『出雲大社』を本当に紹介してしまってよいですか?
30000アクセス突破記念・出雲神仏霊場満願記念(といってもかなり前に満願していたのですが)!体の事も有りまして、これまでの取材では不足な部分も有ると思いますが、取材を埋もられさせない為にもこの辺で冒険してみようと考え、今回出雲神仏霊場第一番『出雲大社』をご紹介することにしました。もちろん、一回で終わるはずもありませんし、摂社等も含めるとかなりの連作に成るかも知れません。
出雲の国は「神々の国・神話の国」として良く知られています。その中心に有りますのが出雲国風土記に「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)」と記載され、縁結びの大神、笑顔の大国様と慕われる「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」をお祭りする『出雲大社』です。
まずは、その概要から説明して行きますが最初に驚くのは、創建が神代(じんだい・かみよ)とされる事ですか?ダーウィンの進化論を全く無視したこの神社は、日本一古い神社の一つといえます。因みに、伊弉諾が座した場所といわれる兵庫県淡路島の「伊弉諾神宮」や国譲り前後という物語の考え方からすると「諏訪神社」の方が古い事に成りますが、何分神代の事ですからね(笑)。
それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。



【説明が本当に要りますか?『出雲大社』ってどんな神社】
出雲大社(いずもおおやしろ、正仮名遣いでは「いづもおほやしろ」・いずもたいしゃ)は、島根県出雲市にある神社です。式内社(名神大)出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠です。
所在地:島根県出雲市大社町杵築東195
主祭神:大国主大神
社格等:式内社(名神大)出雲国一宮(出雲国にはもうひとつの一宮「熊野大社」が松江市に有ります)・旧官幣大社・勅祭社・別表神社
創建は神代とされる本殿の様式は大社造で、別名「杵築大社」と呼ばれています。出雲国神仏霊場一番札所!御本殿は「天下無双の大廈(たいか・りっぱな構えの建物)」と称えられています。平成12年に境内から巨木3本の束ね柱が出土し、古代伝承の地上48mといわれる壮大な空中神殿の様子が明らかに成っています。
古来、一般には「神宮」と言えば伊勢神宮、「大社」と言えば「出雲大社」の意味で、現存最古の全国神社帳所載の「延喜式(えんぎしき)」には唯一「大社」と称号されています。御祭神大国主大神は「国中第一の霊神」と称えられ、素戔烏尊(すさのおのみこと)の神裔(しんえい)として大己貴神(おおなむちのかみ)をはじめ多くの御神名で敬仰されています。
【出雲大社の名称】
古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていましたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称しています。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とあるようです(前者は新旧仮名遣いが混在、後者は新仮名遣い)。一般的には「いづもたいしゃ」と読まれ、複数の辞書・事典でも読みがなは「いずもたいしゃ」となっています(島根県民は「づ」を当たり前に使われているようです)。
『色々な社名でのご紹介』
出雲石(石同)之曽宮(古事記)
天日隅宮・厳神之宮・出雲大神宮(日本書紀)
杵築宮(釈日本記)
出雲宮(八雲御抄)
杵築大神宮(和漢三才図会)
所造天下大神宮・天日栖宮(出雲国風土記)
大社杵築大神宮(国花万葉記)
杵築大社(延喜式)
出雲国大社(享保集成総論録)
日本大社(真言宗正林寺蔵版木)
【こんなこともあんなことも】
二拝四拍手一拝の作法で拝礼することは良く知られています。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社でした。創建以来、天照大神の子の天穂日命(誓約で産まれた五兄弟の次男に成ります。神様に次男とか有るのか?)を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきました。現在の宮司は84代国造千家尊祐で、國學院大學を卒業後太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜→権宮司と昇格すると、2002年(平成14年)宮司に就任し翌年神社本庁より神職身分特級を拝受されています。
また、出雲大社宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他には類を見ない物のようです。特級は黒袍(輪無唐草紋)、白奴袴(白八藤紋)、冠(繁紋)と決められているようですが、出雲国造は黒袍(亀甲剱花菱)、小豆色奴袴(剱花菱紋)、冠(繁紋)懸緒、紫打紐と特別扱いに成っています。
現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けています。約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開され一般人も本殿内を見ることが出来ます。前回の一般公開時に本殿の中をご覧になった知人のお話では、「中に入ると空気が変わる」そうです。
【祭神大国主神】
祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)です。1142年(康治元年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記されています。神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われます(神在祭 旧暦10月11日~17日までです)。出雲へ行かず村や家に留まる田の神・家の神的な性格を持つ留守神(荒神等)も存在しているので、すべての神が出雲に出向くわけではないようですね(神様が全部いなくなるのかと思っていました。)。そのような神集への信仰から、江戸時代以降は文学にも出雲の縁結びの神様としてあらわれるほどに、全国的な信仰をあつめるようになりました。
『祭神大国主神の別称』
大穴道神(「おおなむちのかみ)・三諸神(みもろのかみ)古事記での表記
大国玉神(おおくにたまのかみ)日本書紀での表記
杵築神(きずきのかみ)文徳実録での表記
国造神(くにつくらししかみ)大隅国風土記での表記
大穴六道尊(おおなむちのみこと)土佐国風土記での表記
大国魂命(おおくにたまのかみ)日本国風土記での表記
所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)
大地主神(おおとこぬしのかみ)
大国魂神 古語拾遺での表記
大穴持命(おおなもちのみこと)出雲国造神賀詞と出雲国風土記と伊予国風土記での表記
宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)
廣矛魂神(ひろほこみたまのかみ)
倭大物主櫛甕玉神(やまとおおものぬしくしかみたまのかみ)
国作之大神(くにつくらしのおおかみ)
国作坐志大穴持命(くにつくりまししおおむなちのみこと)出雲国造神賀詞での名。
出雲御蔭大神(いずもみかげのおおかみ)
国堅大神(くにかためまししおおかみ)
国占神(くにしめたまいしかみ)
出雲大神(いずものおおかみ)
芦原志拳呼命 播磨国風土記での表記
兵主神(ひょうずのかみ)
農耕祖神(たづくりのおやのかみ)
幽冥事知食大神(かくりごとしろしめすおおかみ)
縁結神(えんむすびのかみ) ・福神(ふくのかみ)・天下地主神(あめのしたとこぬしのかみ)・大国作神(おおくにつくらししかみ) 出雲や出雲大社での神名。
【祭神が大国主命じゃなかった?】
出雲国造新任時に朝廷で奏上する出雲国造神賀詞では「大穴持命(大国主大神)」「杵築宮(出雲大社)に静まり坐しき」と記載があるので、この儀式を行っていた平安時代前期までの祭神は大国主神だったのですがやがて、神仏習合の影響下で鎌倉時代から天台宗の鰐淵寺と関係が深まりました。
鰐淵寺は杵築大社(出雲大社)の神宮寺も兼ねています。鰐淵寺を中心とした縁起(中世出雲神話)では、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていた(出雲風土記の国引き神は八束水臣津野命)ことから、中世のある時期から17世紀まで祭神は素戔嗚尊だったようです。14世紀「当社大明神は天照大御神之弟、素戔嗚尊也。八又の大蛇を割き、凶徒を射ち国域の太平を築く。」と杵築大社(出雲大社)の由来が記され、1666年(寛文6年)毛利綱広(元就の嫡孫・毛利輝元の嫡孫・長州藩の第2代藩主)が寄進した銅鳥居に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記されていました。
さらには、鰐淵寺の僧侶が経所で大般若経転読を行い、社殿では読経もしています。また、江戸時代初期には社僧が寺社奉行と杵築大社(出雲大社)の運営管理に関する交渉を実施していたようです。
杵築大社(出雲大社)内は仏堂や仏塔が立ち並んで神事が衰微したため、寛文7年(1667年)の遷宮に伴う大造営の時、出雲国造家が神仏分離・廃仏毀釈を主張して寺社奉行に認められ、仏堂や仏塔は移築・撤去され、経蔵は破却されました。これに併せて祭神は須佐之男命から、古事記や日本書紀などの記述に沿って大国主大神が復活しています。
【神仏分離・廃仏毀釈の証人】
「住みたい田舎ランキング2018」の近畿部門でお隣の朝来市と毎年トップを分け合う養父市(実家、但馬は豊岡市の隣ですが)には出雲大社の神仏分離・廃仏毀釈の対象と成り、出雲大社の建て直しの為の木材を得るために、但馬に移築された名草神社三重塔(国の重要文化財)が有ります。
この三重塔は島根県出雲大社の境内に、出雲の戦国大名として有名な尼子経久が願主となって大永5年(1525)に起工し、同7年6月15日に竣工したものです(資料によって異説があります)。今回はあえて本物の写真は控えさせて頂きまして、国道9号線から豊岡市の城崎温泉や神鍋高原、出石等へ向かう国道312号線沿いの、八鹿町上小田の右岸道路との合流地点に、作られたレプリカで我慢して頂きます。本物は名草神社を取り上げる時にお見せしまします。
【最後に一言】
今回出雲大社を取り上げた事で、改めて日本歴史の重みや深さを感じさせられました。皆さんの身近にも多くの歴史が埋もれて居ます。稚拙な文章ですが、私のブログでその楽しさに気づいて頂けたら嬉しいのですが。
歴史って本当に素敵ですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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出雲の国は「神々の国・神話の国」として良く知られています。その中心に有りますのが出雲国風土記に「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)」と記載され、縁結びの大神、笑顔の大国様と慕われる「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」をお祭りする『出雲大社』です。
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出雲大社(いずもおおやしろ、正仮名遣いでは「いづもおほやしろ」・いずもたいしゃ)は、島根県出雲市にある神社です。式内社(名神大)出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠です。
所在地:島根県出雲市大社町杵築東195
主祭神:大国主大神
社格等:式内社(名神大)出雲国一宮(出雲国にはもうひとつの一宮「熊野大社」が松江市に有ります)・旧官幣大社・勅祭社・別表神社
創建は神代とされる本殿の様式は大社造で、別名「杵築大社」と呼ばれています。出雲国神仏霊場一番札所!御本殿は「天下無双の大廈(たいか・りっぱな構えの建物)」と称えられています。平成12年に境内から巨木3本の束ね柱が出土し、古代伝承の地上48mといわれる壮大な空中神殿の様子が明らかに成っています。
古来、一般には「神宮」と言えば伊勢神宮、「大社」と言えば「出雲大社」の意味で、現存最古の全国神社帳所載の「延喜式(えんぎしき)」には唯一「大社」と称号されています。御祭神大国主大神は「国中第一の霊神」と称えられ、素戔烏尊(すさのおのみこと)の神裔(しんえい)として大己貴神(おおなむちのかみ)をはじめ多くの御神名で敬仰されています。
【出雲大社の名称】
古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていましたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称しています。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とあるようです(前者は新旧仮名遣いが混在、後者は新仮名遣い)。一般的には「いづもたいしゃ」と読まれ、複数の辞書・事典でも読みがなは「いずもたいしゃ」となっています(島根県民は「づ」を当たり前に使われているようです)。
『色々な社名でのご紹介』
出雲石(石同)之曽宮(古事記)
天日隅宮・厳神之宮・出雲大神宮(日本書紀)
杵築宮(釈日本記)
出雲宮(八雲御抄)
杵築大神宮(和漢三才図会)
所造天下大神宮・天日栖宮(出雲国風土記)
大社杵築大神宮(国花万葉記)
杵築大社(延喜式)
出雲国大社(享保集成総論録)
日本大社(真言宗正林寺蔵版木)
【こんなこともあんなことも】
二拝四拍手一拝の作法で拝礼することは良く知られています。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社でした。創建以来、天照大神の子の天穂日命(誓約で産まれた五兄弟の次男に成ります。神様に次男とか有るのか?)を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきました。現在の宮司は84代国造千家尊祐で、國學院大學を卒業後太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜→権宮司と昇格すると、2002年(平成14年)宮司に就任し翌年神社本庁より神職身分特級を拝受されています。
また、出雲大社宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他には類を見ない物のようです。特級は黒袍(輪無唐草紋)、白奴袴(白八藤紋)、冠(繁紋)と決められているようですが、出雲国造は黒袍(亀甲剱花菱)、小豆色奴袴(剱花菱紋)、冠(繁紋)懸緒、紫打紐と特別扱いに成っています。
現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けています。約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開され一般人も本殿内を見ることが出来ます。前回の一般公開時に本殿の中をご覧になった知人のお話では、「中に入ると空気が変わる」そうです。
【祭神大国主神】
祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)です。1142年(康治元年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記されています。神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われます(神在祭 旧暦10月11日~17日までです)。出雲へ行かず村や家に留まる田の神・家の神的な性格を持つ留守神(荒神等)も存在しているので、すべての神が出雲に出向くわけではないようですね(神様が全部いなくなるのかと思っていました。)。そのような神集への信仰から、江戸時代以降は文学にも出雲の縁結びの神様としてあらわれるほどに、全国的な信仰をあつめるようになりました。
『祭神大国主神の別称』
大穴道神(「おおなむちのかみ)・三諸神(みもろのかみ)古事記での表記
大国玉神(おおくにたまのかみ)日本書紀での表記
杵築神(きずきのかみ)文徳実録での表記
国造神(くにつくらししかみ)大隅国風土記での表記
大穴六道尊(おおなむちのみこと)土佐国風土記での表記
大国魂命(おおくにたまのかみ)日本国風土記での表記
所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)
大地主神(おおとこぬしのかみ)
大国魂神 古語拾遺での表記
大穴持命(おおなもちのみこと)出雲国造神賀詞と出雲国風土記と伊予国風土記での表記
宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)
廣矛魂神(ひろほこみたまのかみ)
倭大物主櫛甕玉神(やまとおおものぬしくしかみたまのかみ)
国作之大神(くにつくらしのおおかみ)
国作坐志大穴持命(くにつくりまししおおむなちのみこと)出雲国造神賀詞での名。
出雲御蔭大神(いずもみかげのおおかみ)
国堅大神(くにかためまししおおかみ)
国占神(くにしめたまいしかみ)
出雲大神(いずものおおかみ)
芦原志拳呼命 播磨国風土記での表記
兵主神(ひょうずのかみ)
農耕祖神(たづくりのおやのかみ)
幽冥事知食大神(かくりごとしろしめすおおかみ)
縁結神(えんむすびのかみ) ・福神(ふくのかみ)・天下地主神(あめのしたとこぬしのかみ)・大国作神(おおくにつくらししかみ) 出雲や出雲大社での神名。
【祭神が大国主命じゃなかった?】
出雲国造新任時に朝廷で奏上する出雲国造神賀詞では「大穴持命(大国主大神)」「杵築宮(出雲大社)に静まり坐しき」と記載があるので、この儀式を行っていた平安時代前期までの祭神は大国主神だったのですがやがて、神仏習合の影響下で鎌倉時代から天台宗の鰐淵寺と関係が深まりました。
鰐淵寺は杵築大社(出雲大社)の神宮寺も兼ねています。鰐淵寺を中心とした縁起(中世出雲神話)では、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていた(出雲風土記の国引き神は八束水臣津野命)ことから、中世のある時期から17世紀まで祭神は素戔嗚尊だったようです。14世紀「当社大明神は天照大御神之弟、素戔嗚尊也。八又の大蛇を割き、凶徒を射ち国域の太平を築く。」と杵築大社(出雲大社)の由来が記され、1666年(寛文6年)毛利綱広(元就の嫡孫・毛利輝元の嫡孫・長州藩の第2代藩主)が寄進した銅鳥居に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記されていました。
さらには、鰐淵寺の僧侶が経所で大般若経転読を行い、社殿では読経もしています。また、江戸時代初期には社僧が寺社奉行と杵築大社(出雲大社)の運営管理に関する交渉を実施していたようです。
杵築大社(出雲大社)内は仏堂や仏塔が立ち並んで神事が衰微したため、寛文7年(1667年)の遷宮に伴う大造営の時、出雲国造家が神仏分離・廃仏毀釈を主張して寺社奉行に認められ、仏堂や仏塔は移築・撤去され、経蔵は破却されました。これに併せて祭神は須佐之男命から、古事記や日本書紀などの記述に沿って大国主大神が復活しています。
【神仏分離・廃仏毀釈の証人】
「住みたい田舎ランキング2018」の近畿部門でお隣の朝来市と毎年トップを分け合う養父市(実家、但馬は豊岡市の隣ですが)には出雲大社の神仏分離・廃仏毀釈の対象と成り、出雲大社の建て直しの為の木材を得るために、但馬に移築された名草神社三重塔(国の重要文化財)が有ります。
この三重塔は島根県出雲大社の境内に、出雲の戦国大名として有名な尼子経久が願主となって大永5年(1525)に起工し、同7年6月15日に竣工したものです(資料によって異説があります)。今回はあえて本物の写真は控えさせて頂きまして、国道9号線から豊岡市の城崎温泉や神鍋高原、出石等へ向かう国道312号線沿いの、八鹿町上小田の右岸道路との合流地点に、作られたレプリカで我慢して頂きます。本物は名草神社を取り上げる時にお見せしまします。
【最後に一言】
今回出雲大社を取り上げた事で、改めて日本歴史の重みや深さを感じさせられました。皆さんの身近にも多くの歴史が埋もれて居ます。稚拙な文章ですが、私のブログでその楽しさに気づいて頂けたら嬉しいのですが。
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