日本三奇 石乃寶殿 !「オーパーツ?」『生石神社(おおしこじんじゃ)』の凄さ! - 「高天原の縁側日記」
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2016/04/13

日本三奇 石乃寶殿 !「オーパーツ?」『生石神社(おおしこじんじゃ)』の凄さ!

生石神社(おうしこじんじゃ)は、兵庫県高砂市・宝殿山山腹にある神社です。
石の宝殿と呼ばれる巨大な石造物を神体としており、宮城県鹽竈神社の塩竈、鹿児島県霧島神宮の天逆鉾とともに「日本三奇」の一つとされています。

生石神社1
(桜がきれいでした。でも花散らしの雨の翌日!)


生石神社2
(国の史跡に指定されてます)


生石神社3
(岩の前面に神社が作られています)


石の宝殿(鎮の石室)は三方岩壁に囲まれた巨岩の殿営で、国の史跡に指定され横6.4m、高さ5.7m、奥行7.2mの巨大な石造物です。

水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」とも呼ばれます。

池中の水は霊水で有り、いかなる干ばつに於いても枯渇することなく、海水の満干を表わしていて、万病に効果が有るといわれています。

生石神社4
(浮いてますね~)


生石神社5
(綺麗に160センチの溝があります)


誰が何の目的でどのようにして作ったかは全くの謎です(正にオーパーツといえるかも知れません)。

この工事によって生じた屑石の量もまた莫大な筈ですが、この屑石を人や動物に踏ませてはいけないと、4キロ程北にある霊峰高御位山の山頂に整然と置かれています。

私自身もお詣りするまで、自然に風雨によって出来たものが、あまりに人工的に見えているのだと誤解していました(私の考えは間違いでした)。

生石神社6
(後ろ側の先端部確かに屋根のように飛び出しています)


生石神社7
(上から見ると自然物ではないですね)


生石神社8
(どうやって削り出したんだ~?)


【御祭神】

大穴牟遅命・少毘古那命を主祭神とし、大国主大神、生石子大神と粟嶋大神、高御位大神を其々配祀します。

社伝では、崇神天皇の時代、国内に疫病が流行していたとき、石の宝殿に鎮まる二神が崇神天皇の夢に表れ、「吾らを祀れば天下は泰平になる」と告げたことから、現在地に生石神社が創建されたと伝えられます。

石の宝殿について『播磨国風土記』の大国里の条には「原の南に作り石がある。家のような形をし、長さ二丈、広さ一丈五尺、高さも同様で、名前を大石と言う。伝承では、聖徳太子の時代に物部守屋が作った石とされている。」という意味の記述があります。

聖徳太子が摂政であった時代には物部守屋はすでに死亡しており、矛盾をはらむ記述になりますが、8世紀初期には6~7世紀頃に人の手で造られたと考えられていたことになります。

風土記が一般に流布されたのは江戸時代後期からであり、それまでの石の宝殿に関する文献で風土記の内容を継承したものは見られません。

石の宝殿は8世紀以前からあったことになりますが、生石神社は『延喜式神名帳』や国史に掲載されておらず、 『播磨国内神名帳』の「生石大神」が文献上の初見であるとされます。

『峯相記』では生石神社・高御位神社の解説で「天人が石で社を作ろうとしたが、夜明けまでに押し起こすことができずに帰っていった」という内容が記されており、この時期には石の宝殿は人の手によるものではないとする伝承が生まれていたと思われます。

『播州石宝殿略縁起』では「神代の昔、大穴牟遅と少毘古那が国土経営のため出雲からこの地に至り、石の宮殿を造営しようとして一夜のうちに二丈六尺の石の宝殿を作ったが、当地の阿賀の神の反乱を受け、それを鎮圧する間に夜が明けてしまい、宮殿は横倒し(あの岩を立てようとしたことが凄いですが)のまま起こすことができなかった。二神は、宮殿が未完成でもここに鎮まり国土を守ることを誓った。」と記載され、『峯相記』より具体的な神格が与えられています。

【戦国時代のへ~なお話】

1579年(天正7年)、羽柴秀吉が三木合戦の折、神吉城攻略のために当神社を陣所として貸与するよう申し出たが、拒否されたために焼きはらいました(当時の宮司は神吉城主の弟でした)。

焼け残った梵鐘は持ち去られ、関ヶ原の戦いの時に西軍石田三成方の勇将大谷吉継が陣鐘として使用しました。

敗戦の結果、徳川家康が戦利品として美濃国赤坂の安楽寺(大垣市)に寄進しています。

鐘の表面には、応永26年乙亥(1419年) 「播州印南郡平津庄生石権現撞鐘」と刻まれています。

【誰が、何時、何のために?】

さて、 大穴牟遅命、少毘古那命の二人の神様がお作りに成ったのか?物部守屋が作らせたのか?

また、何故?何を作ろうとしたのか?

500トンもある運べそうにないこの石の宝殿(鎮の石室)の謎?何故?何故?

生石神社9
(すごいとしか言いようがない神秘性です)


現地の岩盤に囲まれた狭い空間のなかで、この巨石と対面すると古代の圧倒的なパワーを感じさせられます。

神代(もしくは8世紀)からひっそりとこの場に存在する石の宝殿。

私たちに何かを語りかけているようにも感じました。

皆さん、是非この地を訪れてそのパワーを感じ、古代のロマンに浸ってみてはいかがでしょう。

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コメント

非公開コメント

No title

本当に浮いているように見えますね…!

イースター島のモアイ像じゃないですけど、
一体どうやって…という謎にロマンを感じます。

高砂には親戚が住んでいるのですが
距離的に遠くないですし(田舎感覚w)
ここは実際に行ってみたくなりました!

Re: No title

taka:aさんいつもありがとうございます。

> 本当に浮いているように見えますね…!

本当にすごいの一言です!

> イースター島のモアイ像じゃないですけど、
> 一体どうやって…という謎にロマンを感じます。

浪漫感じますよね~(笑)

> 高砂には親戚が住んでいるのですが
> 距離的に遠くないですし(田舎感覚w)
> ここは実際に行ってみたくなりました!

私も子供の頃は、よく姫路に連れて行ってもらいました。
姫路城の周りの動物園や遊園地!
神戸は遠いイメージでした、高砂は隣ですから近い感覚です。

是非一度いらしてくださいね。