過ごさせていただきました。本当にありがとうございました。
ワタシの方もリンク完了致しました。今後とも何卒宜しくお願い致します☆
2016-07-21 13:37 ものグラム URL 編集
No title
わざわざ御足労いただきまして感謝です♪
自分にとっても良い刺激をいただいて、
ブログに対するモチベーションに繋がりました。
是非また御一緒してくださいね!
で、次こそレバ刺しを(笑)
2016-07-21 15:13 taka :a URL 編集
ものグラムさんコメントありがとうございます。
> ご縁とはいつどういう時に来るか、本当にわからないものですね。
> 先日は本当に楽しくも、色々考えさせられる、刺激的な時間を過ごさせていただきました。本当にありがとうございました。
とんでも御座いません!
PC操作もままならないおじさんに付きあっていただきまして本当にありがとうございます。
また是非ご一緒に美味しい料理を食べに行きましょう。
これからもよろしくお願いいたします。
2016-07-23 00:06 市良右衛門 URL 編集
コメントありがとうございます。
> ブログに対するモチベーションに繋がりました。
> 是非また御一緒してくださいね!
> で、次こそレバ刺しを(笑)
是非!近々に行きましょう。
私もレバ刺しには目が無くて(笑)
2016-07-23 00:09 市良右衛門 URL 編集