「大国主神」こと「大穴牟遅神(おおなむぢ)」に、ご挨拶『出雲大社』にお詣りするvol①
さぁ!拝殿です。出雲大社も、まとめに入らせて頂きます。月曜日は一月ぶりの馬肉会!素敵な出会いが有りましたので、プロローグでご紹介します。
目次
【プロローグ】素敵な出会いに乾杯
・出雲大社の神紋「花剣菱」
・「拝殿」が重要文化財じゃないってホント?
・二礼四拍一礼は珍しい?
・旧拝殿の寄進者「尼子経久」って知ってた?
【最後に一言】日本代表の『君が代』姿勢にもの申す。
【プロローグ】素敵な出会いに乾杯
・出雲大社の神紋「花剣菱」
・「拝殿」が重要文化財じゃないってホント?
・二礼四拍一礼は珍しい?
・旧拝殿の寄進者「尼子経久」って知ってた?
【最後に一言】日本代表の『君が代』姿勢にもの申す。
【プロローグ】素敵な出会いに乾杯
月曜日は1月に一度の恒例の馬肉会でしたが先月と今月は、ブログ仲間の参加もゲストもおらず、「こんなまったりもいいね」とtaka:aさんとさしつさされつな感じで、美味しい料理に舌鼓を打っていました。
前日ワールドカップの日本vsセネガル戦があったせいかも分かりませんが、自宅で鑑賞をされた方々の鬱憤が溜まっていたのか?月曜日にも関わらず、あれよあれよという間に満席になってしまいました。
私たちも、副店長や店員のお姉さんをからかいながら、ちびりちびりと飲んでいたのですが、カウンターの隣に座られた、素敵なミドルの木村暢義・るい子夫妻と意気投合し、楽しくお話をさせていただきました。
木村さんは九州長崎は諫早(海水の塞き止めの件で有名ですよね)で四社を切り盛りする社長さんで、奥様は副社長として支えておられます。
今回の神戸は、暢義さんの肝臓癌の治療のため2週間にわたって入院治療されるとのこと、暢義さんには若い頃の武勇伝や苦労話・長崎話などをして頂き、大盛り上がりで楽しいひと時を過ごすことができました。
「長崎に遊びに来ないかね?」とお誘いを受け、taka:aさんと二人で「ほんまに行くで」ええよ「うまいもん食わしたるわ」と長年の友人のようにお話させて頂きました。
お二方が先に店を出られる時には、馬肉会恒例となったハグ大会で別れを惜しみました。元気になってくださいね~。長崎、本場九州に馬肉会開催しに行くかい?長崎で開催するぞ~~!
何時もと又違った、楽しい一日を過ごした後ですが、素敵な出会いのお話の後は、ジョギングな写真と共に、出雲大社拝殿をご紹介します(ご夫妻の笑顔は下でご覧下さい。)。
それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。




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出雲大社の神紋「花剣菱」と出雲発祥の地、意宇六社の神紋について少しお話させて頂きます。
「出雲大社」の神紋は、現在『二重亀甲に剣花菱』で「揖夜神社」「八重樫神社」がそうです。
一方出雲大社の以前の神紋は二重亀甲に「有」の文字でした。有をばらすと、十と月ですよね!つまり十月、出雲で旧暦十月といえば、神在月、正に神々が居られる場所と言うわけです。
この社紋を使っているのは、意宇六社では「神魂神社」「真名井神社」「六所神社」です。
出雲大社と並ぶ出雲一宮、熊野大社は別格?「一重亀甲に「大」の文字」です。
拝殿は、室町時代の1519年に尼子経久が造営しました。名工の坪井大隅守が華・青龍・松竹梅など豪華絢爛で高く評価されていましたが、1953年5月27日午前1時ごろ本殿が72年ぶりの正遷宮奉祝期間中に鑽火殿(さんかでん)から出火、拝殿まで及び灰塵に帰しました。原因は鑽火殿で餅をつき終わって酒を飲んでいたことから残り火の不始末だそうです(コラ!せめて三島由紀夫さんに書いてもらえるくらいのインパクト残せ…)。
日本全国の崇敬者から寄付金1億円を集め、復興事業として、高松宮宣仁親王を総裁として、1959年に再建されました。
出雲大社の二礼四拍一礼は有名ですが他にも拍手が多い神社が在りますのでご紹介します。一般参拝者が行う作法として、宇佐神宮(大分県宇佐市)、弥彦神社(新潟県西蒲原郡弥彦村)などは二礼四拍手一礼です。
ちなみに、伊勢神宮での八拍手(八開手)は神宮神官が祭祀の時にのみ行う儀礼で、一般参拝者は行いません。 一般参拝者は二礼二拍手一礼をお願いいたします。
尼子経久(あまご つねひさ)は、戦国時代の武将・大名で出雲守護代です。北条早雲と並ぶ下剋上の典型であり、毛利元就や宇喜多直家と並ぶ謀略の天才とも云われ、大内義興と戦い、尼子氏の領地をひろげ、全盛時代(実際の全盛期は彼の嫡孫にあたる、尼子晴久の代です。)を作ったことから、「謀聖(ぼうせい)」「謀将(ぼうしょう)」と称されました。経久、元就、直家はよく中国の三大謀将と呼ばれています。
経久の人物像については、家臣に対しては非常に気を使う優しい人物だったようです。『塵塚物語』によれば、経久は家臣が経久の持ち物を褒めると、たいそう喜んでどんな高価なものでも、すぐにその者に与えてしまうため、家臣たちは気を使って、経久の持ち物を褒めず眺めているだけにしたと伝えています。
ある時、家臣が庭の松の木なら大丈夫だろう思い、松の枝ぶりをほめたところ、経久はその松を掘り起こして渡そうとしたため、周囲の者が慌てて止めました。それでも経久は諦めず、とうとう切って薪にして渡したと言われています。世人はもったいないことだ、と話したが、経久は全く気にもしませんでした。また、冬には着ている着物を脱いでは家臣に与えていたため、薄綿の小袖一枚で過ごしていたとの逸話もあります。『塵塚物語』では経久のことを「天性無欲正直の人」と評しています。
今日、これから戦うワールド日本代表の「君が代」を聞く姿勢に対して思うところがあります。初戦では強豪コロンビアを破り、第2戦のセネガルでは、相手には先制されながら二度も追いついた姿は、当然賞賛に値します。しかしながら「君が代」を聞く姿勢に一言苦言を呈したいと思います。
国家斉唱の最中、肩を組んでいる姿はいかがなものか?胸の国旗日の丸と八咫烏に手を当てて「君が代」を聞く姿勢が、国の代表としての取るべき態度ではないかと思っています(バッシングされそうで怖いですが(;^_^A)。
私の記憶が正しければ、肩を組むようになったのは前々回のワールドカップからだと記憶しています。チームの団結(一体感)を出すため、スタメンばかりではなく控え選手や監督コーチも同様に肩を組んでおられたと記憶しています。今回見ていると背中で手を交差させていますね、肩を組むよりは少しマシなような気もします。
先日、神戸新聞のコラムに、ある有名 DJ のコメントとして日本国歌「君が代」に二番を作ってほしいという話が載っていました。スポーツシーンで「日本の君が代はおとなしすぎる」という意見です。「もっと明るく軽快なテンポでさあ行くぞ」という風に変えて、厳粛な式典では一番を、スポーツなどでは二番をという、私からすればとんでもない意見が載っていました「神戸新聞さん精査しなさいよ!」と思わず思ってしまいました。
その DJ さんは申し訳ないですが、君が代の本質を全く分かっておられないと思います。「君が代」ほど荘厳で美しい国歌は世界中どこを探しても見当たりません。世界の他の国歌は大抵マーチですよね、つまり行進曲です。日本で言えば軍歌に成りますでしょうか?まずそれこそ全く日本的ではありません。おいおいDJ君!深く考えたことがあるのですか?と思わず聞きたくなりました。
世界一長い歴史を持った天皇陛下を君主に据える日本の国家に二番などもってのほかだと思います。この DJさん は国歌として軍歌を歌いたいのでしょうか?「君が代」をよく知らないのだと思って我慢することとします。
さて、今日の「君が代」効果はいかに?今夜キックオフ見えた決勝トーナメント行けるぞ日本!『頑張れ日本~~~!』
いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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出雲大社の神紋「花剣菱」
出雲大社の神紋「花剣菱」と出雲発祥の地、意宇六社の神紋について少しお話させて頂きます。
「出雲大社」の神紋は、現在『二重亀甲に剣花菱』で「揖夜神社」「八重樫神社」がそうです。
一方出雲大社の以前の神紋は二重亀甲に「有」の文字でした。有をばらすと、十と月ですよね!つまり十月、出雲で旧暦十月といえば、神在月、正に神々が居られる場所と言うわけです。
この社紋を使っているのは、意宇六社では「神魂神社」「真名井神社」「六所神社」です。
出雲大社と並ぶ出雲一宮、熊野大社は別格?「一重亀甲に「大」の文字」です。
「拝殿」が重要文化財じゃないってホント?
拝殿は、室町時代の1519年に尼子経久が造営しました。名工の坪井大隅守が華・青龍・松竹梅など豪華絢爛で高く評価されていましたが、1953年5月27日午前1時ごろ本殿が72年ぶりの正遷宮奉祝期間中に鑽火殿(さんかでん)から出火、拝殿まで及び灰塵に帰しました。原因は鑽火殿で餅をつき終わって酒を飲んでいたことから残り火の不始末だそうです(コラ!せめて三島由紀夫さんに書いてもらえるくらいのインパクト残せ…)。
日本全国の崇敬者から寄付金1億円を集め、復興事業として、高松宮宣仁親王を総裁として、1959年に再建されました。
二礼四拍一礼は珍しい?
出雲大社の二礼四拍一礼は有名ですが他にも拍手が多い神社が在りますのでご紹介します。一般参拝者が行う作法として、宇佐神宮(大分県宇佐市)、弥彦神社(新潟県西蒲原郡弥彦村)などは二礼四拍手一礼です。
ちなみに、伊勢神宮での八拍手(八開手)は神宮神官が祭祀の時にのみ行う儀礼で、一般参拝者は行いません。 一般参拝者は二礼二拍手一礼をお願いいたします。
旧拝殿の寄進者は「尼子経久」って知ってた?
尼子経久(あまご つねひさ)は、戦国時代の武将・大名で出雲守護代です。北条早雲と並ぶ下剋上の典型であり、毛利元就や宇喜多直家と並ぶ謀略の天才とも云われ、大内義興と戦い、尼子氏の領地をひろげ、全盛時代(実際の全盛期は彼の嫡孫にあたる、尼子晴久の代です。)を作ったことから、「謀聖(ぼうせい)」「謀将(ぼうしょう)」と称されました。経久、元就、直家はよく中国の三大謀将と呼ばれています。
経久の人物像については、家臣に対しては非常に気を使う優しい人物だったようです。『塵塚物語』によれば、経久は家臣が経久の持ち物を褒めると、たいそう喜んでどんな高価なものでも、すぐにその者に与えてしまうため、家臣たちは気を使って、経久の持ち物を褒めず眺めているだけにしたと伝えています。
ある時、家臣が庭の松の木なら大丈夫だろう思い、松の枝ぶりをほめたところ、経久はその松を掘り起こして渡そうとしたため、周囲の者が慌てて止めました。それでも経久は諦めず、とうとう切って薪にして渡したと言われています。世人はもったいないことだ、と話したが、経久は全く気にもしませんでした。また、冬には着ている着物を脱いでは家臣に与えていたため、薄綿の小袖一枚で過ごしていたとの逸話もあります。『塵塚物語』では経久のことを「天性無欲正直の人」と評しています。
【最後に一言】日本代表の『君が代』姿勢にもの申す
今日、これから戦うワールド日本代表の「君が代」を聞く姿勢に対して思うところがあります。初戦では強豪コロンビアを破り、第2戦のセネガルでは、相手には先制されながら二度も追いついた姿は、当然賞賛に値します。しかしながら「君が代」を聞く姿勢に一言苦言を呈したいと思います。
国家斉唱の最中、肩を組んでいる姿はいかがなものか?胸の国旗日の丸と八咫烏に手を当てて「君が代」を聞く姿勢が、国の代表としての取るべき態度ではないかと思っています(バッシングされそうで怖いですが(;^_^A)。
私の記憶が正しければ、肩を組むようになったのは前々回のワールドカップからだと記憶しています。チームの団結(一体感)を出すため、スタメンばかりではなく控え選手や監督コーチも同様に肩を組んでおられたと記憶しています。今回見ていると背中で手を交差させていますね、肩を組むよりは少しマシなような気もします。
先日、神戸新聞のコラムに、ある有名 DJ のコメントとして日本国歌「君が代」に二番を作ってほしいという話が載っていました。スポーツシーンで「日本の君が代はおとなしすぎる」という意見です。「もっと明るく軽快なテンポでさあ行くぞ」という風に変えて、厳粛な式典では一番を、スポーツなどでは二番をという、私からすればとんでもない意見が載っていました「神戸新聞さん精査しなさいよ!」と思わず思ってしまいました。
その DJ さんは申し訳ないですが、君が代の本質を全く分かっておられないと思います。「君が代」ほど荘厳で美しい国歌は世界中どこを探しても見当たりません。世界の他の国歌は大抵マーチですよね、つまり行進曲です。日本で言えば軍歌に成りますでしょうか?まずそれこそ全く日本的ではありません。おいおいDJ君!深く考えたことがあるのですか?と思わず聞きたくなりました。
世界一長い歴史を持った天皇陛下を君主に据える日本の国家に二番などもってのほかだと思います。この DJさん は国歌として軍歌を歌いたいのでしょうか?「君が代」をよく知らないのだと思って我慢することとします。
さて、今日の「君が代」効果はいかに?今夜キックオフ見えた決勝トーナメント行けるぞ日本!『頑張れ日本~~~!』
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